平城京大極殿

飛鳥・奈良・平安

平城京(奈良)はどんな都だった? 田んぼや畑の下にある遺構は今なお発掘中

盛者必衰は歴史の運命さだめ

「滅びたわけではないのに、自然と寂れていった……」というケースも多々あります。

本日はその一つ。誰もが一度は覚えるあの場所に注目してみました。

和銅三年(710年)3月10日は、平城京に都が遷った日です。

その前は藤原京で、平安京については別記事をご参照していただくこととして、今回は奈良の平城京に注目したいと思います。

平安京ってどんな場所だった?「鳴くよ(794)ウグイス」で有名な都の姿

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といっても、今日まで形が残っている部分も多い平安京に対し、平城京はまだ発掘調査中でアヤフヤなところもあるのですが……。

 

平安京と違い、東側に大きな外京が張り出している

平城京も中国の都をモデルとして作られたものなので、基本的には長方形かつ、碁盤の目状に町並みが広がっていました。

しかし、一部凸凹があり、正確な(?)長方形ではありません。

さらに、東側には「外京」と呼ばれる、大きく張り出したような部分があります。

もし平城京と平安京の図を出されて「どちらが平城京か答えよ」なんて問題がテストに出たとしたら、点数を稼ぐチャンスですね。

平城京条坊図/photo by Wikiwikiyarou Wikipediaより引用

 

平安京と同じく朱雀大路を中心に

道の作りは平安京とほぼ同じで、平城宮(皇居&政庁)から南へまっすぐ伸びる朱雀大路、東西に都を横断する大路が北一条・南一条から十条までありました。

朱雀大路の両サイドにも大路が作られていましたが、平安京と違ってそれぞれに固有名詞はついていなかったようです。

不思議な事に、朱雀大路のすぐ外側両サイドが「一坊」、さらにその外側を「二坊」というように、左右で同じ名前がついています。

「左京一坊」とか「右京二坊」と呼んで区別していたとか。

以下は平安京の全体図になります。

平安京/photo by 咲宮薫 Wikipediaより引用

ちなみに平城京から長岡京を経て平安京へ遷都した後、以来、京都が「千年の都」となるわけですが、一度、平城京へ戻されようとしたことがあります。

平城上皇が復権を狙って平城京への遷都を宣言し、嵯峨天皇に止められた政治事件。

それが【薬子の変】ですね。

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東大寺をはじめ薬師寺など有名寺院がずらり

平城京=奈良といえばやはりお寺ですが、中でも「南都七大寺」と呼ばれるものが有名です。

外京にはそのうち、藤原氏の氏寺・興福寺や、「奈良の大仏」で有名な東大寺、蘇我馬子が開基したお寺の後身・願光寺があります。

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左京にはなぜか大安寺しかないのですが、右京には東大寺と対となる位置に西大寺、「薬師三尊像」で有名な薬師寺があり、なんとなくバランスが悪い感じがしますね。

また、失明しながらも来日した僧侶・鑑真の開基で知られている唐招提寺も右京にあります。

こういった大きなお寺は概ね宮殿を囲むような位置にあるので、そういった意図で建てられた可能性もありますね。

模型で復元された平城京/photo by Wikiwikiyarou Wikipediaより引用

これだけ多くの建築物を作ったり、道路を整えるには、それ相応の資材も必要でした。

では資材はどこから供給したのか?
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