ゴールデンカムイ20巻/amazonより引用

ゴールデンカムイ 明治・大正・昭和

『ゴールデンカムイ』から徹底考察!世界史における「日露戦争後」の日本とは

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◆捕虜待遇

日露戦争時は、日ロ両国ともに捕虜を厚遇しました。

これは画期的なことでした。

日本では西洋諸国とは異なり捕虜を厚遇する慣習がなく、幕末に来日した外国人が驚愕しております。

西南戦争でも、捕虜の虐待や遺体損壊が両軍ともに問題化しておりました。

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このことがめざましく改善されたのは、西洋諸国の目を意識してのことであり、その成果が実ったのでした。

第一次世界大戦時までは、美談とされる逸話も生まれております。

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その一方で、ロシアから捕虜として帰国した日本兵が地元で冷遇されるような事態も発生しております。

第七師団アイヌ兵の一部は、帰国費用すら借金をしていたという目撃証言もあるほど。

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ロシア捕虜への扱いは概ね良好であったとされていますが、暗い側面もあります。

捕虜で日本刀の切れ味を試したと吹聴していた将校の回想録、捕虜いじめ自慢の記録もあり、危険な兆候は日露戦争の時点でありました。

こうした捕虜への感情は「生きて虜囚の辱めを受けず」という『戦陣訓』に結実し、禍根を残すこととなりました。

第二次世界大戦時の日本人の集団自決、英米をはじめとする捕虜虐待問題は、現在まで禍根を残しています。

※『アンブロークン 不屈の男』

※『レイルウェイ 運命の旅路』

 


◆英米との関係という「外患」

日露戦争は、日本が素晴らしかったから勝てたという単純なものではありません。

日本単独では国庫が底をつき、半年も戦闘を継続できなかった。

背景には、ロシア牽制を目指す英米の思惑があったのです。

英米の支援なくして勝利どころか戦闘すらできない、そんな国が彼らを敵に回したらどうなるか?

そのことをのちに日本は証明することとなります。

日露戦争において、ロシアの背後にはフランスもおりました。日露戦争はイギリスとフランスの代理戦争のような側面もあるのです。

 


◆深まる「内憂」

ロシアへ勝利したとはいえ、背景には英米の仲裁がありました。

なんとか終戦まで漕ぎ着け、政府と軍部はホッとしていた。

しかし、この隠蔽主義は庶民には理解できません。

日清戦争の時みたいに、丸儲けではない! あれだけ犠牲を出しながらどういうことだ!

そんな不満が暴発して「日比谷焼打事件」が起き、その対応のための「戒厳令」へと繋がってゆく。

政権維持のため報道を制限し、情報を規制した結果、世相は暗転してゆくのです。

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◆アジアの失望

アジアの日本が、大国ロシアを打ち破った――。

この大ニュースは、世界各地で熱狂的に迎えられました。特にアジア人の間では希望として迎えられたのです。

しかしこの思いは、やがて裏切られることとなります。

そもそもこのイメージは、英米がマスコミの力も使い、積極的に作り上げたものでした。

ロシアという古い国を打破するアジアの新興国・日本。そんなイメージ戦略は英米にとって有用でした。

ただし、それも英米と日本の利害が対立しない限りに過ぎません。

日露戦争の背景にあったのは、新興国の意地でも、アジア解放の願いでもない。朝鮮半島と中国大陸支配をめぐる利権争いであったと、明らかになってゆくのです。

日本が朝鮮半島を植民地としてゆく様子を見て、アジアの星ではなく、欧米列強の新入りが出現したのだと悟りました。

同じアジア人なのに、解放どころか支配をするのか?

その感情は、長く受け継がれてゆきます。

 


停滞する状況、そして「神の国」へ

日露戦争は、日本を「神の国」へ向かわせる契機ともなりました。

様々な不足を精神的充足感で補うしかない、そんな苦しい姿がそこからは見えてきます。

 

◆軍人英雄史観の萌芽

陸軍・乃木希典と、海軍・東郷平八郎――。

日露戦争の英雄二人は、いわば軍神として崇拝されてゆきます。

教科書に掲載され、神社にすら祀られたのです。

軍神が採用した戦術を、人が否定することはできない。結果、組織の中に硬直化を生み出してゆきます。

 


◆陸の軍神・乃木希典と「白兵戦重視」

日本とロシアを比較した場合、日本が不利とされたのは物量面でのことでした。

戦術面と技術面で言えば、当時のロシアは欧米でもかなり遅れていた部類に入ります。

クリミア戦争」で惨敗した背景には、そうした苦しい事情がありました。フランス式の戦術を採用し、白兵戦を重視していたことも特徴です。

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「白襷隊」による白兵戦を日本軍は採用し、損害は甚大であったとはいえ一定の効果をあげてはいます。

それはロシア軍が白兵戦術に応じたからでもあるのです。

日露戦争後に制定された『歩兵操典』は、火力主義から白兵主義への転換がはっきりと示されていました。

日本が日露戦争を踏まえて白兵戦を有用であると踏まえたのに対し、欧米では機関銃と重砲による攻撃こそが有効であると考えを改めました。

第一次世界大戦を経て、この考え方が世界の主流となります。

しかし、第二次世界大戦においても日本軍は白兵戦を捨てませんでした。

乃木は、その行動そのものが美化されやすいものでした。

子息の戦死、および明治天皇への殉死という行動こそ、まさしく命を捨ててでも皇国に尽くす日本人像として昇華されるのです。

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そんな乃木が重視した白兵戦を否定することは、ありえないことでした。

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