友人からそんなふうに言われたら、どう思います?
鮭、いくら、サンマにジンギスカン、サッポロビールと味噌ラーメン……。
「美味いもん食べまくりだな!!!」
という嫉妬に続き、六花亭やロイズのお土産をねだったりして、ともかくあなたの口元は(^q^)ジュルリとほころぶことでしょう。
しかし、です。
北海道のグルメが有名になったのは、そう昔からの話ではありません。
なんせ本格的な入植が始まったのは明治維新後のこと。
開拓者や屯田兵は、本州とはあまりに違う気候に悩まされ、日々の食にも四苦八苦しておりました。
贅沢どころか、ひもじく来るしかった――北海道の食の歴史を見て参りましょう。
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臭くてマズイ 冷蔵技術も未発達
北海道への入植が始まった明治時代。
日本人の食習慣が今とは異なっており、現在好まれている北海道特有の品々も、こんな風に思われておりました。
◆乳製品→明治時代の人々にとってはむしろ「臭くてマズイ」
◆豚肉と牛肉→あくまで外国人向け
◆羊肉→臭くてマズイの代表格
◆海鮮料理→冷蔵技術が未発達なため、距離の遠いところではそうそう気軽に食べられない
◆米→稲作が普及しておらず主食はジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ
現代のようなラーメン、スープカレー、チョコレートなど、口元(^q^)ジュルリな食べ物は、戦後、普及までにかなりの時間がかかっております。
西洋から持ち込まれた果樹栽培についても、苦労を重ねてなんとか定着させなければ……という状況でした。
鰊(ニシン)やエゾシカのように、過剰な狩猟や漁業によって、生態系が歪んでしまった悲劇もあります。
なにより明治時代はしばらくの間、稲作すらできませんでした。
米飯、味噌、醤油、漬け物がない
主食となる炭水化物は、ジャガイモからの摂取に頼りました。
トウモロコシだって米飯代わりにやむなく食べるもの。米が取れないから、糠(ぬか)もない。つまりは沢庵(たくあん)といった漬け物すら作れません。
しかも、その頃は梅も大豆も作れない。
えぇ、そうです。
味噌と醤油も納豆もないということに他なりません。
米、味噌、醤油、漬け物。調理に大事なものが何もない!!!
本州から来た人々にとって、さぞかし絶望的な状況だったことでしょう。かつての北海道がどれほど味気ない食事だったか、辛かったか……想像を絶するものがあります。
※以下は北海道開拓の関連記事となります
ゴールデンカムイ舞台 現実の北海道開拓は想像以上に過酷だった
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漫画『ゴールデンカムイ』の杉元は、好物の干し柿が食べられないとアシリパに語ります。
それ以外にも、本州以北にあっても北海道にはない食物がありました。
※「アシリパ」の「リ」は小文字です
「三平汁」に見られる苦労の跡
北海道出身者にとっては、懐かしの味があります。
その代表格が「三平汁」です。
かつてはただの「三平」と呼ばれていたそうで、鮭のアラや魚介類たっぷり。塩でシンプルに味を付けても、魚介類の出汁が出ていて実に美味!※レシピ例
というものではありますが、この料理には苦労のあとが見て取れます。
・調味料は塩だけ
→大正時代までは大豆栽培が広まらず、醤油も味噌も高級品だった
・魚介類や昆布を入れる
→出汁を出すということもあるけれども、他に豊富な食材がなかったから
江戸時代からあったこの料理、起源も諸説あって特定はできません。
入植した人々が、ありあわせの材料を刻み汁物にする。
それを松前藩主のような身分の高い方から名前を聞かれ、ひねりだしたのではないかとされています。
ご当地グルメなんて感覚ではなく、限られた食生活の中、人々が工夫を凝らして食べられるようにした料理です。
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