【や(8)きと(10)り】で「焼き鳥の日でも」ある本日。
8(や)10(ど)のゴロあわせらしいのですが、揃いも揃って、どうしてお盆直前にぶつけたのか。
帰省に気を取られてしまって、それどころじゃないような気もします。
それはさておき、本日は【世界最古のお宿】や【歴史にまつわる温泉地】などのお話をまとめてみました。
◆粟津温泉「法師」石川県
奈良時代の泰澄という修験道の僧が発見した温泉。
白山という山の神様からお告げを受けて見つけたと伝わっています。
そして弟子の雅亮という法師にここで湯治をする病人のための宿を作らせ、居つくように言いつけたのが、旅館・法師の始まりです。
ギネスブックで「世界最古の宿泊施設」と認定されました。
が、現在は後述の「慶雲館」という旅館に記録を塗り替えられてしまいました。
創業200年以上の企業だけが加盟できるフランスのエノキアン協会にも所属しており、同会では最古の企業だそうです。
競争するものでもないですし、由緒正しいお宿には間違いないですしね。
◆西山温泉「慶雲館」山梨県
藤原鎌足の長男・定恵(じょうえ)が見つけたのが西山温泉だといわれています。
10歳で遣唐使船に乗せられたというぶっとんだ逸話を持っている定恵。
なかなか凄い経歴ですが、その割に唐では
「詩の才能がスゴかった(小並感)」
くらいの話しかない上、帰国して三ヵ月後に23歳で亡くなってしまうという、あまりに悲劇な人生を送っています。
かわいそうに(´・ω・`)
その定恵が流浪の果てに、土地の娘と結婚して子供を設けたのが山梨県の西山温泉付近だった……って、おいおい、僧侶なのにフリーダムやなぁ。
しかも狩猟の最中にこの温泉を見つけたといわれているのです、僧侶なのに(ry
いろいろツッコミどころがありすぎるので、おそらく定恵以外の人の逸話がいくつか混ざっているんでしょうね。
んで、その中で一番地位が高かった定恵の名前でまとめられてしまった……と考えたほうが自然でしょう。
まぁ、ことの真偽はともかく、発見間もないうちに開業したのが慶雲館だといわれています。
発見までの経緯はともかく、薬効は確かだということでたちまち評判となり、今に続いているとか。
武田信玄や徳川家康が隠し湯として利用していたこともあるようです。
「オッサンの温泉旅行なんて隠されなくても興味ねーよ」
と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、「隠し湯」とは領主が独占利用していた温泉の事なので、そのようなシチュエーションはおそらくなかったでしょう。
え? 誰も考えてない? そっか(´・ω・`)
ついでに、温泉そのものに歴史的な逸話があるというケースもご紹介しましょう。
といってもそれこそ山のようにあるので、今回は「奥州三名湯」と呼ばれる三ヶ所にしておきますね。
宮城県の「秋保温泉」「鳴子温泉」と福島県「飯坂温泉」の三つです。
◆秋保温泉 宮城県
「仙台の奥座敷」としても有名なところです。
仙台駅からバスが出ているので、車の免許がない方にも行きやすいのが嬉しいですよね。
ワタクシも行ったことがあります。
開湯時期不明という胡散臭さ……もとい、歴史の長さを伺える温泉地の一つです。
一説には第29代・欽明天皇(在位531年~539年)が皮膚病治療のため、秋保温泉の湯を都に運ばせて用いたところ、数日ですっかり治ったとか。
その喜びを表した歌が、現地に伝えられ碑に刻まれているそうです。
その後、皇室の御料温泉の一つになり、平安時代から代々同じ家がこの温泉を守るよう言いつけられています。
お名前は温泉とかお湯とかまったく関係なさそうな「佐藤家」なんですけども、この人選は一体どんな経緯で決められたんでしょうね。
ちなみにその佐藤さんは同地の「ホテル佐勘」というお宿のご先祖様だとか。現在の社長さんも佐藤さんらしいので、もしずっと血が続いているとしたら、庶民でも有数の由緒ある家なんじゃないでしょうか。すげぇっす。
◆鳴子温泉 宮城県
こちらも西暦三ケタの時代に発見されていたとされる温泉です。
826年発見なので……石清水八幡宮(860年創建)よりも以前の話になります。
例えがビミョーでスイマセン。
他に直近でインパクトのあるものが見つかりませんでした(´・ω・`)
ここは源義経と正室・郷御前の子供、亀若丸の産湯に使われたとされています。
なかなか産声を上げなかったので、鳴子温泉の湯に浸けたところようやく泣いたらしいのですが……その後を考えると別の意味で泣けてきますね……。
義経が自害したとき、一緒にいたのは郷御前と娘だったようなので、亀若丸はその前に亡くなっていた可能性も高いですが。
◆福島県・飯坂温泉
ヤマトタケルが東征の際に入ったといわれる温泉です。
他にも群馬県の草津温泉や東京都の岩蔵温泉にも同様の伝説があるのですが、ヤマトタケルはどこまで風呂へ入りに行ったんでしょうか。
まぁ「兄ちゃん呼んで来て」ってトーチャンに頼まれて何故かブッコロしてくるような行動力の人ですから、東京から福島なんて散歩くらいの感覚だったのかもしれません。
その他、西行が来たことがあるとか、源義経の家臣である佐藤継信・忠信兄弟のトーチャンが西行の親戚で、なおかつ飯坂温泉の付近に勢力を持っていたとかいろいろと逸話の多い温泉です。
江戸時代には「おくのほそ道」の旅の途中で松尾芭蕉と弟子・曾良がやはり飯坂音瀬に入ったそうです。
いい宿が取れず、雨漏りするようなところで寝たため、虫に刺されるわ持病の痔が再発するわ、散々な思い出ができてしまったようで。
芭蕉が泊まったのって旧暦の5月=新暦6月くらいの話なので、そりゃそんな時期に山に入ってテキトーなところで寝てたら虫にとってはごちそうですよね。
飯坂温泉が悪いんじゃなくて、宿代をケチりすぎた芭蕉たちが悪いんじゃ……。
それはともかく、どこの温泉でもだいたい「文人が好んだ」という逸話があるもので。
飯坂温泉にも正岡子規や与謝野晶子、さらにはヘレン・ケラーが2回訪れたとか。
真偽の程はタイムマシンでもなければ確かめようがありませんけども、どこも誇り高く自分たちの温泉やお宿を守ってきたことがうかがえます。
長月 七紀・記
【参考】
法師の歴史
慶雲館
秋保温泉/wikipedia
鳴子温泉/wikipedia
鳴子温泉郷観光協会
飯坂温泉/wikipedia
岩蔵温泉/wikipedia