大河ドラマ『べらぼう』で里見浩太朗さん演じる須原屋市兵衛。
書物問屋の重鎮らしく様々な経験や知識を有しており、主人公の蔦屋重三郎を何かと助言してくれますが、あそこまで好人物だと「実際はどうだったのか?」という意地悪な疑問も湧いてくるかもしれません。
というと、これがまんざら誇張とも言い切れない。
市兵衛は、平賀源内の『物類品隲』や杉田玄白の『解体新書』の発行を手掛けるなど、蔦重が登場する以前から江戸の出版業を先導していた、当時の有識者でした。
ドラマの中では、獄中に入れられた源内を救うべく、蔦重と共に田沼意次へ訴える場面もありましたよね。
あのシーンは創作でしょうが、そう描けるだけの事績があった人物なのです。
では一体それはどんなものだったのか?
史実における須原屋市兵衛の生涯を振り返ってみましょう。
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江戸を席巻する「須原屋」から暖簾分けをされる
大河ドラマ『べらぼう』の劇中で「本屋になりたい」とこぼす蔦屋重三郎に、

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
須原屋市兵衛が自身の経験を語る場面がありました。
【暖簾分け】です。
奉公人が主人の許可を得て同業店舗を別のところに出店することを言い、主人と似た号や意匠を用いることができるため、客の側でもそれと判別できる仕組みになっています。
いわゆるブランドですね。
現代でもそうした営業形態があるのは皆さんご存知でしょう。
「あの名店で修行を積んだ店長」などと紹介されることがあり、江戸時代にはこの形式が盛んに行われていました。
須原屋市兵衛は、江戸時代前半に【書物問屋】を構えた初代・須原屋茂兵衛のもとに奉公し、暖簾分けされたのです。

『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』/国立国会図書館蔵
この須原屋こそ、江戸の書物問屋の祖ともいえる存在であり、上方に負けぬよう出版業を盛り上げていこう、という志のもとに店舗が経営されていました。
ゆえに市兵衛だけでなく、複数の弟子たちが暖簾分けをしてもらっていて、彼らが江戸の出版業興隆に努めています。
ただし、主人から暖簾分けをしてもらうには才知と人格を認められなければならず、『べらぼう』に登場している須原屋市兵衛が優れた人柄であるのも腑に落ちるところでしょう。
須原屋茂兵衛は蔦重のライバルでもある
須原屋市兵衛が元いた須原屋の茂兵衛は、上方ありきだった江戸の書物問屋を盛り立てた最初期の人物となります。
江戸の出版業はこう言われておりました。
「吉原は重三、茂兵衛は丸の内」
つまり、並び称されたライバルということです
実はこの須原屋茂兵衛の売れ筋である定番商品も『べらぼう』前半で出てきています。
【武鑑】です。

『安永三年 大名武鑑』須原屋茂兵衛安永3年(1774年)刊/wikipediaより引用
大名の家紋や格式、装備の特徴をカタログにしたものであり、江戸っ子たちは「日光社参」の行列を見ながらこの書物をめくり、あれはどこそこの誰だ!と確かめ楽しんでいました。
【参勤交代】の制度が生み出した定番のベストセラーですね。
定期刊行され、確実に売れるほどの人気もあり、その点では、吉原のガイドブックで蔦重が得意とする【吉原細見】に近い書物と言える。
『べらぼう』では、蔦重から「本屋になりたい」と相談を受けた須原屋市兵衛が暖簾分けと【株】について熱く語っていました。
須原屋茂兵衛の【武鑑】は、【株】の買取により出版権を獲得したもので、前述の通り市兵衛は暖簾分けをされています。
これはのちに重要な伏線となることが考えられます。
蔦重は後に【地本】だけで経営が苦しくなると、書物問屋で扱う書籍の【株】を獲得し、

『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』/国立国会図書館蔵
困難な局面を乗り切ったのでした。
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