『鬼滅の刃』9巻/amazonより引用

この歴史漫画が熱い! 明治・大正・昭和

『鬼滅の刃』宇髄天元の魅力は色香だが……その真髄は誠実さにある!

『鬼滅の刃』は王道の少年漫画である――要は、ベタな展開をしていると思れていて、その実、ひねりにひねった要素も多かったりします。

その顕著な例が、大ヒットした劇場版『無限列車編』に続く、戦いの舞台でしょう。

なんと吉原遊廓なのです。

少年漫画で吉原遊廓って……そんなことアリなのか? 炎柱・煉獄杏寿郎を失った傷すら癒えていないのに、すぐさま凄い男がやってくる。

それが音柱・宇髄天元(うずいてんげん)です。

少年漫画の色気を超越したセクシー過ぎるキャラクター。

本稿では天元を考えてみたいと思います。

※文中の記事リンクは文末にもございます

 

忍者に原点回帰せよ

吉原という舞台は非常に稀ながら、天元には、伝統的な少年漫画ヒーローらしい要素があります。

それは忍者であることです。

正確には「元忍者」となりますが、実は江戸時代から、日本人は忍者に憧れていました。

彼らの仕事は諜報が基本ながら、

「きっと様々な妖術や特殊能力を使うに違いない!」

と想像を膨らませたのです。

19世紀前半に書かれた松浦静山甲子夜話』には、奇妙な忍者の話が収録されています。

江戸という泰平の世では、忍者はプロフェッショナル諜報員ではなく、ファンタジックな戦闘員として認識されていったのです。

それは明治維新以降も続きました。

小説はじめフィクションで忍者は大活躍!

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フィクションのイメージが強すぎるせいか。

忍者というものが、よくわからない存在になった弊害はあります。

堕姫が「忍者なんて江戸時代に滅びた」と言い切ったとしても、それは仕方のないところ。それでも「忍者はいた」と天元は言います。

実際に、彼は忍者としてのスキルを発揮。しかも史実準拠だったりします。

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いったい何が史実準拠なのか。具体的に見ていきますと……。

◆情報収集は任せろ!
→抜群のコミュニケーション力

鬼殺隊には「もっとコミュニケーションをちゃんとしようよ」と言いたくなる柱もいます。

言葉足らずの冨岡義勇。

会話をする気すら感じられない時透無一郎。

蛇を連れている時点で困ったことになっている伊黒小芭内。

そんな中、天元はきちんとコミュニケーションが取れる!

強引なところもあるけれど、話しやすさを感じさせます。吉原でも女将の心をばっちり開いています。

これも忍者のスキルだ――と言われたらどう思いますか?

忍者は情報収集をする。そのためにコミュ力は非常に重要な資質でした。

義勇や無一郎のような性格では、そもそも集団になじめず、コミュ力どころじゃありません。

◆薬物の扱いは任せろ!
→医者ほどじゃないけどな

天元は戦闘時に薬物を使用。爆薬の扱いにも長けており耐性もある。

これぞまさしく忍者なのです。

伊賀市や甲賀市は、薬物や爆薬作りが伝統的産業であります。

堕姫の言葉通り、忍者なんて江戸時代には滅びていたように思えるけれども、それを天元が否定したように、彼らの技術は生き延びていました。

忍者としての伝統あっての天元です。

ただ、あくまで伝統的なものであり、西洋の【科学革命】由来の薬学・医学知識を駆使するしのぶや珠世には及びません。

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◆高い身体能力に、戦闘の把握!
→そこは上忍だからな

天元は、若き天才である無一郎、単独戦闘能力が高い煉獄杏寿郎、彼よりも腕力が勝る悲鳴嶼行冥と自分を比較する冷静さがあります。

確かにこうした柱と比較すると、飛び抜けているわけではないと認識している。

腕力、身体能力は忍者ゆえの高さがあるとはいえ、飛び抜けてはいないと自己分析をしています。

ただ、彼は上忍(忍者の頭領・指揮官)であるだけに、将としての能力は高い。

炭治郎、善逸、伊之助、そして女房3人を庇い、連携しつつ、戦局を見ながら戦うリーダーシップ、戦術は抜群のものがあります。

【譜面】は、兵法を嗜んできた上忍らしい術です。

忍者は実在した、おとぎ話だけにものじゃない――天元はそう証明しつつ忍者としての可能性を突破してゆきます。

 

忍者へのアンチテーゼ

そんな天元は“元忍”と語ります。

元だけに、忍者としてのスキルは抜群でも、納得しているわけではない。そんなアンビバレントな感情を、自分自身へのルーツに抱いています。

厳しい忍としての修行で、9人いた兄弟姉妹のうち7人が失われた。

生き延びた弟は、父そっくりの冷酷な存在になっていた。

俺はそうはならない、忍を超えた忍になる――。

そんな心意気が天元にはあります。

歴史とフィクションにおける忍者像へのアンチテーゼもたくさん秘めている。

だからこそカッコいい、新時代の忍者だ!

◆忍ばない、ゆえに派手

忍者がやたらと派手な格好をするのは、あくまでフィクションとしての見栄えゆえのこと。本来、地味でなければいけません。

そんな掟を破り、もはや派手でなければ生きる意味がないと言わんばかりに、祭りの神として君臨しています。

善逸すら呆れ果てるただの派手好きのようで、彼なりの信念を感じます。

◆捨て駒にはならねえ

昭和以降の忍者ものフィクションは、一大ブームとなった山田風太郎「忍法帖」シリーズの影響を強く受けています。

第二次世界大戦を見てきた山田風太郎は、人間の命が駒のように捨てられ消費される、命が軽い殺伐とした世界観を展開しました。

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天元の育った忍者の家は、まさしくそんな価値観準拠であると言えます。

家族の命すら失われて当然であると認識し、心を閉ざして、冷徹になってゆく。

そんな世界から人間性、生命が尊重される世界へ飛び出した天元は、忍者ものフィクションへのアンチテーゼにもなっているのです。

◆女房と堅気の命は大事だ

そんな忍者ものでは、くノ一は戦力として弱いからこそ露骨な道具扱いをされます。

性的にも、戦力的にも、消費されることが当然とされてしまうのです。

天元はそんな忍者の価値観を否定すればこそ、女房の命を最優先すると言い切る。妻の命を守るために戦うとなれば、制限も出てくる。それすら厭わず、任務を遂行する。彼女らを驚かせ、感動させ、尊厳を取り戻させる。

だからこそ、女房は彼に惚れてしまうのでしょう。

忍者もののフィクションには、その時代によって作者が抱く価値観が付与されています。

忍者は武士より一段下、汚れ仕事をする影の存在とみなされる。

必要な存在なのに、命は軽く、死んで当然、卑しいものとみなされてしまう。

それでいいのか?

忍者が命の重みを求めてはいかんのか?

前述した「忍法帖」シリーズなり、『カムイ伝』なり、『あずみ』には暗い情念と問題提起がありました。

しかし、少年向けかつ近年の『NARUTO』や『忍たま乱太郎』では、そこは重視されない傾向はあります。ヘビーになりすぎる問題はある。

それを天元の場合、捨て切らずにアンチテーゼとして反映しています。

極めて高度な設定と問題提起がある――考え抜かれた存在。

それが吉原という舞台で生きてくるのです。

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