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【大日本帝国憲法】
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大日本帝国憲法とは?
このころ中央では、明治十四年の政変(1881年)が起きておりました。
随分と政変が好きだな!
というツッコミはさておき、これは簡単にいえば、憲法をドイツ式かイギリス式にするかで政府内が揉めて、「議会政治と国会の開設を急ぐべき」としていた大隈重信が失脚します。
以降、岩倉具視と伊藤博文によって憲法制定が主導されることになります。
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しかし、大隈も政治を諦めてはおらず、立憲改進党を作って政界へ新たなアプローチをはじめました。
この党は割と早く解党してしまいましたが、後継となる党があるので完全に消滅したわけではありません(こうした動きが受験生泣かせの政党乱立に繋がっていきます)。
中央で政争が起きている間も、国会と憲法制定を求める声は高まり続け、政府はついに折れます。
明治十四年10月に「明治二十三年(1890年)までに国会を作るよ」と発表し、翌年、伊藤博文が憲法研究のため、ドイツとオーストリアに派遣されるのでした。
現地で憲法のプロにみっちり教えを受けた伊藤。
一年半ほどで帰国し、さっそく起草を始めます。
そして三年ほどかけて草案が作られ、その後、審議とドイツ人顧問らの意見を取り入れて完成したのが……大日本帝国憲法です。
最も参考にしたのはプロイセンの憲法(正式には「ドイツ国憲法」。他にビスマルク憲法やドイツ帝国憲法といった意訳アリ)だとされます。
ヨーロッパの中でも新興国に入るプロイセンを参考にしたのは、かの国の憲法が君主の権力を重視していたからです。
明治天皇を中心かつ神格化したい政府にとっては、ちょうどいいお手本でした。
憲法に記された天皇の特権とは?
大日本帝国憲法の中で天皇のみが持つ特権とされているものは、
・統治権
・立法権
・宣戦、講和、統帥権
などがあります。
とはいっても、これは半分以上名目であって、ほとんどの権利は議会の協力を得た上で行使されていました。
ある意味で例外といっていいのは統帥権でしょうか。
「陸・海軍は天皇が直接率いる」という意味ですが、同時に「軍は天皇に直接指揮されるべきものだから、議会や政府の指図を受けない」ということにもなりえます。
この辺が後々大問題どころで済まない話になるわけです(戦時に軍部が独走)。
余談ですが、政府が憲法を起草~完成させている間、自由民権運動をしていた人々によって私的な憲法案が作られたこともありました。
「私擬憲法」と呼ばれています。
中には「選挙によって選ばれた議会は、行政権の主張である天皇に優越する」とした超先進的なものまであったようです。
よくこの時代にそんなものを発表して、不敬罪でしょっぴかれなかったものですね。
大日本帝国憲法は一応、欽定憲法(=天皇から臣下・国民に与えた憲法)のはずなのですが、序文で「皇祖皇宗の神霊から授かった権力により天皇は臣民を統治します」的なことが書かれているので、王権神授説のような部分もあるように思えます。
王権神授説とは、書いて字のごとく「王様は神様から権力を与えられたんだからエラいの!」という説です。
しかし、ヨーロッパでは16世紀(=明治時代からみて300年程度前)に出てきた説なので、当然近代的ではありません。
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