渋沢栄一と女子教育

津田梅子と渋沢栄一/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

渋沢栄一の女子教育はドコまで本気だった? 単なる労働力と見てなかったか

2024/11/03

根っからの女好きで、半ば開き直るようだった渋沢栄一。

妻と妾の同居を実現すると、本人はこう口にしていました。

「明眸皓歯(めいぼうこうし/明るい目に白い歯・美女のこと)以外は恥じることはない」

四男・秀雄はこう振り返っています。

「色を好む程度に徳を好んだ父」

そんな栄一を回想するのが大河ドラマ『青天を衝け』だとすれば、女性の美貌や色香を讃えるものが多くなるのは自然の流れ。

栄一が好んだとされる『論語』を引いてみますと、

女子と小人とは養い難し。

女性と徳のない人は扱いが難しい

『論語』「陽貨」

なんて言葉も確かにありますが、果たして普段の渋沢は女性をどんな風に見ていたのか?

本稿では、渋沢の女子教育に対する取り組みから、当人の女性観を振り返ってみたいと思います。

 


東京女学館などの校長に

渋沢栄一が女子教育に貢献したのかどうか?

YesかNoで、と問われればYesです。

明治21年(1888年)に東京女学館、明治34年(1901年)には日本女子大学校に援助をし、両校の校長も務めました。

後者の日本女子大学校につきましては、別の大口出資者もいます。

『あさが来た』ヒロインのモデルとなった広岡浅子です。

広岡浅子
ドラマより史実の方が豪快だった広岡浅子『あさが来た』モデル69年の生涯

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『青天を衝け』とは同じ脚本家が担当しており、ディーン・フジオカさんの五代様こと五代友厚も登場するなど、何かと話題になりました。

渋沢と五代の接点を考えると、あまりに無理のあるキャスティングなんですけどね。

五代友厚/国立国会図書館蔵

ともかく、明治の世になって考えられた「女子教育」は、日本の進歩、近代化に伴い、女子の地位向上が目的でした。

しかし、現実はまるで違うものでした。

 


女子教育の建前と偏見

明治の女子教育には様々な流れがあります。

例えば2013年『八重の桜』を参考に見てみましょう。

会津時代から、女でありながら銃を習ってきたヒロインの新島八重

彼女は気が強く、兄の覚馬はその知性に感服していました。母・佐久と「妹の賢さはたいしたものだ」と感じていたのです。

新島八重/wikipediaより引用

そんな山本家の兄と妹は、京都でプロテスタントとして教育を実現したい新島襄と出会います。

襄は、アメリカで出会ったような、自発的で積極的な「ハンサム」な女性を求めていた。

それに八重が合致したため結婚に至りました。

一方、2015年『花燃ゆ』はどうか。

八重と異なり、吉田松陰の三妹・美和はそこまで自発性のある人物ではなく、ドラマでの描写にも苦闘の後がありました。

あのドラマの見どころとして掲げられていたのは、ドレスを着て舞踏会で踊るヒロインの姿です。

ドラマの作り手がどこまで考えていたのかわかりませんが、皮肉にも【長州閥の考える、わきまえた女子養成教育】が描かれていたといえます。

実は、渋沢栄一と親しい長州閥の伊藤博文や井上馨は、女子教育に悩んでいました。

当時の上流階級である士族や華族の女性は、どうにも欧米のレディとは異なる。

パーティでの接客も嫌がるし、ましてやダンスなんてできるわけもない。

せっかく鹿鳴館という箱を作っても、そこに飾る花がないじゃないか!

そこで明治20年(1888年)、泥縄式にできた組織が「女子教育奨励会」でした。

『あさが来た』ですら、皮肉にもその流れに則っているとは言えます。あのドラマでヒロインは「おなごのやらかい心」が大事であるとスピーチしていました。

そして渋沢栄一にも、女性を「弱く柔らかい」と決めつける偏見があったとわかりますが、それは何も彼一人に限った話ではなく、明治政府の基本方針であり、影響は天皇にも及びました。

江戸時代、孝明天皇までは女性的な特徴がありました。薄化粧をするため女官の取次が必須です。

その天皇を男性的な象徴とし、西洋式軍服を着せ、馬に跨らせる――強い男性がいてこそ日本という国は成立するのだと、明治政府は考えたのです。

では女性は?

出産と育児だけをしていればいい。無能力で家庭の保護しかできない。そんな規定がされました。

 

新島八重のような女性もいる

渋沢栄一の残した言葉を読むと、明治政府の思想も共に見えてきます。

儒教由来もあるでしょうが、西洋の影響も強く、明治政府上層部の考えが反映されたもので、彼らが主張する「男尊女卑の根拠」として、まず身体能力を挙げられます。

女性は力が弱い。ゆえに戦場では役に立たない。巴御前のような例外はいるとはいえ、性質は柔くて、力も弱いから仕方ないのである――。

武家由来であると規定しましたが、古今東西ありきたりな理屈ですね。

しかし大河ファンであれば、首を傾げてしまうのではありませんか?

巴御前まで遡らなくとも、それこそ会津戦争での八重のように強い女性はおりました。

明治以降も八重はともかく強気で、おなごの柔らかい心はない。徳冨蘆花が『不如帰』で会津つながりで大山捨松を貶したときには、炎上騒動が起きるほどです。

大山捨松

大山捨松/wikipediaより引用

八重は、それだけ性質も腕力も際立っていました。

それを渋沢栄一が知らないとも思えませんが、無視することはできます。

実際、渋沢栄一および明治政府の女性観には偏りがあることは、当時から指摘されていたことでした。

以下のようなものです。

女性の役目とは、良妻賢母となることである。

男子は働き、女子は家庭を守る。これが自然のさだめであり、おのおの分を守るべし。

貞操、従順、優美、緻密、忍耐こそが、女子の美徳である。こうした女子の美徳を伸ばすべきであり、それこそが教育だ。

女性の社会進出は、女性の美徳を失いかねない。

社会に出るのではなく、家庭を守り抜き完璧な美しいものとすべきだ。女性の活躍とは、家庭内において尽くすことである。

こうした明治政府の意向を踏まえると、渋沢栄一の女子教育観が、その枠を出ていないことは明白でしょう。

いくら資金を捻出して名誉的な女子校校長職を務めたからといって、果たして女性を応援したと言えるかどうか? 現代の視点から見ると、むしろ否定されるべきものです。

それに対し当時から「異議あり」と言える人物はいました。

お札の顔として渋沢と共に並ぶ津田梅子です。

 


津田梅子の女子教育とは

『青天を衝け』には、薩摩藩の五代友厚も重要な人物として登場しました。

そんな五代と近い人物が黒田清隆です。この黒田の発案で、日本初の女子留学生がアメリカに向かいます。

黒田清隆/wikipediaより引用

アメリカで彼女らは称賛されました。

「なんて聡明なのだ! 彼女らは日本の宝となるにちがいない!」

そんな絶賛のもと、新聞記事になることもありましたが、帰国したら酷い現実が待っていました。

「アメリカかぶれ娘め。売れ残りだ。嫁に行け」

要するに留学されることは考えていたけれども、受け入れ態勢を整えていなかったということ。明治政府に梯子を外されたのです。

藩閥政治の影響もあるでしょう。

薩摩閥と長州閥は呉越同舟で、足の引っ張り合いを続けています。

薩摩閥が思い付いた女子教育を、ダンスができるレディが欲しい長州閥がどこまで真剣に考えたか。

その答えは津田梅子の人生に反映されています。

明治23年(1890年)ブリンマー大学在学時の津田梅子/wikipediaより引用

伊藤博文のもとで政府は女子教育に奔走し始めたものの、梅子はほどなくして失望。

彼女を理解し、手を差し伸べたのは、留学生仲間やアメリカ人のアリス・ベーコン、イギリス人のナイチンゲールといった海の向こうの人々でした。

津田梅子が掲げたような、女性自身が己の力を伸ばしたいとする女子教育に、渋沢栄一は至っていません。

彼にとって女子とは、あくまで明眸皓歯の持ち主であり、外で働く自分のような男を癒し、子を産み育てる存在でした。

あくまで美女か良妻賢母としてのみ、想定していたのです。

渋沢栄一の伝記には、女子教育に尽力したと過大評価されるものも多いですが、そこは慎重に見なければならないでしょう。

 

資本主義と女性の権利は両立するのか?

『青天を衝け』は、吉沢亮さんが主演を務めました。

脇役も草なぎ剛さん、ディーン・フジオカさんたち美男がズラリと並び、女性ファンが多いとされています。

大河は男性向け、朝ドラは女性向け――そんなことが言われてましたが『青天を衝け』は両者の良いところをあわせたハイブリット作品と分類されるのかもしれません。

しかし、同時に考えたいことがあります。

それは渋沢栄一を形容する「資本主義の父」という言葉。

「資本主義」と女性の解放をめざす「フェミニズム」は、対立するとされています。特に近代以降の資本主義はその傾向が強い。

どういうことか?

女性の地位や権利は、時代がくだれば進歩するものでもありません。

工業と資本主義が発展する近代において、女性はそれまでの時代とは異なる立場に置かれます。

産業革命が発達する以前、女性も労働力として活用されたものの、あくまで家庭の周辺でのことでした。

『青天を衝け』で描かれた血洗島の光景を思い出してください。

渋沢家や尾高家の女性は、藍色の栽培に参加しつつ、男性のために家事労働をこなしています。

それが明治以降、女性には別の生き方が生まれてきます。

都市部の工場で働く選択肢です。

資本主義にとって、こうした女性の労働者である「女工」は使いやすいものでした。

女性であるからには、未婚であれば父親、既婚であれば夫に養われる――そんな建前のもと、賃金は安く抑えられる。男性のように家庭を支えることはないのだから、労働力として価値が安い。

そうして女工は搾取に晒されました。

富岡製糸場のような当初は官営工場だったところならいざしらず、民営業者はいかにして女工を安く確保できるのか、悪知恵を働かせます。

富岡製糸場の繰糸場/wikipediaより引用

渋沢栄一がその悲劇を知らなかったワケがありません。

なんせ渋沢栄一は、女性や未成年労働者の労働条件を緩和する工場法(労働基準法の前身)に反対し、十年以上阻害しています。

「女性は体が弱く、戦争においては役に立たない」という旨のことを主張しながら、その肉体を保護することに反対とは矛盾以外の何物でもありません。

ただしこれは渋沢栄一だけでなく、資本主義の抱える問題といえます。

 

資本主義は金ありきゆえ

資本主義は、金(利益)がすべて。

女性が担う家庭内の労働を無償とすれば、国家の福祉が担う範囲と予算が抑え込める。

こうした考えが危険なのは、さらに「通俗道徳」へ発展することであり、実際、明治以降の世の中はそうなってしまいました。

通俗道徳とは、強度な自己責任論のことであり、国民に「悪いのは自分」と徹底して叩き込み、不満を抑え、貧しい人々は見捨てられたのです。

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そんな状況であるのに『青天を衝け』での栄一は「みんなが幸せになることが大事である」と口にしていました。

大切なのは、その「みんな」の範囲なのです。

例えばフランスで出された『人権宣言』において、人権を有する範囲は、あくまで自国民の男性のみを対象としていました。

これに異議を唱えるように『女性および女性市民の権利宣言』を発表したオランプ・ド・グージュは、些細な罪をでっちあげられ、ギロチンで斬首刑にされています。

近代の人権が規定する範囲は、おおよそこのようなものであり、渋沢栄一も同様でした。

好例がレオポルド2世でしょう。

『青天を衝け』での栄一は、国王でありながら商売の話をするベルギーのレオポルド2世について、興奮しながら絶賛していました。

史実でも似たようなもので、このシーンから渋沢栄一の人権感覚がわかります。

レオポルド2世の商売は、コンゴ自由国の住民を徹底して虐待・搾取する、あまりに残酷な強制労働を課するものだったのです。

ベルギーのレオポルド2世/wikipediaより引用

住民の権利を無視していたからこそ通じる理論ですね。

「みんなの幸せ」という言葉には甘い響きがある。

しかし、その範囲が恣意的に限定されているなら、これ以上の毒はありません。

果たして自分はその「みんな」に含まれる存在なのか?

そう考えると怖くなってくるのは私だけでしょうか。


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【参考文献】
鹿島茂『渋沢栄一』(→amazon
土屋喬雄『渋沢栄一』(→amazon
若桑みどり『皇后の肖像』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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