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【富岡製糸場】
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英国の児童労働者は平均寿命15才
実は、この状況とそっくりそのまま近い例は他にありました。
国内ではなく、ちょっと前にヴィクトリア女王の下で全盛期を謳歌していたイギリスです。
[ 続きを見る大英帝国全盛期の象徴・ヴィクトリア女王はどんな人で如何なる功績があるのか
富岡製糸場ができる半世紀前、19世紀前半のイギリスではこれ以上に過酷な労働をさせられていた子供がたくさんいました。
産業革命によって、より多くの労働力が必要となり、大人だけでは足りず、子供にできることは子供にやらせるという雇い主が多かったのです。
よく教科書で取り上げられているのは「炭鉱で石炭などを積んだトロッコを曳く子供」の絵だったり、あるいは煙突掃除や紡績工場で働かされている子の姿だったりしますよね。
体が小さいため、こうした狭い場所で働くのに適しているとされました。
しかも「子供なんだから賃金安くてもいいだろ?」という始末。
当然、健康や人権なんて考えもしていません。PM2.5なんて言葉もなかったろうし。
彼らの労働環境の悪さについては、しっかり記録が残っています。
一例を挙げると……。
・朝の3時から夜の10時まで働いていた
・工場や煙突の汚いにもほどがある空気を吸い続けたせいで肺病になり、死ぬ子供が多かった
・リヴァプール(ビートルズの出身地)での児童労働者の平均寿命は15歳!
特にこの労働時間と死者が続出というあたりがまんますぎますね。
ちなみに、イギリス議会でこれらが問題になったのは1832年。
産業革命が始まってからおおよそ70年ほど後のことでした。
となれば、富国強兵に焦る明治の日本でイギリスと同じことがなかったともいいきれません。
ただし、映画に出てくるような「サボったら鞭で打たれた」とか「逃げないように枷を嵌められていた」ようなことは、さすがになかったでしょう。
コレラや結核の噂が広まったせいでは
では、なぜ過労死でバタバタという話ができてきたのでしょうか。
当時の日本では、コレラや結核が全国的に多くなり始めていました。
おそらく富岡製糸場が「劣悪な環境だった」と噂されたのは、場内で結核もしくはコレラが流行り、一時的に病死者が増えた……というようなことがあったからではないでしょうか。
そして急激に工場で死者が増えたことにより、「あの工場ではひどい働かせ方をしているに違いない!」なんて言われるようになったのかもしれません。
当時は今ほど報道メディアもありませんし、もし病気が流行っていたら誰も調査や取材になんて行きたがらなかったでしょうからね。
『ああ野麦峠』の映画にしても、原作とはかけ離れた内容になっていることが指摘されています。
「百円工女」と呼ばれたエリート女性の稼ぎ振りや、雇い主側の苦悩といったシーンが削られてしまっているそうです。
ちなみに当時の百円は今の200万円くらい。
過酷な一面もあったでしょう。ただし、小説やノンフィクションの映像化によって、内容に乖離が生じるのも避けられない――そんな可能性も念頭に置いた方が良さそうな気もします。
★
富岡製糸場は昭和六十二年(1987年)まで稼動し続けていて、現在もかなりきれいな状態で建物が残っています。
世界遺産の登録に続き、大河ドラマ『青天を衝け』を機に注目度は一気に上がることでしょう。
映像化をキッカケに、また新たな史料が出ていることを期待したいですね。
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長月 七紀・記
【参考】
和田英『富岡日記』(→amazon)
群馬県生涯学習センター(→link)
お茶百科/伊藤園(→link)
man@bow(→link)