北海道の食の歴史

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過酷そのものだった北海道「食の歴史」米豆が育たぬ地域で何を食う?

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ヒグマにとっても、入植者にとっても、互いに食料になるという遭遇でもありました。

不幸な事故も起こっています。

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ヒグマが人を食べるだけではなく、その逆もありまして。

二瓶鉄造(漫画ゴールデンカムイの凄腕猟師)のような猟師が北海道にはおりました。特に冬のヒグマは、分厚い皮下脂肪が栄養満点なのです。

彼らはヒグマを仕留めると、毛皮や肉を近隣に配りました。

肝臓は薬物としても珍重されたものです。

こうした狩猟の背景に、アイヌから伝わった知恵があることは、言うまでもありません。

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ジンギスカンが残った北海道

岐阜県の郷土料理に「鶏(けい)ちゃん」というものがあります(鶏ちゃん合衆国)。

なかなかの美味なのですが、この歴史を調べていて引っかかったことがありまして。

本来は、羊毛採取後の羊肉(マトン)を使っていた料理なのに、どうにもそのクセと臭いが敬遠されてしまい、鶏肉に切り替わったそうなのです。

羊肉は日本ではあまり受け入れられないものでした。

その例外が、北海道です。

北海道といえば、肉食グルメも目玉ではあります。

しかし、日本の歴史をたどってみれば、肉食なんてものは野蛮という認識。

明治以降でも、畜産は臭くて野蛮だから、なるべく郊外でやるようにした方がよい、という認識がありました。

もうひとつ、肉を食べるということにはリサイクルという側面もあります。

例えば馬肉の場合、馬車馬や農耕馬が死んでしまったあと、もったいないから肉を食べるという発想になるわけです。

羊肉も、はじめのうちはウールの副産物という発想です。

日清戦争日露戦争ともなりますと、軍服のためにウールが必要となります。そのための羊飼育が、広大な北海道で行われた。

ウサギ肉も、似たような理由で飼育と食用がなされておりましたが、現在では廃れております。

岐阜の「鶏ちゃん」のように羊肉料理が姿を消していった中、北海道では「ジンギスカン」が定着し名物となりました。

タレに様々な工夫が施され、ガレージや庭などの屋外で食べることで臭いを克服するという工夫も、その背景にはあるでしょう。

グルメとかそんな悠長なことではなく「食べられるものならば何でも食べねばならない」そんな過酷な環境もあったのではないでしょうか。

そうした環境がもたらした肉食として「犬肉食」があります。

昭和10年代までは、北海道各地で犬肉を食べる風習が確認できます。

もっともこれは北海道だけではなく、薩摩藩はじめ日本各地で残されていたものでした。

日本で犬肉食が禁忌とされたのは江戸時代の「生類憐れみの令」以降ですが、中央から遠ざかるほど実効性が薄かったのです。

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中央から遠く、貧しい食生活を送らねばならない北海道で、犬肉食が残ったことにはそれだけの理由があったのです。

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北海道の食に残る歴史的な要素

北海道の食文化には、様々な歴史的要素が残されています。

ざっとまとめてみましょう。

・塩味ベースの味付け

→長らく味噌と醤油が貴重品だった

・海産物で出汁を取る

→塩ベースとなるため、味噌や醤油での味付けでは出せない風味を補う

雑煮の味付けや餅の形が、地域によってかなり異なる

→入植者の出身地ベースに依るため

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・肉料理が豊富

→背景に、貧しかった食生活、酪農、衣類のための畜産という要素がある

・山菜や木の実を利用した料理が多い

→アイヌの知恵や工夫を学んだ

・しみ大根やしみ芋

→寒冷地ならでは、冷凍保存によるもの

和食の歴史は、江戸時代にほぼ完成形を見たとされています。

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しかし北海道の場合、開拓と入植が本格的に進んだ明治以降に発展を遂げます。

元からあるアイヌの知恵と食文化。

松前藩の人々が持ち込み、広めていったジャガイモ。

明治以降の入植者が導入した、出身地からの食生活。

外国から持ち込まれた、果樹栽培、洋食、ラーメン

スコットランド人の妻を持つ竹鶴政孝が根付かせたウイスキーも、北海道の食文化と呼んでもよいでしょう。

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そこにあるのは、様々な文化や習慣、そして食材が混じり合う独特の味わいなのです。

現在のグルメもよいものです。

その一方で、北海道には入植者やヤン衆(※ニシン漁等に携わる労働者)の苦労をしのばせる郷土料理も数多く残されています。

北海道の米だって、酪農品だって、果物だって。

そこに定着するまでには血の滲むような努力があったはずです。

時にはそんな苦労も偲びつつ、歴史ごと北海道を味わってみようではありませんか。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
村本直人『北海道の食』(→amazon
『当別町140年企画第7話こめづくりの今昔物語PDF(→link)』(北海道当別町→link

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