ゴールデンカムイ20巻/amazonより引用

ゴールデンカムイ 明治・大正・昭和

『ゴールデンカムイ』から徹底考察!世界史における「日露戦争後」の日本とは

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日清戦争

鯉登父子を語る上で欠かせない要素が、20巻で明かされます。

二男・音之進には13年上の兄である長男・平之丞がおりました。

このことから鯉登は、藤田嗣治、山田耕筰、高村千恵子と同年代であると確定したわけです。

父・平二から一字をゆずりうけた平之丞は、鯉登家を継ぐべく期待を背負って生きてきました。

しかし、彼は日清戦争の黄海海戦で戦死してしまいます。

父が見守る中、二十歳を超えたばかりで、戦艦上で命を落とした平之丞。その死は弟にも暗い影を落としました。

兄の死は、急遽、嫡男とされる弟に暗い影を落とすものではあります。

◆黄海海戦 (日清戦争)/wikipedia

日清戦争は、世界史上一大転換点となるものでした。

中国大陸は、長らく西洋から見ても憧れの土地でした。

理由はその面積と人口です。

西洋から東へと向かう中、最大の目的地とされてきたのは中国大陸でした。

阿片戦争があったとはいえ、帝国主義時代の西洋諸国は豊かな資源を持つ中国に対して、植民地獲得へ踏み切れないところがありました。

それが日清戦争の結果を見て、目の色を変えたのです。

なんと魅力的な植民地があることか!

西洋諸国の目が中国に集まります。日本だけにこの中国の権益を渡すわけにはいきません。

日清戦争後、西洋諸国の中でもイギリス・アメリカと対立するロシア・ドイツ・フランスは日本に厳しい態度を取ります(「三国干渉」)。

日清戦争の結果獲得した遼東半島返還を求めてきたのです。

中でも、シベリア鉄道敷設の障害となるロシアは強硬でした。

陸奥宗光のような政治家は予測し得たことですが、庶民にそんなことはわかりません。

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どうして戦争で勝ち取った領土を、手放さねばならないのか?

地理的に近いロシアに対して、日本人の憎しみが高まってゆきます。

 

蔓延する【恐露病】と【露探】への疑惑

残酷なロシア人が憎い!

ロシアを恐れる腰抜け政治家がいる!

日清戦争後、そんなマスコミの空気が醸成されてゆきます。

こうした流れの中で【恐露病】という言葉が使われるようになってゆく。

このころ【恐露病】の政治家筆頭として、伊藤博文があげられておりました。

伊藤博文
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侵略の恐怖と特定の国への恐怖を掻き立てる、そんなアジテーションの標的としてロシアが使われたのです。

同時に日本では、【露探】(ロシアのスパイ)という概念が渦巻きはじめます。

あいつは怪しい。あいつはきっとロシアに日本を売り渡そうとしている! 売国奴め!

そんな風に少しでも怪しいと感じた相手を告発し、時には暴力行為にまで及ぶことがありました。

ロシア語ができる。ロシア正教徒である。ロシア人と交流していた。ロシア文学や料理を好む。

その程度で「売国奴だ!」と罵倒され、マスコミでバッシングを受け、酷い場合は逮捕すらされたのですから恐ろしい話です。

このヒステリックな感情こそ、鯉登父子の遭遇する事件に関係がありました。

あの誘拐事件の背景には、こうした空気が蔓延していたのです。

しかも、彼らがいた場所は函館です。

函館は地理的にロシアに近く、交流があった場所でした。幕末にロシア人がここを訪れ、あの蒸し風呂・バーニャをも作っていたとか。

安政5年(1869年)には早くも函館ハリストス正教会の源流となる聖堂が建てられたのですから、歴史ある交流なのです。

◆函館ハリストス正教会/wikipedia

そんな日ロの交流も、こんな時勢では苦々しく緊張感が漂うものと化してゆきます。

ロシアが海軍力低下を狙っているのでは?

日本を牽制しようとしているのでは?

そんな不安が、海軍人である鯉登平二にあっても不思議はありません。暗躍するロシア人誘拐犯という設定には、説得力がありました。

この杜撰な計画が成立し得た背景と鯉登父子の言動には、こうした背景への恐怖があるのです。父はもちろんのこと、幼い我が子にも自責の念と覚悟がありました。

ロシア滞在歴もあり、ロシア人との結婚歴もあり、ロシア語堪能。

それこそ【露探】と槍玉にあげられそうな経歴を持つ鶴見からすれば、そうした心理を逆手に取るなど、容易いことであったのでしょう。

愛国心、責任感、そして我が子への愛が利用されてしまった。そんな鯉登平二は気の毒であると言わざるを得ません。

それは息子の音之進もそうです。船酔いするとはいえ、彼は海軍人を目指したほうが順調な人生であったことでしょう。

父は提督、兄も海軍人。

戦前、陸軍は長州、海軍は薩摩が強かった。

海域学校出身という経歴は、陸軍ではエリートコースに乗りにくくなる。

そんなデメリットを乗り越えてまで、鶴見に憧れて陸軍入りを果たした鯉登。しかもそのまま、中央への反逆計画に父ごと乗せられてしまった鯉登。

彼の将来は残念ながら暗澹としてきました。今からでもサーカスの貴公子を目指した方が、幸せな人生を送れそうではあります。いや、それもどうでしょうか。

前述の通り明治20年前後に生まれた彼には、暗澹たる未来が待ち受けています。

そんな彼の未来を考えてみましょう。

 

日露戦争勝利の陰で

戦争は悪なのか?

日清と日露戦争は肯定されていたはずだ。

そういう意見もありますが、当時からこの二つの戦争にも様々な意見がありました。

むしろこの戦争を、その後の戦争と切り離すことに無理があります。世界的な定義では【連続した帝国主義の戦争】として扱われる。

後の戦争とこの二つの戦争が違うとすれば、それは勝敗なのです。

日露戦争には、生まれる時期が遅く参戦できなかった鯉登。

彼は勝利の機会を失った軍人といえます。

彼が所属する日本陸軍には、日露戦争のあとは綻びが出てゆく。

その予兆は、作中の時系列ではもはや出ておりました。

 

◆尉官の戦死率が高い

日露戦争では、前線指揮を執っていた中尉や少尉といった士官の死亡率が高い。

花沢勇作少尉もその一人に当たります。

日本軍の未来を担う未来の将の死は、禍根を残しました。

鯉登平二が我が子を指揮官として鍛えたいと願う背景には、こうした事情もあるのでしょう。

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