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【『ゴールデンカムイ』から徹底考察!世界史における「日露戦争後」の日本とは】
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◆海の軍神・東郷平八郎と「艦隊決戦・戦術至上主義」
バルチック艦隊を撃破した「日本海海戦」は、衝撃的なニュースとなって世界を駆け巡りました。
アドミラル・トーゴー(東郷提督)の名は世界に轟いたのです。
トーゴーの名を冠した地名、農作物、食品は世界各地に存在します。
これは東郷自身が望んだかどうか。ここは注意をしたいところです。
寡黙で質実剛健な薩摩隼人であり、リアリストであった彼は神話化されてゆきました。
西郷の傍にいた小笠原長生は、東郷を英雄とすべく出版や宣伝に尽力し、ラジオ番組にも出演。映画監督になったその息子は、東郷の伝記映画を手掛けているほどです。
東郷のイメージには、小笠原のバイアスがかなり入っております。逸話についても真実かどうか検証が必要です。
こうした熱狂的な東郷崇拝の結果、海軍内にも精神論が蔓延してゆきます。
何があっても「日本海海戦」が再度起こるような、そんな神がかり思想に陥ってゆくのです。
結果、バルチック艦隊側の問題点は軽視されるご都合主義のような戦術論が蔓延。
データを重視したリアリストである東郷ならば、ありえないような楽観論が広がってゆきました。
日本海海戦でバルチック艦隊を撃破! なぜ東郷平八郎と旧海軍は勝てたのか
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日本がイギリス海軍から学び、「日本海海戦」でその成果を見せた艦隊決戦・戦術至上主義は、世界では時代遅れのものとなってゆきます。
日本が目指したイギリス海軍は、第一次世界大戦においてドイツ海軍に苦戦し、従来の戦術では勝利できないと学びました。
しかし、日本海軍にそれはできなかったのです。
◆騎兵の時代も終わった
日露戦争といえば、ヨーロッパを震撼させたロシア騎兵を破った秋山好古の活躍には胸が躍る方も多いと思います。
しかし、その時点で騎兵の時間も残りわずかでした。
第一次世界大戦の時点では完全に時代遅れとなり、騎兵は戦車に置き換えられてゆきます。
※『戦火の馬』では第一次世界大戦が描かれ……
※『硫黄島からの手紙』では、騎兵であった西竹一が戦車隊を指揮する姿が描かれます
92年前に日本人初の五輪馬術メダリストとなった西竹一(バロン西)硫黄島に散った悲劇
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◆神話は失敗を糊塗する
神話は成功からのみ生まれるだけのものでもありません。
英雄願望や失敗を糊塗するために、生まれることもあります。
日露戦争におけるその代表格が広瀬武夫でしょう。
◆広瀬武夫/wikipedia
広瀬の戦死は作戦として意味があったのか? そこに反省点はなかったのか? 失敗ではないのか?
このことは指摘せねばなりません。
指摘されると不愉快にも思えるのだとすれば、後世の神話化があるから。
彼がロシア人女性とロマンスを育んだことは、物語としては面白くとも、その能力や作戦結果には何の関係もありません。
快男児にして名誉の戦死を遂げた広瀬は、血湧き肉躍る英雄譚の主人公として愛されました。
しかし、そうした神話が失敗の本質を糊塗したことは確かなのです。
日本が戦争へ向かう中、彼の後にも軍神は生み出されてゆきます。
◆爆弾三勇士/wikipedia
◆武器開発の遅滞
日露戦争においては兵器も活躍しました。
この戦場で成果をあげ、海外へむけて輸出された兵器もあったほど。
『ゴールデンカムイ』有坂成蔵のモデルとなった有坂成章の「有坂銃」も、性能が優れていたことは確かなのです。
◆有坂成章/wikipedia
しかし、日本の武器の進展は停止します。
世界が第一次世界大戦はじめ、多くの新兵器による戦争を重ねていく中、日本では技術が追いつかなくなってゆきます。
日露戦争のために開発された「三十八式歩兵銃」が、太平洋戦争まで現役であったのですから、なんとも暗澹たる気持ちになります。
こうした物質と技術面の不足を補うのが、精神論と神話であったのです。
◆三八式歩兵銃/wikipedia
◆それでも日本は「神の国」だから
技術。財政。そうした苦境を補填するものとして「武士道精神」という精神論が盛んにもてはやされるようになってゆきます。
はじめのうちこそ新渡戸稲造のように、ロシアを倒した理由を知りたがる世界のニーズに応じてまとめていたものでした。
しかし、いつのまにか「日本はスゴイ! 神の国!」という陶酔状態へ突入してゆきます。
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「日本人は米を食べるからスゴイ!」(※米は日本だけでなく全世界の2/3で主食とされています)
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「日本兵は魚を食べるから強い!」
「日本が世界の中心でなければならない!」
「日本主義こそ世界が奉ずべき道徳精神である!」
「神の国に敗戦はない!」
こうした精神論は、アジア・太平洋戦争における補給軽視や無謀な作戦へと繋がってゆく。
「ビルマにあって、周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物なのである。これだけ青い山々を周囲に抱えながら、食糧に困るなどというのは、ありえないことだ」
そう言い切り、補給をろくに考慮しないまま「インパール作戦」を実行した牟田口廉也はその典型例でしょう。
※食糧難に直面する日本軍を描いた『野火』
こうした状況に、日本人は危機感を抱かなかったのでしょうか?
そうではありません。
山川健次郎は過度の皇室崇拝はかえって危ういと指摘し、バッシングにもめげませんでした。
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そんな彼ですら、危うい死者崇拝からは逃れられておりません。それはかつて彼が参加した白虎隊についてのものでした。
はじめのうちこそ純粋な慰霊目的であったものの、やがてムッソリーニまで巻きこまれ、大仰なものとなってゆきます。
そして白虎隊は、国に殉じる青少年の手本として称揚されてゆくのです。
褒められることは気分がよいもの。ましてや異国の人となれば、満足感があるもの。
かくして慰霊と陶酔感が融合してゆきます。
山川健次郎の死後、白虎隊の眠る飯盛山にはドイツからヒトラーユーゲントの隊員たちも招待され訪れました。
少年たちが白虎隊崇拝の言葉を述べる姿に、日本人はウットリとしていたのです。
褒め言葉は素直に受け取るべきものです。
しかし、その背後にある思惑も考慮しなければ、中毒に陥ってしまう危険性はあるのです。
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◆ヒトラーユーゲント/wikipedia
ジュリアン・バーンズはこう言いました。
「最も偉大な愛国心とは、祖国が不名誉で、愚かで、悪辣なことをしている際に、それを指摘することだ」
日本にもそういう愛国心の持ち主はいたのです。
ただ、彼らは治安維持法の名の下、弾圧によって口を閉ざすか、命まで奪われてゆきました。
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