ゴールデンカムイ20巻/amazonより引用

ゴールデンカムイ 明治・大正・昭和

ゴールデンカムイ20巻 史実解説! 世界史における「日露戦争」後の日本

◆騎兵の時代も終わった

日露戦争といえば、ヨーロッパを震撼させたロシア騎兵を破った秋山好古の活躍には胸が躍る方も多いと思います。

しかし、その時点で騎兵の残り時間はもう少なかったのです。第一次世界大戦の時点で時代遅れとなり、騎兵は戦車に置き換えられてゆきます。

※『戦火の馬』では第一次世界大戦が描かれ……

※『硫黄島からの手紙』では、騎兵であった西竹一が戦車隊を指揮する姿が描かれます

西竹一(バロン西)
日本人唯一の五輪馬術メダリスト西竹一(バロン西)42才で硫黄島に散った悲劇

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◆神話は失敗を糊塗する

神話は成功からのみ生まれるだけのものでもありません。英雄願望や失敗を糊塗するために、生まれることもあります。

日露戦争におけるその代表格が広瀬武夫でしょう。

◆広瀬武夫/wikipedia

広瀬武夫
近代初の軍神・広瀬武夫「旅順港閉塞作戦」で劇的な戦死を遂げる

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広瀬の戦死は作戦として意味があったのか? そこに反省点はなかったのか? 失敗ではないのか?

このことは指摘せねばなりません。

指摘されると不愉快にも思えるのだとすれば、後世の神話化があるからなのです。彼がロシア人女性とロマンスを育んだことは、物語としては面白くとも、その能力や作戦結果には何の関係もありません。

快男児にして名誉の戦死を遂げた広瀬は、血湧き肉躍る英雄譚の主人公として愛されました。

しかし、そうした神話が失敗の本質を糊塗したことは確かなのです。

日本が戦争へ向かう中、彼の後にも軍神は生み出されてゆきます。

◆爆弾三勇士/wikipedia

 

◆武器開発の遅滞

日露戦争においては兵器も活躍しました。この戦場で成果をあげ、海外へむけて輸出された兵器もあったほど。『ゴールデンカムイ』有坂成蔵のモデルとなった有坂成章の「有坂銃」も、性能が優れていたことは確かなのです。

◆有坂成章/wikipedia

しかし、日本の武器の進展は停止します。世界が第一次世界大戦はじめ、多くの新兵器による戦争を重ねていく中、日本では技術が追いつかなくなってゆきます。

日露戦争のために開発された「三十八式歩兵銃」が、太平洋戦争まで現役であったのですから、なんとも暗澹たる気持ちになります。

こうした物質と技術面の不足を補うのが、精神論と神話であったのです。

◆三八式歩兵銃/wikipedia

◆それでも日本は「神の国」だから

技術。財政。そうした苦境を補填するものとして、「武士道精神」という精神論が盛んにもてはやされるようになってゆきます。

はじめのうちこそ新渡戸稲造のように、ロシアを倒した理由を知りたがる世界のニーズに応じてまとめていたものでした。いつのまにか「日本はスゴイ! 神の国!」という陶酔状態へと突入してゆくのです。

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「日本人は米を食べるからスゴイ!」(※なお、米は全世界の2/3で主食とされております)

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「日本兵は魚を食べるから強い!」

「日本が世界の中心でなければならない!」

「日本主義こそ世界が奉ずべき道徳精神である!」

「神の国に敗戦はない!」

こうした精神論は、アジア・太平洋戦争における補給軽視や無謀な作戦へと繋がってゆくのです。

「ビルマにあって、周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物なのである。これだけ青い山々を周囲に抱えながら、食糧に困るなどというのは、ありえないことだ」

そう言い切り、補給をろくに考慮しないまま「インパール作戦」を実行した牟田口廉也はその典型例です。

※食糧難に直面する日本軍を描いた『野火』

こうした状況に、日本人は危機感を抱かなかったのでしょうか? そうではありません。

山川健次郎は過度の皇室崇拝はかえって危ういと指摘。バッシングにもめげませんでした。

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そんな彼ですら、危うい死者崇拝からは逃れられておりません。それはかつて彼が参加した白虎隊についてのものでした。

はじめのうちこそ純粋な慰霊目的であったものの、やがてムッソリーニまで巻きこまれ、大仰なものとなってゆきます。

そして白虎隊は、国に殉じる青少年の手本として称揚されてゆくのです。

褒められることは気分がよいもの。ましてや異国の人となれば、満足感があるもの。かくして慰霊と陶酔感が融合してゆきます。

山川健次郎の死後、白虎隊の眠る飯盛山にはドイツからヒトラーユーゲントの隊員たちも招待され訪れました。

少年たちが白虎隊崇拝の言葉を述べる姿に、日本人はウットリとしていたのです。

褒め言葉は素直に受け取るべきものです。しかし、その背後にある思惑も考慮しなければ、中毒に陥ってしまう危険性はあるのです。

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◆ヒトラーユーゲント/wikipedia

ジュリアン・バーンズはこう言いました。

「最も偉大な愛国心とは、祖国が不名誉で、愚かで、悪辣なことをしている際に、それを指摘することだ」

日本にもそういう愛国心の持ち主はいたのです。ただ、彼らは治安維持法の名の下、弾圧によって口を閉ざすか、命まで奪われてゆきました。

 

世界大戦と新たなる秩序

日本が現実逃避と視野狭窄に陥りつつある中、世界情勢は変貌してゆきました。英米の外交も変化してゆきます。

日露戦争後、早くも満州鉄道の権益をめぐり、アメリカの経済界と日本政府間には対立が生じ始めていました。

鶴見の野望の背景には、満州鉄道がある。作中でそう示されるわけですが、今後の歴史において満州鉄道は重要な要素となってゆきます。

イギリスは、日露戦争の結果を受けて仮想敵国を変更します。もはや傷つき倒れるしかないロシアではなく、勢いを伸ばすドイツに目を光らせるようになるのです。

その結果起こったのが、第一次世界大戦でした。

20世紀は世界大戦の時代です。第一次世界大戦とロシア革命によって、欧米諸国は新秩序の模索が必要だと痛感するようになりました。

植民地や覇権をめぐる帝国主義は、世界的な大戦の要因となりうる。植民地の人々もいつまでも支配されているわけではない。あれほどの帝国であったオーストリアとロシアが見る影もなくなってゆく姿からは、明るくはない未来が見えました。

第一次世界大戦の影響は戦場からの距離もあり、日本では欧米ほど深刻なものとして受け止められませんでした。変貌してゆく欧米の流れから、取り残されてしまうのです。

そんな状況の中、日本は大東亜(東アジア)の盟主、兄として振る舞うべきだと考えるようになるのです。

それは、ロシアからソ連となった隣国との緊張感も意味していました。

ソ連と国境を接する満洲国成立により、決戦は不可避となったのです。

昭和14年(1939年)、ついに日ソは紛争に陥ります。「ノモンハン事件」でした。

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ソ連時代は死傷者数が隠匿されていた経緯があり、それが明かされると実はソ連側の被害も甚大であったことが判明します。

それでは日本は「ノモンハン事件」で勝利していたのか?

残念ながらそうではないどころか、問題が山積みでした。

損耗率の高さ、兵器開発、戦術、補給、軍備の見直し。そうした必要な措置も反省もなく、無謀な作戦を立てた者の責任が深刻に追及すらされないまま、日本はさらなる戦争へと突き進んでゆきます。ノモンハンの地獄からかろうじて帰国した兵士たちは、厳しい緘口令の元にさらされ、真相を語ることはできませんでした。

そしてこの満洲国成立と日中戦争により、日本と英米は決定的な亀裂が入ってゆきます。

日本が英米との対立後、新たな同盟相手として選んでいたのは、ヒトラー率いるドイツと、ムッソリーニ率いるイタリアでした。

かくして日本は、アジア・太平洋戦争へと向かってゆくのです。

 

日本とソ連の対立、繰り返される歴史

アジア・太平洋戦争時、かつての【露探】のように英米の事情に通じているだけで、売国奴とされ弾圧される人々もおりました。彼らは「非国民」とよばれ、スパイとして拘禁され、および拷問を受けたのです。

第二次世界大戦においてソ連は連合国の一員として参戦。欧州の戦線で激闘を繰り広げます。ナチスドイツと戦い抜き、甚大な被害を受けながら、勝利を得るのです。

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一方の日本は、ソ連に対してどうにも対応が甘かった。

「日ソ中立条約」があったためか、太平洋戦争末期の日本政府は、ソ連が仲介役となるのではないかと期待していた形跡があります。その引き換えに、南樺太割譲すら想定していたのです。

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鯉登の名は、最後の第七師団長である鯉登行一中将が由来とされています。

鯉登音之進が最後の第七師団長となるのであれば? かつて旅をした樺太がソ連に蹂躙され奪われる様を、まざまざと見る羽目になるのでしょう。

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ソ連は、南樺太だけでは満足できませんでした。満洲、樺太、北方領土、中国北部、朝鮮半島北部から日本人を連行し、抑留したのです。戦争で人口が激減したソ連は、労働力の確保が課題でした。そのため、日本人を人的資源として確保することを目指したのです。

このようにシベリアへと抑留された日本人は、日露戦争時の捕虜とは比較にならないほど、過酷な扱いを受けることとなるのです。

ソ連政府の対応にも問題がありますが、日本政府の仕打ちも厳しいものでした。

最長11年にも及ぶ抑留期間は就業していなかった状態とされ、年金給付額等にも影響が出ました。「戦争受忍論」(※戦争では皆被害を受けたのだから、補償を求めず皆で苦しむべきだという論理)のもとで、政府からの補償はなかったのです。

こうした不条理も、日本とソ連の政府間では解決済みであるとして、不満があるのであれば個人単位でソ連政府に請求するべきだとされたのです。個人がロシア語で書類を書き、訴える。そんなことは不可能に等しいことでした。

それだけではありません。抑留者が帰国した日本では、新たな【恐露病】ともいえる共産主義アレルギーが蔓延していたのです。

抑留者はソ連帰りということで「アカ(共産主義者)」とみなされ、就職等で差別を受けることとなる。本人だけではなく子息にまで、就職差別のような差別が及んだ例もあります。中国大陸からの帰還者も同様の事例がありました(「レッドパージ」)。

この問題は、現在まで続いています。関係者が亡くなっても、問題は終わらないのです。

◆平和祈念展示資料館/戦後強制抑留コーナー

令和元年(2019年)、衝撃的なニュースが報道されました。
ロシアから返還されたシベリア抑留者の遺骨が、アジア人ですらないと判明したのです。

あまりに杜撰な対応でした。

◆シベリア抑留戦没者の遺骨「すべて日本人ではない」

 

国家間で翻弄される人々

厳しい体験をした人物が多い『ゴールデンカムイ』。実はお気楽ボンボン鯉登こそその悲運の人物筆頭になりかねない。騙されて、洗脳されて、キャリアを変更させられて、治療費をたかられる。それが20巻でした。

その未来も残念ながら暗い。

しかし、悲惨な運命であるのは彼だけではありません。

エノノカのような樺太アイヌも、太平洋戦争を経て厳しい命運に直面します。

アイヌは日本国民であるため、ソ連領となった樺太から移住させられてしまうのです。彼らは生まれ育った故郷を失ってしまうのです。

樺太のみならず、北方領土問題も日ロ間の懸案事項です。

◆北方領土問題

平成30年(2018年)末、プーチン大統領はアイヌをロシアの先住民族と呼ぶ提案に賛成しました。

ロシアは多民族国家でありながら、アイヌが含まれないことはおかしい。そう言われればその通りではあります。

江戸・明治時代の日露関係はアイヌを見落としがち~ゴールデンカムイで振り返る

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それはそれで喜ばしいこととしても、北方領土と日ロ間の歴史をふまえれば、どうしても政治的な思惑がちらついてしまうのです。

時代錯誤的な【恐露病】だの、【露探】だの、そんな概念を今更持ち出す必要はありません。

特定の国への恐怖心を、暴力や差別の言い訳にすることはできません。

「おそロシア!」というネットスラングではしゃぎ、プーチン大統領の雑コラで遊んでいる場合ではないでしょう。ロシアをおちょくって侮辱するようなことは慎むべきではないでしょうか。

令和元年(2019年)、日本政府は「北方領土」という名称すら自重するようになりました。

◆政府、「北方領土と言わないで」

二つの国の間にある緊張感は、まだ続いているのです。それが国と国を接する同士の宿命でもあります。

 

神話を求める気持ちも繰り返されるのか

そしてもう一点考えたいことは、日露戦争の神話化です。

本稿のために参考文献を見ていると、日露戦争関連書籍には『坂の上の雲』をより楽しむことを目的としたものが多くありました。

ドラマ化以前からある傾向でした。日露戦争は巨大なロシアに大勝利を収めた、日本の類稀な歴史であり、味わうぶんには高揚感があることは確かなのです。

しかし、ここで考えねばならない点があります。

司馬遼太郎氏本人は映像化を拒み、死後ドラマ化されていること。

司馬遼太郎氏は「ノモンハン戦争」を扱おうとしていたものの、挫折していること。

彼はどうしてそうしたのか? 本項を書いているうちに理解できた気がします。

日露戦争賛美と「ノモンハン事件」の結果は、コインの裏表のようなものではあります。「ノモンハン事件」敗北の萌芽は、日露戦争の時点でもうあるのです。

日露戦争を賛美したあとの巻き返しを懸念するからこそ、映像化を拒んだのでは?

そう思い当たったのです。

もう一つ、国民作家たる司馬遼太郎氏の功罪についても、考えさせられることとなりました。

日露戦争を契機に変貌したものとして、

【戦国時代の合戦像】

があります。

江戸時代以来、軍記物や祖先を崇拝する藩の記録において、既に潤色が始まっていたことは確かです。そんな英雄崇拝をしていた江戸期の日本人は、ナポレオン戦争について知識を深める過程でショックを受けます。

ヨーロッパでは、日本の戦国時代どころではない規模の合戦がある。ナポレオンはなんという英雄なのだーー。

幕末史を眺めていくと、薩摩藩・西郷隆盛、長州藩・吉田松陰、幕臣・勝海舟まで、大勢の人物がナポレオン戦争を参考にしています。この傾向は明治維新以降も続き、ヨーロッパの英雄に負けぬ英雄の育成が課題として意識されていたのです。

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日露戦争後、それが変わりました。

明治26年(1893年)から明治44年(1911年)にかけて、参謀本部は『日本戦史』を編纂します。

桶狭間の合戦。

長篠の戦いにおける「三段撃ち」。

墨俣一夜城

奇策と戦術を駆使した日本人はスゴイ! そういう論調が強められてゆきます。そこにはある傾向を見出せます。

リップサービスや肯定的な論を針小棒大に扱う。

物資面で勝る相手を奇襲で打ち負かす。

軍記のようなフィクションベースであることも珍しくはない。

要するに、

【物資面で劣っていても、日本の奇襲で勝利できる】

という結論なのです。

織田信長の生涯において、奇襲勝利と言えるのは桶狭間のみ。彼自身、薄氷を踏んだ勝利だと自覚しており、二度繰り返すつもりはなかったのでしょう。それが戦争のリアルでした。

ところが桶狭間礼讃は、願望を現実にあてはめようとする。滑稽な逆転現象なのです。

本来冷静でなければならない軍の参謀と、冷静に歴史を探究すべき学者が加担した歴史修正でした。徳富蘇峰の『近世日本国民史』等にも、この影響は引き継がれてゆきます。

その後、太平洋戦争敗戦を経て軌道修正されたのでしょうか?

そうではないと思えるのです。

現在に至るまで、織田信長こそが改革者であり、戦術の大天才であるという評価は根強いものです。

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その根底には、日本スゴイ感情がやはり見え隠れしていると思えてしまう。

その根底を探っていくと、司馬遼太郎氏の著作に行き着くことが実に多いのです。

彼の作品を読むと高揚感があり、日本の歴史に誇りを抱けることは確かです。

しかし、それだけでよいのでしょうか。彼の著作は高評価であるものの、歴史的な正確性では疑念が持たれている記述もあります。かつ彼自身の考えなのか、何か根拠があるのか、区別がつけにくいのです。

「メッケルは関ヶ原の布陣図を見て、西軍が勝利したと言った」という逸話が、その有名な一例でしょう。

幕末がらみでは実際に起きた場所とは関係ない場所にモニュメントが建ってしまうような、混沌とした状況があるほどです。

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それほどまでに彼の著作が受け入れられたのは、なぜなのか?

江戸時代から現在に至るまで、日本は海外に対して劣等感を抱くことと、優越感を抱くことを繰り返してきました。

敗戦を経てどん底まで落ちた日本人の自尊心が、司馬氏の描く英雄像を求めたとして、それは不思議ではないことです。彼の作品は大衆の心理にフィットするという意味でも、秀逸であったのでしょう。

本稿を書くのは恐怖体験でした。

『ゴールデンカムイ』から始まったはずが、日露戦争関連を調べてゆくうちに、『坂の上の雲』にたどり着き、司馬氏にまで到達してしまった。

はっきり言えばこんなことをする意味はないと思う。お気楽な歴史サイトならば、無駄に喧嘩を売らずに、彼の暗澹たる未来なんて無視して、ショタ鯉登萌えですね〜♪ で終わらせてもよかったはずなのですが……。

話を『ゴールデンカムイ』の特性にまで戻しましょう。

この作品は、日露戦争を扱ったフィクションでも特異性が大きいものと言えます。

アイヌを扱っているだけではありません。

日露戦争を栄光ある勝利としてではなく、破綻の前兆や危ういものとして扱っている点が興味深いのです。

※敢えて近いものをあげるとすれば『二百三高地』、『八甲田山死の行軍』、山田風太郎の明治ものでしょうか

明治時代から、日本は割と無茶振りをしていたのではないだろうか?

冷静にそう思える、そういう視点があるのです。

ヒンナヒンナと浮かれていたら、いきなりヒグマが襲ってくるような怖さがある。そう思えてくるのです。

『ゴールデンカムイ』と『坂の上の雲』のファンが重なることは、簡単に想像がつくことではあります。その通りでしょう。

ただ日露戦争を扱うにせよ、その姿勢としては異なるということは、重要であると思えるのです。

明治維新を成し遂げた薩摩閥出身である鯉登は、屯田兵が多い第七師団では異色のエリートと言えます。

彼の父・鯉登平二は、東郷平八郎を思わせる薩摩出身の提督です。

この父子は、鶴見が企む満洲を巻き込んだ計画に巻き込まれてゆきます。

満洲の存在が明言され、その重荷を背負わされる鯉登父子。彼らの境遇には、日本の近現代史が持つ宿命が反映されているのかもしれません。

『ゴールデンカムイ』は漫画そのものとして面白いだけではなく、日本とロシア、樺太、アイヌの歴史を考える上でも上質の教材となりえるのです。たとえ残酷だとしても、歴史を振り返る上では欠かせない視点がそこにあります。

読み終えてわくわくして、笑ったあと。真顔になって考え込みたくなる、そんな作品はそう多くはない。そんな稀有な作品なのです。

文:小檜山青

【参考文献】
『ゴールデンカムイ20巻』
『戦争の日本史20 世界史の中の日露戦争』山田朗
『日露戦争の世界史』崔文衡
『ロシアのスパイ 日露戦争期の「露探」』奥武則
『捕虜たちの日露戦争』吹浦忠正
『もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から』コンスタンチン・サルキソフ他
『三八式歩兵銃―日本陸軍の七十五年』加登川幸太郎
『世界史リブレット 日本のアジア侵略』小林英夫
『覇権の世界史』宮崎正勝
『シベリア抑留 未完の悲劇』栗原俊雄
『シベリア抑留 最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ』栗原俊雄
『シベリア抑留は「過去」なのか』栗原俊雄
『「日本スゴイ」のディストピア』早川タダノリ
『愛国心を考える (岩波ブックレット) 』テッサ・モリス=スズキ
『Doing History:歴史で私たちは何ができるか?』渡部竜也
『図説 日露戦争』
『図説 従軍画家が描いた日露戦争』
『米国特派員が撮った日露戦争』
『日露戦争古写真帖』
『国史大辞典』

 



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