せがれの音之進はいずれ 指揮官になっち 決まっちょります
指揮官には大勢の若い命を預かる責任があっど
せがれには我から進んで困難に立ち向い
ふさわしい男になっくんやせ
鯉登平二(『ゴールデンカムイ』第139話より)
『ゴールデンカムイ20巻』は、前を見据えて進む杉元が表紙です。
彼が進みゆく道に待っている冒険の結末は、どうなるのか?
それはネタバレになるため伏せさせていただきますが「金塊争奪戦以外の未来」については興味深いものがあります。
現実に起きた史実を振り返れば、様々なことが見えてくるからです。
彼らの過去、そして未来を考えてみましょう。
※この記事はネタバレを含んでおりますので単行本20巻読了の方のみ、読み進めてください
【TOP画像】ゴールデンカムイ20巻(→amazon)
幕末から明治、日本が直面した国際情勢
幕末に直面した欧米列強の圧力は「黒船来航」が起点である。
アメリカを皮切りにして、イギリス、フランス、ドイツ、そしてロシアがやって来る。
欧米列強からの圧力を感じつつ、日本は明治維新を迎えた――。
幕末にありがちなこうした説明、そこにバイアスがあるとしたら、どう思われますか?
実はペリーよりずっと以前から、19世紀初頭の時点で江戸幕府はある国の脅威をヒシヒシと感じていました。
ロシアです。
その対応に当たったのは、幕命を受けた東北諸藩でしたが、彼らは戊辰戦争で敗北し、政府中枢での発言権を失ってしまいます。
結果、驚愕してしまったのが明治政府です。
蝦夷地改め北海道を統治してようやく気付いたこの事実。
ロシアと日本の国境は接している――彼らが南下したらどうなるのか?
明治政府の中枢を担った西日本の薩摩と長州にとって、外圧の危機と言えば、太平洋まで捕鯨船を派遣していたアメリカなりイギリスでした。
つまりロシアには対する認識が完全に出遅れていたのです。
慌てた明治政府は、東北諸藩の人々を屯田兵として入植させ、開拓と防衛を兼任させることとし、かくしてスタートを切ったのが北鎮部隊・第七師団でした。
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第七師団はゴールデンカムイでなぜ敵役なのか 屯田兵時代からの過酷な歴史とは
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ロシアへの警戒と共に始まった北海道の歴史。
この日ロ関係こそ『ゴールデンカムイ』の根底にある要素といえるでしょう。
ロシアへの恐怖が募る中で
ロシアが南下したらどうする?
ひとたまりもないのではないか?
開拓にせよ屯田兵の鍛錬にせよ、一朝一夕にはできません。
明治政府が陥ったこの状況に対して、真っ先に犠牲とされたのは樺太でした。
イギリスのパークスが、ロシアを刺激しないためにも割譲せよと介入し、手放されてしまうのです。

ハリー・パークス/Wikipediaより引用
樺太は日ロどちらの領土なのか?
実は江戸期からの問題であり、時代によって変動がありました。
しかし明治8年(1875年)、日本政府とロシア帝国の間で結ばれた「樺太・千島交換条約」の判断が極めて重要であることは確か。
そのことは、キロランケのような樺太先住民からすれば甚だ悲劇的なことでした。
『ゴールデンカムイ』において日ロ間の悲劇を象徴する人物は、キロランケだけではありません。
ある人物もそうであると明かされることが、20巻のハイライトです。
彼こそが鯉登音之進――。

ゴールデンカムイ16巻&29巻(→amazon)
日露戦争従軍経験もなく、戦争を知らないボンボン、先遣隊一行でも最もお気楽な存在とみなされていた鯉登。
彼とその家族も、日ロ関係によって人生が狂わされていたのです。
彼は海軍人の子であり、陸軍人として歩んでいくからには、作中で最も軍事と政治の影響を受ける存在と言えます。
彼の運命を変えるその端緒となる事件では、当時の日ロ関係が重要な役割を果たしています。
その事件前へ少し時間を巻き戻して、そのことをたどってゆきましょう。
「大津事件」の衝撃
ロシアを刺激してはならない――。
そう思いつつ、ロシアとの友好の道を探る日本。
そんな日本が恐怖に陥った出来事として【大津事件】があります。
津田三蔵がロシア皇太子のちのニコライ2世を切りつけ負傷させたのです。

ニコライ2世/wikipediaより引用
全日本が震撼した、その反応を探ってみましょう。
・津田の動機には「ロシアが日本を横領するつもりだ」というものもあった
→彼本人もロシアへの恐怖感があった。
・庶民に広がる自粛と謝罪ムード
→日本国民全体が自粛ムードに突入し、遊郭ですら音曲の演奏が自粛されるケースもありました。
→教育機関が謝罪の書状を作ることもありました。
→山形県最上郡金山村(現・金山町)では「津田」および「三蔵」という名前が禁じられました。
→女中・畠山勇子が剃刀で自殺。享年27。ロシアへ詫びるためという動機でした。
・明治政府は日本の皇室を加害者としたものと同様だとみなし、津田三蔵極刑を要求
→法律上では無期懲役であるにも関わらず、政府は司法に圧力をかけ、死刑にするよう働きかけました。
しかし大審院長の児島惟謙は法を遵守し、「謀殺未遂罪」による「無期徒刑」(懲役)とします。
三権分立、司法権の独立を確立した重要な局面です。のみならず、政府までもがロシアに恐怖を抱いていたことを示す証拠といえます。
この事件に対し恐れ慄いた日本に対して、ロシアの態度は穏便であったとされます。
皇太子が穏やかな性格であったとか、日本に友好的だったとか。そういうことは言われていますが、ここは注意したいところです。
ここまで低姿勢の日本に、ロシアも困惑していたのでは?
日本が極度にロシアの怒りを恐れた結果、この程度で済まされた運が良かったと安堵した部分もあるのでは?
この事件を語る上で、日本が直面していた内政と外交の事情も考えねばなりません。
「内憂外患」の時代
この当時『鹿児島新聞』への投書が発端となり、こんな伝説が広まっていました。
西郷隆盛が生きている。
そして生存していた桐野利秋らとロシア軍を率いて復讐に戻ってくる――。

西南珍聞 俗称西郷星之図/wikipediaより引用
他ならぬ津田三蔵も、この伝説に取り憑かれていたのです。
津田は西南戦争に従軍し功績を挙げており、もしも西郷が帰国すればそれすらなくしてしまうと不安を感じるようになりました。
この西郷伝説は彼自身の人徳というよりも、明治政府への人々の不満が鬱積した反映でもありました。
こんな酷い明治の世を、西郷隆盛ならば正してくれる。「西郷星」程度ならばまだしも、こうなってくると危険極まりないものがあります。
こうした「内憂」だけでなく、「外患」も日本人にとって悩ましいものでした。
当時世界最大の権勢を誇っていた大英帝国の背景には、世界最強とされた海軍力がありました。
しかし、その覇権にも翳りが見えてきます。
イギリスの海軍力は、「トラファルガーの戦い」からおよそ一世紀を経て下り坂となりつつあったのです。

トラファルガーの戦い/wikipediaより引用
海軍力だけではなく、イギリスの産業革命に端を発した鉄道も、パワーバランスを変貌させつつありました。
それはロシアの「シベリア鉄道」です。
陸路を用いた輸送ルートを確保してしまえば、影響力は下がります。
さあどうする?
ここでイギリスが考えた手段は、外交でした。
極東の日本にロシアを牽制させればよろしい――。
明治維新前夜、薩長を援助したイギリスは、その後も明治政府に協力すると見せかけ、干渉を繰り返しています。
西欧諸国に取り込むと見せかけつつ、日本を利用することを考えていた。訪日イギリス人が第一に考えていたのは大英帝国の存亡なのです。
サムライ大好き、日本スゴイ!
そんな浮かれた気持ちの訪日イギリス人政治家がいたと考えると、かえって理解がしにくくなりますのでご注意ください。
なんせ彼らの幕末見聞記は、明治政府が長いこと発禁処分にしていたほど、辛辣な内容なのです。
明治維新と近代化は、世界史的に見て必ずしも礼賛されるだけではありません。
その中でもイギリスは、苦々しい感情と共に振り返っています。
明治維新以降、イギリスが外交によって日本を刺激した結果が、第二次世界大戦につながったのではないか?
介入するにせよ、やり方はあったのではないか?
そんな思いと共に振り返るものであるのです。
日清戦争
鯉登父子を語る上で欠かせない要素が、20巻で明かされます。
二男・音之進には13年上の兄である長男・平之丞がおりました。
このことから鯉登は、藤田嗣治、山田耕筰、高村千恵子と同年代であると確定したわけです。
父・平二から一字をゆずりうけた平之丞は、鯉登家を継ぐべく期待を背負って生きてきました。
しかし、彼は日清戦争の黄海海戦で戦死してしまいます。
父が見守る中、二十歳を超えたばかりで、戦艦上で命を落とした平之丞。その死は弟にも暗い影を落としました。
兄の死は、急遽、嫡男とされる弟に暗い影を落とすものではあります。
◆黄海海戦 (日清戦争)/wikipedia
日清戦争は、世界史上一大転換点となるものでした。
中国大陸は、長らく西洋から見ても憧れの土地でした。
理由はその面積と人口です。
西洋から東へと向かう中、最大の目的地とされてきたのは中国大陸でした。
阿片戦争があったとはいえ、帝国主義時代の西洋諸国は豊かな資源を持つ中国に対して、植民地獲得へ踏み切れないところがありました。
それが日清戦争の結果を見て、目の色を変えたのです。
なんと魅力的な植民地があることか!
西洋諸国の目が中国に集まります。日本だけにこの中国の権益を渡すわけにはいきません。
日清戦争後、西洋諸国の中でもイギリス・アメリカと対立するロシア・ドイツ・フランスは日本に厳しい態度を取ります(「三国干渉」)。
日清戦争の結果獲得した遼東半島返還を求めてきたのです。
中でも、シベリア鉄道敷設の障害となるロシアは強硬でした。
陸奥宗光のような政治家は予測し得たことですが、庶民にそんなことはわかりません。

陸奥宗光/wikipediaより引用
どうして戦争で勝ち取った領土を、手放さねばならないのか?
地理的に近いロシアに対して、日本人の憎しみが高まってゆきます。
蔓延する【恐露病】と【露探】への疑惑
残酷なロシア人が憎い!
ロシアを恐れる腰抜け政治家がいる!
日清戦争後、そんなマスコミの空気が醸成されてゆきます。
こうした流れの中で【恐露病】という言葉が使われるようになってゆく。
このころ【恐露病】の政治家筆頭として、伊藤博文があげられておりました。

伊藤博文/wikipediaより引用
侵略の恐怖と特定の国への恐怖を掻き立てる、そんなアジテーションの標的としてロシアが使われたのです。
同時に日本では、【露探】(ロシアのスパイ)という概念が渦巻きはじめます。
あいつは怪しい。あいつはきっとロシアに日本を売り渡そうとしている。売国奴め!
そんな風に少しでも怪しいと感じた相手を告発し、時には暴力行為にまで及ぶことがありました。
ロシア語ができる。ロシア正教徒である。ロシア人と交流していた。ロシア文学や料理を好む。
その程度で「売国奴だ!」と罵倒され、マスコミでバッシングを受け、酷い場合は逮捕すらされたのですから恐ろしい話です。
このヒステリックな感情こそ、鯉登父子の遭遇する事件に関係がありました。
あの誘拐事件の背景には、こうした空気が蔓延していたのです。
しかも、彼らがいた場所は函館です。
函館は地理的にロシアに近く、交流があった場所でした。幕末にロシア人がここを訪れ、あの蒸し風呂・バーニャをも作っていたとか。
安政5年(1869年)には早くも函館ハリストス正教会の源流となる聖堂が建てられたのですから、歴史ある交流なのです。
◆函館ハリストス正教会/wikipedia
そんな日ロの交流も、こんな時勢では苦々しく緊張感が漂うものと化してゆきます。
ロシアが海軍力低下を狙っているのでは?
日本を牽制しようとしているのでは?
そんな不安が、海軍人である鯉登平二にあっても不思議はありません。暗躍するロシア人誘拐犯という設定には、説得力がありました。
この杜撰な計画が成立し得た背景と鯉登父子の言動には、こうした背景への恐怖があるのです。父はもちろんのこと、幼い我が子にも自責の念と覚悟がありました。
ロシア滞在歴もあり、ロシア人との結婚歴もあり、ロシア語堪能。
それこそ【露探】と槍玉にあげられそうな経歴を持つ鶴見からすれば、そうした心理を逆手に取るなど、容易いことであったのでしょう。

ゴールデンカムイ13巻(→amazon)
愛国心、責任感、そして我が子への愛が利用されてしまった。そんな鯉登平二は気の毒であると言わざるを得ません。
それは息子の音之進もそうです。船酔いするとはいえ、彼は海軍人を目指したほうが順調な人生であったことでしょう。
父は提督、兄も海軍人。
戦前、陸軍は長州、海軍は薩摩が強かった。
海域学校出身という経歴は、陸軍ではエリートコースに乗りにくくなる。
そんなデメリットを乗り越えてまで、鶴見に憧れて陸軍入りを果たした鯉登。しかもそのまま、中央への反逆計画に父ごと乗せられてしまった鯉登。
彼の将来は残念ながら暗澹としてきました。今からでもサーカスの貴公子を目指した方が、幸せな人生を送れそうではあります。いや、それもどうでしょうか。
前述の通り明治20年前後に生まれた彼には、暗澹たる未来が待ち受けています。
そんな彼の未来を考えてみましょう。
日露戦争勝利の陰で
戦争は悪なのか?
日清と日露戦争は肯定されていたはずだ。
そういう意見もありますが、当時からこの二つの戦争にも様々な意見がありました。
むしろこの戦争を、その後の戦争と切り離すことに無理があります。世界的な定義では【連続した帝国主義の戦争】として扱われる。
後の戦争とこの二つの戦争が違うとすれば、それは勝敗なのです。
日露戦争には、生まれる時期が遅く参戦できなかった鯉登。
彼は勝利の機会を失った軍人といえます。
彼が所属する日本陸軍には、日露戦争のあとは綻びが出てゆく。
その予兆は、作中の時系列ではもはや出ておりました。
尉官の戦死率が高い
日露戦争では、前線指揮を執っていた中尉や少尉といった士官の死亡率が高い。
花沢勇作少尉もその一人に当たります。
日本軍の未来を担う未来の将の死は、禍根を残しました。
鯉登平二が我が子を指揮官として鍛えたいと願う背景には、こうした事情もあるのでしょう。
捕虜待遇
日露戦争時は、日ロ両国ともに捕虜を厚遇しました。
これは画期的なことでした。
日本では西洋諸国とは異なり捕虜を厚遇する慣習がなく、幕末に来日した外国人が驚愕しております。
西南戦争でも、捕虜の虐待や遺体損壊が両軍ともに問題化しておりました。
このことがめざましく改善されたのは、西洋諸国の目を意識してのことであり、その成果が実ったのでした。
第一次世界大戦時までは、美談とされる逸話も生まれております。
その一方で、ロシアから捕虜として帰国した日本兵が地元で冷遇されるような事態も発生しております。
第七師団のアイヌ兵の一部は、帰国費用すら借金をしていたという目撃証言もあるほど。
ロシア捕虜への扱いは概ね良好であったとされていますが、暗い側面もあります。
捕虜で日本刀の切れ味を試したと吹聴していた将校の回想録、捕虜いじめ自慢の記録もあり、危険な兆候は日露戦争の時点でありました。
こうした捕虜への感情は「生きて虜囚の辱めを受けず」という『戦陣訓』に結実し、禍根を残すこととなりました。
第二次世界大戦時の日本人の集団自決、英米をはじめとする捕虜虐待問題は、現在まで禍根を残しています。
※『アンブロークン 不屈の男』
※『レイルウェイ 運命の旅路』
英米との関係という「外患」
日露戦争は、日本が素晴らしかったから勝てたという単純なものではありません。
日本単独では国庫が底をつき、半年も戦闘を継続できなかった。
背景には、ロシア牽制を目指す英米の思惑があったのです。
英米の支援なくして勝利どころか戦闘すらできない、そんな国が彼らを敵に回したらどうなるか?
そのことをのちに日本は証明することとなります。
日露戦争において、ロシアの背後にはフランスもおりました。
日露戦争はイギリスとフランスの代理戦争のような側面もあるのです。
深まる「内憂」
ロシアへ勝利したとはいえ、背景には英米の仲裁がありました。
なんとか終戦まで漕ぎ着け、政府と軍部はホッとしていた。
しかし、この隠蔽主義は庶民には理解できません。
日清戦争の時みたいに、丸儲けではない! あれだけ犠牲を出しながらどういうことだ!
そんな不満が暴発して「日比谷焼打事件」が起き、その対応のための「戒厳令」へと繋がってゆく。
政権維持のため報道を制限し、情報を規制した結果、世相は暗転してゆくのです。

日比谷焼打事件で焼打ちにあった施設の一部/wikipediaより引用
アジアの失望
アジアの日本が、大国ロシアを打ち破った――。
この大ニュースは、世界各地で熱狂的に迎えられました。特にアジア人の間では希望として迎えられたのです。
しかしこの思いは、やがて裏切られることとなります。
そもそもこのイメージは、英米がマスコミの力も使い、積極的に作り上げたものでした。
ロシアという古い国を打破するアジアの新興国・日本。そんなイメージ戦略は英米にとって有用でした。
ただし、それも英米と日本の利害が対立しない限りに過ぎません。
日露戦争の背景にあったのは、新興国の意地でも、アジア解放の願いでもない。朝鮮半島と中国大陸支配をめぐる利権争いであったと、明らかになってゆく。
日本が朝鮮半島を植民地としてゆく様子を見て、アジアの星ではなく、欧米列強の新入りが出現したのだと悟りました。
同じアジア人なのに、解放どころか支配をするのか?
その感情は、長く受け継がれてゆきます。
停滞する状況、そして「神の国」へ
日露戦争は、日本を「神の国」へ向かわせる契機ともなりました。
様々な不足を精神的充足感で補うしかない、そんな苦しい姿がそこからは見えてきます。
軍人英雄史観の萌芽
陸軍・乃木希典と、海軍・東郷平八郎――。
日露戦争の英雄二人は、いわば軍神として崇拝されてゆきます。
教科書に掲載され、神社にすら祀られたのです。
軍神が採用した戦術を、人が否定することはできない。結果、組織の中に硬直化を生み出してゆきます。

東郷平八郎/wikipediaより引用
陸の軍神・乃木希典と「白兵戦重視」
日本とロシアを比較した場合、日本が不利とされたのは物量面でのことでした。
戦術面と技術面で言えば、当時のロシアは欧米でもかなり遅れていた部類に入ります。
「クリミア戦争」で惨敗した背景には、そうした苦しい事情がありました。フランス式の戦術を採用し、白兵戦を重視していたことも特徴です。
「白襷隊」による白兵戦を日本軍は採用し、損害は甚大であったとはいえ一定の効果をあげてはいます。
それはロシア軍が白兵戦術に応じたからでもあるのです。
日露戦争後に制定された『歩兵操典』は、火力主義から白兵主義への転換がはっきりと示されていました。
日本が日露戦争を踏まえて白兵戦を有用であると踏まえたのに対し、欧米では機関銃と重砲による攻撃こそが有効であると考えを改めました。
第一次世界大戦を経て、この考え方が世界の主流となります。
しかし、第二次世界大戦においても日本軍は白兵戦を捨てませんでした。
乃木は、その行動そのものが美化されやすいものでした。

乃木希典/wikipediaより引用
子息の戦死、および明治天皇への殉死という行動こそ、まさしく命を捨ててでも皇国に尽くす日本人像として昇華されるのです。
そんな乃木が重視した白兵戦を否定することは、ありえないことでした。
◆海の軍神・東郷平八郎と「艦隊決戦・戦術至上主義」
バルチック艦隊を撃破した「日本海海戦」は、衝撃的なニュースとなって世界を駆け巡りました。
アドミラル・トーゴー(東郷提督)の名は世界に轟いたのです。
トーゴーの名を冠した地名、農作物、食品は世界各地に存在します。
これは東郷自身が望んだかどうか。ここは注意をしたいところです。

日本海海戦の東郷平八郎/wikipediaより引用
寡黙で質実剛健な薩摩隼人であり、リアリストであった彼は神話化されてゆきました。
西郷の傍にいた小笠原長生は、東郷を英雄とすべく出版や宣伝に尽力し、ラジオ番組にも出演。映画監督になったその息子は、東郷の伝記映画を手掛けているほどです。
東郷のイメージには、小笠原のバイアスがかなり入っております。逸話についても真実かどうか検証が必要です。
こうした熱狂的な東郷崇拝の結果、海軍内にも精神論が蔓延してゆきます。
何があっても「日本海海戦」が再度起こるような、そんな神がかり思想に陥ってゆくのです。
結果、バルチック艦隊側の問題点は軽視されるご都合主義のような戦術論が蔓延。
データを重視したリアリストである東郷ならば、ありえないような楽観論が広がってゆきました。
日本がイギリス海軍から学び、「日本海海戦」でその成果を見せた艦隊決戦・戦術至上主義は、世界では時代遅れのものとなってゆきます。
日本が目指したイギリス海軍は、第一次世界大戦においてドイツ海軍に苦戦し、従来の戦術では勝利できないと学びました。
しかし、日本海軍にそれはできなかったのです。
騎兵の時代も終わった
日露戦争といえば、ヨーロッパを震撼させたロシア騎兵を破った秋山好古の活躍には胸が躍る方も多いと思います。
しかし、その時点で騎兵の時間も残りわずかでした。
第一次世界大戦の時点では完全に時代遅れとなり、騎兵は戦車に置き換えられてゆきます。
※『戦火の馬』では第一次世界大戦が描かれ……
※『硫黄島からの手紙』では、騎兵であった西竹一が戦車隊を指揮する姿が描かれます
◆神話は失敗を糊塗する
神話は成功からのみ生まれるだけのものでもなく、英雄願望や失敗を糊塗するために、生まれることもあります。
日露戦争におけるその代表格が広瀬武夫でしょう。
◆広瀬武夫/wikipedia

広瀬武夫/国立国会図書館蔵
広瀬の戦死は作戦として意味があったのか? そこに反省点はなかったのか? 失敗ではないのか?
このことは指摘せねばなりません。
指摘されると不愉快にも思えるのだとすれば、後世の神話化があるから。
彼がロシア人女性とロマンスを育んだことは、物語としては面白くとも、その能力や作戦結果には何の関係もありません。
快男児にして名誉の戦死を遂げた広瀬は、血湧き肉躍る英雄譚の主人公として愛されました。
しかし、そうした神話が失敗の本質を糊塗したことは確かなのです。
日本が戦争へ向かう中、彼の後にも軍神は生み出されてゆきます。
◆爆弾三勇士/wikipedia
◆武器開発の遅滞
日露戦争においては兵器も活躍しました。
この戦場で成果をあげ、海外へむけて輸出された兵器もあったほど。
『ゴールデンカムイ』有坂成蔵のモデルとなった有坂成章の「有坂銃」も、性能が優れていたことは確かなのです。
◆有坂成章/wikipedia
しかし、日本の武器の進展は停止します。
世界が第一次世界大戦はじめ、多くの新兵器による戦争を重ねていく中、日本では技術が追いつかなくなってゆきます。
日露戦争のために開発された「三十八式歩兵銃」が、太平洋戦争まで現役であったのですから、なんとも暗澹たる気持ちになります。
こうした物質と技術面の不足を補うのが、精神論と神話であったのです。
◆三八式歩兵銃/wikipedia
◆それでも日本は「神の国」だから
技術。財政。そうした苦境を補填するものとして「武士道精神」という精神論が盛んにもてはやされるようになってゆきます。
はじめのうちこそ新渡戸稲造のように、ロシアを倒した理由を知りたがる世界のニーズに応じてまとめていたものでした。
しかし、いつのまにか「日本はスゴイ! 神の国!」という陶酔状態へ突入してゆきます。
「日本兵は魚を食べるから強い!」
「日本が世界の中心でなければならない!」
「日本主義こそ世界が奉ずべき道徳精神である!」
「神の国に敗戦はない!」
「日本人は米を食べるからスゴイ!」(※米は日本だけでなく全世界の2/3で主食とされています)
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お米の歴史はいつ始まったのか~全世界2/3の人々が主食とする驚異の食材
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こうした精神論は、アジア・太平洋戦争における補給軽視や無謀な作戦へと繋がってゆく。
「ビルマにあって、周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物なのである。これだけ青い山々を周囲に抱えながら、食糧に困るなどというのは、ありえないことだ」
そう言い切り、補給をろくに考慮しないまま「インパール作戦」を実行した牟田口廉也はその典型例でしょう。
※食糧難に直面する日本軍を描いた『野火』
こうした状況に、日本人は危機感を抱かなかったのでしょうか?
そうではありません。
山川健次郎は過度の皇室崇拝はかえって危ういと指摘し、バッシングにもめげませんでした。

山川健次郎/Wikipediaより引用
そんな彼ですら、危うい死者崇拝からは逃れられておりません。
それはかつて彼が参加した白虎隊についてのものでした。
はじめのうちこそ純粋な慰霊目的だったのに、やがてムッソリーニまで巻きこまれ、大仰なものとなってゆきます。
そして白虎隊は、国に殉じる青少年の手本として称揚されてゆくのです。
褒められることは気分がよいもの。ましてや異国の人となれば、満足感があるもの。
かくして慰霊と陶酔感が融合してゆきます。
山川健次郎の死後、白虎隊の眠る飯盛山にはドイツからヒトラーユーゲントの隊員たちも招待され訪れました。
少年たちが白虎隊崇拝の言葉を述べる姿に、日本人はウットリとしていたのです。
褒め言葉は素直に受け取るべきものです。
しかし、その背後にある思惑も考慮しなければ、中毒に陥ってしまう危険性はあるのです。
◆ヒトラーユーゲント/wikipedia
ジュリアン・バーンズはこう言いました。
「最も偉大な愛国心とは、祖国が不名誉で、愚かで、悪辣なことをしている際に、それを指摘することだ」
日本にもそういう愛国心の持ち主はいたのです。
ただ、彼らは治安維持法の名の下、弾圧によって口を閉ざすか、命まで奪われてゆきました。
世界大戦と新たなる秩序
日本が現実逃避と視野狭窄に陥りつつある中、世界情勢は変貌してゆきました。
英米の外交も変化してゆきます。
日露戦争後、早くも満州鉄道の権益をめぐり、アメリカの経済界と日本政府間で対立が勃発。
鶴見の野望の背景には、満州鉄道がある――作中でそう示されるわけですが、実際その後の歴史において満州鉄道は重要な要素となってゆきます。
イギリスは、日露戦争の結果を受けて仮想敵国を変更します。
もはや傷つき倒れるしかないロシアではなく、勢いを伸ばすドイツに目を光らせるようになるのです。
その結果、起こったのが、第一次世界大戦でした。
20世紀は世界大戦の時代です。第一次世界大戦とロシア革命によって、欧米諸国は新秩序の模索が必要だと痛感するようになりました。
植民地や覇権をめぐる帝国主義は、世界的な大戦の要因となりうる。植民地の人々もいつまでも支配されているわけではない。
あれほどの帝国であったオーストリアとロシアが見る影もなくなってゆく姿からは、明るくはない未来が見えました。
第一次世界大戦の影響は戦場からの距離もあり、日本では欧米ほど深刻なものとして受け止められません。
変貌してゆく欧米の流れから、取り残されてしまうのです。
そんな状況の中、日本は大東亜(東アジア)の盟主、兄として振る舞うべきだと考えるようになります。
それは、ロシアからソ連となった隣国との緊張感も意味していました。
ソ連と国境を接する満洲国成立により、決戦は不可避となったのです。
昭和14年(1939年)、ついに日ソは紛争に陥ります。
【ノモンハン事件】です。
ソ連時代は死傷者数が隠匿されていた経緯があり、それが明かされると実はソ連側の被害も甚大であったことが判明します。
それでは日本はノモンハン事件で勝利していたのか?
残念ながらそうではないどころか、問題が山積みでした。
損耗率の高さ、兵器開発、戦術、補給、軍備の見直し。
そうした必要な措置も反省もなく、無謀な作戦を立てた者の責任が深刻に追及されないまま、日本はさらなる戦争へと突き進んでゆきます。
ノモンハンの地獄からかろうじて帰国した兵士たちは、厳しい緘口令の元にさらされ、真相を語ることはできません。
そしてこの満洲国成立と日中戦争により、日本と英米は決定的な亀裂が入ってゆきます。
日本が英米との対立後、新たな同盟相手として選んでいたのは、ヒトラー率いるドイツと、ムッソリーニ率いるイタリアでした。

ムッソリーニとヒトラー/wikipediaより引用
かくして日本は、アジア・太平洋戦争へと向かってゆくのです。
日本とソ連の対立、繰り返される歴史
アジア・太平洋戦争時、かつての【露探】のように英米の事情に通じているだけで、売国奴とされ弾圧される人々もおりました。
彼らは「非国民」とよばれ、スパイとして拘禁され、および拷問を受けたのです。
第二次世界大戦においてソ連は連合国の一員として参戦。
欧州の戦線で激闘を繰り広げ、ナチスドイツと戦い抜き、甚大な被害を受けながら、勝利を得ました。
一方の日本は、ソ連に対して、どうにも対応が甘かった。
【日ソ中立条約】があったためか、太平洋戦争末期の日本政府は、ソ連が仲介役となるのではないかと期待していた形跡があります。
その引き換えに、南樺太割譲すら想定していたのです。
鯉登の名は、最後の第七師団長である鯉登行一中将が由来とされています。
鯉登音之進が最後の第七師団長となるのであれば?
かつて旅をした樺太がソ連に蹂躙され奪われる様を、まざまざと見る羽目になるのでしょう。
ソ連は、南樺太だけでは満足できませんでした。
満洲、樺太、北方領土、中国北部、朝鮮半島北部から日本人を連行し、抑留しました。
戦争で人口が激減したソ連は、労働力の確保が課題であり、そのため日本人を人的資源として確保することを目指したのです。
このようにシベリアへと抑留された日本人は、日露戦争時の捕虜とは比較にならないほど、過酷な扱いを受けることとなります。
ソ連政府の対応にも問題がありますが、日本政府の仕打ちも厳しいものでした。
最長11年にも及ぶ抑留期間は就業していなかった状態とされ、年金給付額等にも影響が出ました。
「戦争受忍論」(※戦争では皆被害を受けたのだから、補償を求めず皆で苦しむべきだという論理)のもとで、政府からの補償はなかったのです。
こうした不条理も、日本とソ連の政府間では解決済みであるとして、不満があるのであれば個人単位でソ連政府に請求するべきだとされました。
個人がロシア語で書類を書き、訴える。そんなことは事実上、不可能です。
それだけではありません。抑留者が帰国した日本では、新たな【恐露病】ともいえる共産主義アレルギーが蔓延していました。
結果、抑留者はソ連帰りということで「アカ(共産主義者)」とみなされ、就職等で差別を受けることとなる。
本人だけではなく子息にまで、就職差別のような差別が及んだ例もあります。中国大陸からの帰還者も同様の事例がありました(「レッドパージ」)。
この問題は、現在まで続いています。関係者が亡くなっても、問題は終わらないのです。
◆平和祈念展示資料館/戦後強制抑留コーナー(→link)
令和元年(2019年)、衝撃的なニュースが報道されました。
ロシアから返還されたシベリア抑留者の遺骨が、アジア人ですらないと判明したのです。
あまりに杜撰な対応でした。
◆シベリア抑留戦没者の遺骨「すべて日本人ではない」(→link)
国家間で翻弄される人々
厳しい体験をした人物が多い『ゴールデンカムイ』。
実はお気楽ボンボン鯉登こそ、その悲運の人物筆頭になりかねない。騙されて、洗脳されて、キャリアを変更させられて、治療費をたかられる。それが20巻でした。
その未来も残念ながら暗い。
しかし、悲惨な運命であるのは彼だけではありません。
エノノカのような樺太アイヌも、太平洋戦争を経て厳しい命運に直面します。
アイヌは日本国民であるため、ソ連領となった樺太から移住させられてしまうのです。彼らは生まれ育った故郷を失ってしまうのです。
樺太のみならず、北方領土問題も日ロ間の懸案事項です。
◆北方領土問題/wikipedia
平成30年(2018年)末、プーチン大統領はアイヌをロシアの先住民族と呼ぶ提案に賛成しました。
ロシアは多民族国家でありながら、アイヌが含まれないことはおかしい。そう言われればその通りではあります。
それはそれで喜ばしいこととしても、北方領土と日ロ間の歴史をふまえれば、どうしても政治的な思惑がちらついてしまうのです。
時代錯誤的な【恐露病】だの、【露探】だの、そんな概念を今更持ち出す必要はありません。
特定の国への恐怖心を、暴力や差別の言い訳にすることはできません。
「おそロシア!」というネットスラングではしゃぎ、プーチン大統領の雑コラで遊んでいる場合ではないでしょう。
ロシアをおちょくって侮辱するようなことは慎むべきではないでしょうか。
令和元年(2019年)、日本政府は「北方領土」という名称すら自重するようになりました。
◆政府、「北方領土と言わないで」(→link)
二つの国の間にある緊張感は、まだ続いているのです。それが国と国を接する同士の宿命でもあります。
神話を求める気持ちも繰り返されるのか
そしてもう一点考えたいことは、日露戦争の神話化です。
本稿のために参考文献を見ていると、日露戦争関連書籍には『坂の上の雲』をより楽しむことを目的としたものが多くありました。
ドラマ化以前からある傾向でした。
日露戦争は巨大なロシアに大勝利を収めた、日本の類稀な歴史であり、味わうぶんには高揚感があることは確かなのです。
しかし、ここで考えねばならない点があります。
司馬遼太郎氏本人は映像化を拒み、死後ドラマ化されていること。
司馬遼太郎氏は「ノモンハン戦争」を扱おうとしていたものの、挫折していること。
彼はどうしてそうしたのか?
本稿を書いているうちに理解できた気がします。
日露戦争賛美と「ノモンハン事件」の結果は、コインの裏表のようなものではあります。「ノモンハン事件」敗北の萌芽は、日露戦争の時点でもうあるのです。
日露戦争を賛美したあとの巻き返しを懸念するからこそ、映像化を拒んだのでは? そう思い当たったのです。
もう一つ、国民作家たる司馬遼太郎氏の功罪についても、考えさせられることとなりました。
日露戦争を契機に変貌したものとして、
【戦国時代の合戦像】
があります。
江戸時代以来、軍記物や祖先を崇拝する藩の記録において、既に潤色が始まっていたことは確かです。
そんな英雄崇拝をしていた江戸期の日本人は、ナポレオン戦争について知識を深める過程でショックを受けます。
ヨーロッパでは、日本の戦国時代どころではない規模の合戦がある。ナポレオンはなんという英雄なのだーー。
幕末史を眺めていくと、薩摩藩・西郷隆盛、長州藩・吉田松陰、幕臣・勝海舟まで、大勢の人物がナポレオン戦争を参考にしています。
この傾向は明治維新以降も続き、ヨーロッパの英雄に負けぬ英雄の育成が課題として意識されていたのです。
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幕末にナポレオンブームが到来『那波列翁伝初編』を耽読した西郷や松陰
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日露戦争後、それが変わりました。
明治26年(1893年)から明治44年(1911年)にかけて、参謀本部は『日本戦史』を編纂します。
桶狭間の合戦。
長篠の戦いにおける「三段撃ち」。
奇策と戦術を駆使した日本人はスゴイ! そういう論調が強められ、そこにはある傾向を見出せます。
リップサービスや肯定的な論を針小棒大に扱う。
物資面で勝る相手を奇襲で打ち負かす。
軍記のようなフィクションベースであることも珍しくはない。
要するに、
【物資面で劣っていても、日本の奇襲で勝利できる】
という結論なのです。
信長の生涯において、奇襲勝利と言えるのは桶狭間のみ。

織田 信長/wikipediaより引用
彼自身、薄氷を踏んだ勝利だと自覚しており、二度と危険な賭けを繰り返すつもりはなかったのでしょう。
それが戦争のリアルでした。
ところが桶狭間礼讃は、願望を現実にあてはめようとする、滑稽な逆転現象なのです。
本来冷静でなければならない軍の参謀と、冷静に歴史を探究すべき学者が加担した歴史修正。
徳富蘇峰の『近世日本国民史』等にも、この影響は引き継がれてゆきます。
ではその後、太平洋戦争の敗戦を経て軌道修正はされたのか?
というと、そうではないと思えます。
現在に至るまで、織田 信長こそが改革者であり、戦術の大天才であるという評価は根強い。
その根底には、日本スゴイ感情がやはり見え隠れしているのでは?
そして、その原因を探っていくと、司馬遼太郎氏の著作に行き着くことが実に多いと感じます。

司馬遼太郎/wikipediaより引用
彼の作品を読むと高揚感があり、日本の歴史に誇りを抱けることは確かです。
しかし、それだけでよいのでしょうか。
彼の著作は高評価であるものの、歴史的な正確性では疑念が持たれている記述もあります。かつ彼自身の考えなのか、何か根拠があるのか、区別がつけにくい。
「メッケルは関ヶ原の布陣図を見て、西軍が勝利したと言った」という逸話が、その有名な一例でしょう。
幕末がらみでは実際に起きた場所とは関係ない場所にモニュメントが建ってしまうような、混沌とした状況があるほど。
それほどまでに彼の著作が受け入れられたのは、なぜなのか?
江戸時代から現在に至るまで、日本は海外に対して劣等感を抱くことと、優越感を抱くことを繰り返してきました。
敗戦を経てどん底まで落ちた日本人の自尊心が、司馬氏の描く英雄像を求めたとして、それは不思議ではないことです。
彼の作品は大衆の心理にフィットするという意味でも、秀逸であったのでしょう。
本稿を書くのは恐怖体験でした。
『ゴールデンカムイ』から始まったはずが、日露戦争関連を調べてゆくうちに、『坂の上の雲』にたどり着き、司馬氏にまで到達してしまった。
はっきり言えば「こんなことをする意味はない」と思います。お気楽な歴史サイトならば、無駄に喧嘩を売らずに、彼の暗澹たる未来なんて無視して、ショタ鯉登萌えですね〜♪ で終わらせてもよかったはず……。
話を『ゴールデンカムイ』の特性にまで戻しましょう。
この作品は、日露戦争を扱ったフィクションでも特異性が大きいものと言えます。
アイヌを扱っているだけではありません。
日露戦争を栄光ある勝利としてではなく、破綻の前兆や危ういものとして扱っている点が興味深いのです。
※敢えて近いものをあげるとすれば『二百三高地』『八甲田山死の行軍』、山田風太郎の明治ものでしょうか
明治時代から、日本は割と無茶振りをしていたのではないだろうか? 冷静にそう思える、そういう視点があるのです。
ヒンナヒンナと浮かれていたら、いきなりヒグマが襲ってくるような怖さがある。
『ゴールデンカムイ』と『坂の上の雲』のファンが重なることは、簡単に想像がつくことではあります。その通りでしょう。
ただし、同じ日露戦争を扱うにせよ、その姿勢としては異なるということは、重要であると思えるのです。
★
明治維新を成し遂げた薩摩閥出身である鯉登は、屯田兵が多い第七師団では異色のエリートと言えます。
彼の父・鯉登平二は、東郷平八郎を思わせる薩摩出身の提督です。
この父子は、鶴見が企む満洲を巻き込んだ計画に巻き込まれてゆきます。
満洲の存在が明言され、その重荷を背負わされる鯉登父子。
彼らの境遇には、日本の近現代史が持つ宿命が反映されているのかもしれません。
『ゴールデンカムイ』は漫画そのものとして面白いだけではなく、日本とロシア、樺太、アイヌの歴史を考える上でも上質の教材となりえるのです。
たとえ残酷だとしても、歴史を振り返る上では欠かせない視点がそこにあります。
読み終えてわくわくして、笑ったあと、真顔になって考え込みたくなる作品はそう多くはない――そんな稀有な作品なのです。
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【参考文献】
『ゴールデンカムイ20巻』(→amazon)
山田朗『戦争の日本史20 世界史の中の日露戦争』(→amazon)
崔文衡/朴菖熈『日露戦争の世界史』(→amazon)
奥武則『ロシアのスパイ 日露戦争期の「露探」』(→amazon)
吹浦忠正『捕虜たちの日露戦争』(→amazon)
コンスタンチン・サルキソフ/鈴木康雄『もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から』(→amazon)
加登川幸太郎『三八式歩兵銃―日本陸軍の七十五年』(→amazon)
小林英夫『世界史リブレット 日本のアジア侵略』(→amazon)
宮崎正勝『覇権の世界史』(→amazon)
栗原俊雄『シベリア抑留 未完の悲劇』(→amazon)
栗原俊雄『シベリア抑留 最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ』(→amazon)
栗原俊雄『シベリア抑留は「過去」なのか』(→amazon)
早川タダノリ『「日本スゴイ」のディストピア』(→amazon)
テッサ・モリス=スズキ/伊藤茂『愛国心を考える (岩波ブックレット) 』(→amazon)
渡部竜也『Doing History:歴史で私たちは何ができるか?』(→amazon)
平塚柾緒/太平洋戦争研究会『図説 日露戦争』(→amazon)
平塚柾緒/太平洋戦争研究会『図説 従軍画家が描いた日露戦争』(→amazon)
コリアーズ/小谷まさ代『米国特派員が撮った日露戦争』(→amazon)
『日露戦争古写真帖』(→amazon)
『国史大辞典』
他







