麻疹の歴史

アル・ラーズィー/wikipediaより引用

食・暮らし

麻疹をナメたらほんとにヤバい 幕末の江戸では最大40万人が苦しんだ

コロナウイルスが世界中に拡大。

日本でも間もなく五類へ移行となりますが、こんなときに麻疹(ましん・はしか)の話をしても「なんそれ?怖いの?」とか言われてしまいそうですね。

しかし、甘くみたら本当にイケません。

感染力は激しく強く、実は致死率も低くない。

春から初夏にかけて流行る傾向があり、最近は、ワクチンを忘れる方もいらっしゃるようで、日本で猛威をふるう恐れも指摘されております。

では、歴史的に見てはどうなのか、って?

犬公方でお馴染みの徳川綱吉も麻疹で死んだ――そんな見立てもあるほどで、本日は麻疹の歴史を見てみましょう。

徳川綱吉
徳川綱吉は犬公方というより名君では?暴力排除で倫理を広めた人格者

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90%以上!とにかく感染力がヤバイ!

まず、麻疹とは?

詳細は前回の記事に譲り、

命定め(麻疹)
綱吉の命も奪った「命定め」は赤面並に怖い?江戸時代に13回も大流行

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今回はスッキリ箇条書きで特徴をマトメさせていただきますね。

ポイント

・症状は発熱と発疹

・一度かかると二度かからない

・致死率、実は高い(日本で0.1% 全世界で3-5%)

・とにかく感染力がヤバイ!

厄介なのが感染力です。

『空気感染』するため凄まじく強力で、麻疹ウイルス保持者と直に接触したり、同室にいただけで会話をしてなくても感染する危険性があります。

もちろん、飛沫や接触でも感染します。

※空気感染と飛沫感染の違い(→昭和大学PDF

しかもですよ。

免疫を持たない人が麻疹ウイルスにさらされた場合の発症率は、実に90%以上!

むちゃくちゃ高いんです。

だから大流行するワケで、実際に昔は多くの死者を出した病気でした。

では、本題の歴史パートへ行ってみましょう。

 


摂関政治の終わりは麻疹にあり

麻疹が初めて文献に登場するのは9-10世紀のこと。

ペルシアで活躍した医師アル・ラーズィー(アル=ラジ)による『天然痘と麻疹の書』です。

アル・ラーズィー/wikipediaより引用

日本で「これは麻疹で間違いないだろう」とされる第1回目の流行は998年になります。

むろんこれ以前にも流行があったでしょうが、天然痘と症状が似ているため、歴史上、しばしば混同されており正確には把握できません。

日本古来の呼び方からしてそうです。

・天然痘が「もがさ」

・麻疹が「赤もがさ」

現代人から見たら、どっちも似たような印象ですよね。

日本史上、2回目の流行は27年後、1025年のことです。

この流行では、歴史が動きました。

当時、栄華を極めていた藤原道長の六女・藤原嬉子(きしorよしこ)が18才の若さで命を落としてしまったのです。

藤原道長
藤原道長は出世の見込み薄い五男だった なのになぜ最強の権力者に?

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彼女は入内しており、後冷泉天皇となる皇子を産むのですが、出産直前に麻疹にかかり、出産からわずか2日後に亡くなったのです。

後冷泉天皇には世継ぎがおらず、その崩御後に

【摂関家とはつながりのない天皇が即位】

して、摂関政治は終焉をむかえます。

もしも嬉子が麻疹で亡くならず複数の皇子を産んでいれば、歴史は大いに変わったでしょう。

麻疹が歴史を動かしたとも言えます。

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