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【新宿御苑・京都御苑・皇居東御苑】
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京都御苑
京都御所の周辺部分が京都御苑となります。
「御苑」という名ではありますが、豊臣秀吉の時代に作られた公家屋敷街が原型なんですね。
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「公家は皇居のすぐそばに住むべき」という、わかるようなわからないような理由で強制的に移住させられたとのことですので、当時の公家の人々はさぞ歯噛みしたことでしょう。
江戸時代も同じような状況でしたが、明治天皇の東京奠都の際にほとんどの公家が東京に移り、さらに法律的にも「公家=華族は東京に住むべし」と決まってしまったことで、この界隈はあっという間に荒れていってしまいます。
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人がいなくなった屋敷が荒れる・荒らされるというのは、それこそ平安時代からの常識ですからね。
しかし、それを憂える人が一人いました。
自身も公家の出身であり、倒幕の際には一役買った、岩倉具視です。
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政府は「西洋に追いつけ追い越せ」でしたが、岩倉は「古いものも残しておかねば」と考え、政府に京都御所周辺の保存を提案します。
京都府がこれを受け入れ、空き家の撤去や土地の整備が始まりました。
空き家の中でも閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう)の邸宅や他の公家の庭園、蛤御門など、保存されたものもあります。
その後、管轄が京都府から宮内省に移り、さらに大正天皇の即位の礼が京都で行われたことで、一気に整備が進みます。
それにしたがって植物が増え、さらに野鳥や昆虫もやって来るようになり、緑豊かな庭園となりました。
……が、最近は放置自転車が増えてしまっているそうで、環境省が困っているとか。
というのも、ここは環境省の管轄であるがゆえに、京都市の放置自転車撤去条例の対象外のため、対処しようにも諸々の理由があって動きにくいのだとか。
皇宮警察が動くわけにもいきませんし、環境省が直接人員を雇うのも難しいでしょう。
そもそも撤去するだけではあまり防止は見込めません。困ったものです(´・ω・`)
皇居東御苑
元江戸城本丸・二の丸・三の丸だった、皇居の東側にある御苑です。
皇居の一部として、宮内庁の管轄になっています。
宮内庁のお役所や三の丸尚蔵館などの施設のほか、江戸城時代の番所(警備の詰め所)や櫓、天守の跡、忠臣蔵・元禄赤穂事件で有名な松の廊下跡などが存在します。
皇居東御苑は観光地としても有名ですが、皇室勤労奉仕団の活動場所としても知られていますね。
日によっては、天皇・皇后両陛下からご会釈を賜ることもあるとか。
皇室勤労奉仕団は平日で連続4日・15~60人の団体でなければならないなど、いろいろ制約が多いのですが、東京近郊で何かボランティアをしたいという方にはいいかもしれませんね。
元々手入れされている場所ですし、普段入れないような場所にも入って清掃・除草などをするので、貴重な体験になるでしょう。
余談ながら。
皇居東御苑と皇居の間くらいにある、和田倉噴水公園もなかなか気持ちの良い場所なので、ついでにオススメしておきますね。
こちらにも江戸城時代の石垣が残っています。
夜間は噴水がライトアップされてなかなかロマンチックな雰囲気になるようです。
皇居東御苑は出入りにちょっとした手続きが要りますが、和田倉噴水公園はそういったものがないので、気軽に立ち寄れます。
観光というと大きな建物を見て回ったり、グルメスポットを巡ることが多いですけれども、御苑と名のつく場所で、一息つきながら歴史的な空気を感じてみるのも良いのではないでしょうか。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
環境省
新宿御苑/Wikipedia
京都御苑/Wikipedia
皇居東御苑/Wikipedia
皇居東御苑の公開について/宮内庁