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江戸の千住で酒合戦! 女呑兵衛も含め総勢百名以上で日本酒三昧でぃ

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江戸の飲み会は女性も参加!

メンツもなかなか濃ゆいです。

30~40代で働き盛りの男が多いかと思えば、60歳を越したご老人もいました。

女性もけっこう参加していたようで、

「鎌倉杯・江島杯でずっと呑んでた」

「万寿無料杯でも酔わなかった」

「緑毛亀杯空けた」

という記録が残っています。

現代では一昔前まで「女が酒を飲むなんて」みたいな風潮もありましたが、そのまた昔は普通にガンガン呑んでたんですね。

そういえば篤姫もお酒を嗜んでいますしね。

きちんとツマミも用意されていたようですし、死人が出たという記録もありませんから、皆、無理のない範囲で楽しんでいたのでしょう。

最多記録の人は7.5升(=13.5L)呑んだとか。

途中でトイレ行ったんでしょうけど、お腹たぷんたぷんですわな。

 


酒合戦は庶民の娯楽

こうした酒合戦は特に江戸時代に多く行われ、庶民の娯楽となっていました。

災害の多い江戸時代、大勢であまりお金をかけずに楽しめる場として重宝されていたように思われます。

ただ、

「優勝者が昏睡したあと水をガブ飲みしてようやく復活した」

「大量に飲んだヤツが倒れて翌朝まで起きなかった」

なんて記録もあるので、やっぱりお酒はほどほどにしといたほうがよさそう。

戦国時代にも、調子こいて日本三名槍の一つとされる【日本号】を持っていかれてしまった武将がいますね。

持っていかれたのが豊臣秀吉子飼いの福島正則

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持っていったのが黒田官兵衛の腹心・母里太兵衛です。

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福島正則は、人命が犠牲になったシャレにならないエピソードもあります。

皆さん、お酒はほどほどに。

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長月七紀・記

【参考】
日本名門酒会(→link

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