こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【官職と二官八省】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
八省【左弁官局管轄】
中務省(なかつかさしょう)…当時は一番重要
現代の宮内庁に近い仕事をしていました。
天皇の命令である「詔(みことのり)」の書類作成や宮中の事務などを担当しています。
そのため当時は、八省の中でも特に重要とみなされていました。
後宮や女官の人事も、中務省の下にある中宮職(ちゅうぐうしき)という部署の仕事です。
そのため「皇太后」や「太皇太后」などがいる場合は、臨時に皇太后職や太皇太后職などが設けられていました。
道長の時代はエライことになっていたんでしょうね……。
式部省(しきぶしょう)…紫式部の父ちゃんとか
現代だと、文部科学省が一番近いかと思われます。文官の人事や大学寮(官僚養成の学校)などが主な担当です。
紫式部や和泉式部の「式部」は、父親がこの式部省の役人だったことからきている呼び名です。
-
2024年大河ドラマ主人公・紫式部の生涯とは?日記から振り返ってみる
続きを見る
当時は名字・父や夫の官職または任国などから女房の通称をつけるという慣習がありました。
この時代の女流作家といえば清少納言も欠かせませんが、彼女の「少納言」はどこから来ているのか不明です。
親族に「少納言になった」と確定できる人がいないんだとか。
-
清少納言ってインテリでヒステリック?結婚歴や枕草子秘話などの素顔
続きを見る
治部省(じぶしょう)…石田三成でお馴染み
お寺や雅楽、遣唐使が廃止されるまでの外交などを担当していました。
現代だと外務省+文部科学省の一部……という感じでしょうか。
「治部」といえばやはり、石田三成のイメージが強いですかね。
三成は秀吉が関白になったときに朝廷から叙任されているので、自称ではなく正式な官位です。
-
日本一の嫌われ者・石田三成を史実から再評価!豊臣支えた41年の生涯
続きを見る
治部省の仕事内容からすると、実際に三成がやってた仕事とかぶる面がありそうですね。
下記の民部省のほうが近いかもしれませんが。
民部省(みんぶしょう)…天神様も就任していた
現代では財務省・国税庁あたりが近い役所です。つまり税や財政の担当部署でした。
トップの「民部卿」は、藤原北家の祖・房前(ふささき)、同じく藤原北家で臣下で初めて摂政になった藤原良房、天神様こと菅原道真、百人一首の選者・藤原定家などが務めたことがあるので、割と見かける名前かもしれません。
-
藤原良房が皇族以外で初の摂政に就任! そして藤原無双が始まった
続きを見る
-
菅原道真はなぜ学問の神様?ヒラ役人が朝廷No.3へ大出世からの~?
続きを見る
八省【右弁官局管轄】
兵部省(ひょうぶしょう)…著名な武士多し
武官の人事や軍事を担当しています。現代だと防衛省や自衛隊でしょうか。
歴史上で内乱の話が取り上げられやすいためか、トップである「兵部卿」には有名な人がたくさんいます。
ほんの少しご紹介すると、
・坂上田村麻呂(後に征夷大将軍)
-
実は二番目の征夷大将軍・坂上田村麻呂はどんな実績が?清水寺も建立
続きを見る
・阿保親王(在原行平・在原業平兄弟の父)
-
伝説のイケメン貴族・在原業平『伊勢物語』のモデルは実際モテたの?
続きを見る
・平清盛(の全盛期)
-
史実の平清盛は権力坊主ではなく有能な政治家?鎌倉殿の13人松平健
続きを見る
・護良親王(後醍醐天皇の皇子・大塔宮)
-
西国一の戦国大名だった大内義隆がなぜ滅ぼされた?45年の生涯まとめ
続きを見る
などが兵部卿の経験者です。
刑部省(ぎょうぶしょう)…三成の盟友・吉継
現代だと法務省+裁判所にあたる、司法や訴訟を扱う役所です。
しかし、しばらくしてから検非違使(けびいし)など他にも治安維持や刑事事件を担当する職が増えたため、実際の仕事量は……。
「刑部」と呼ばれていた人物としては、戦国武将の大谷吉継が有名でしょうか。
吉継もやはり、三成と同じタイミングで正式に叙任されています(位階は三成と同じく従五位下)。
吉継の性格などを察するに、刑部省のような仕事はピッタリだったでしょう。
また、2人が等しく豊臣秀吉に重用されていたことも窺えます。
-
ド派手すぎる豊臣秀吉の逸話はドコまで本当か?62年の生涯まとめ
続きを見る
『真田丸』で演じられた片岡愛之助さんが印象的でしたよね。
大蔵省(おおくらしょう)…経済部門を担当
現代で例えるのは難しいところですが、経済産業省が近そうです。
度量衡や朝廷の出納などを担当していました。
全く同じ名前のお役所が近年まで存在していましたが、明治時代に一度再編されているので、ずっとそのままというわけでもないのが面倒なところです。
宮内省(くないしょう)…皇室のプライベート
ある意味、ここが一番やっかいかもしれません。
現代は宮内“庁”、二官八省のほうは宮内“省”です。受験生の方はご注意ください。
年代でいえば、昭和二十四年(1949年)以降が宮内“庁”です。
実は途中で宮内“府”なんて名前になったこともあります。
名前が同じだけあって職務も似ており、現代の宮内庁の侍従職や東宮職などが宮内省に相当すると思われます。
中務省との区別がややこしくなるところですが、二官八省においては「中務省が皇室の公的面、宮内省が私的生活をサポートしていた」と考えれば良いかと。
戦国時代の官職は実態を伴わないけど
これで古代の官位はバッチリ!
しかしそう思って戦国時代や江戸時代を眺めてみれば、名称は同じでも実態が大きく異なるものもあるので注意が必要です。
エンタメ的な見方で、戦国大名の官位(自称も含めて)と、実際の仕事内容を比較すると楽しいかもしれません。
例えば上記のように三成と吉継は、それぞれにピッタリなイメージでした。
また、戦国武将などによくみられる「国名+守(かみ)」というのは本来、国司(地方の長官、現在の知事に相当)を意味する官職です。
戦国時代に官職は、単なるお飾りではありましたが、ときに他国へ攻め込むための口実にも使えた――ゆえに官職を自称する武将も多かったのです。
さらに、武将は自ら好き勝手に官職を名乗るだけでなく、配下の武士に「◯◯守」とつけてあげました。
「国名」はざっと68(66国と2島)あるので、自分をのぞいて67人の部下にもっともらしい呼び名を与えることができる、便利な称号だったのです。
いちいち、名乗るのに朝廷の許可はいりません。
なんせ戦国時代の朝廷には地方に及ぶ実権がなかったからです。ただ、より権威をつけるため、正式に朝廷から入手する例もあります。
例えば三河を支配した徳川家康。
今川氏に対抗するため、室町幕府を通じて朝廷へ工作(つまるところ献金)し、1566年に「三河守」を正式に手に入れてます(それに合わせて松平から徳川に改姓)。
-
三度の絶体絶命を乗り越えた徳川家康~天下人となる生涯75年とは?
続きを見る
もともと今川氏は三河出身の足利一族です。
今川義元の時には、室町幕府の正式な官職である駿河守護に加え、三河の隣の遠江(とおとうみ)守護に任命されておりました。
室町時代は、実態のない古代の「守」より、幕府の組織である「守護」のほうが上。
当時の家康も、本音を言えば「三河守護」が欲しかったのでしょう。
しかし、落ち目とはいえ、足利一族の今川氏真が健在である以上、なんぼ金をつまれても家康に「三河守護」を与えるわけにはいきません。
そこで幕府の「伝奏」を使い、幕府とは関係なく朝廷が今はなき「守」を与えたという形にしたと考えられます。
★
すっかり戦国時代の説明も長くなってしまいましたが、古代の官職については、源氏物語などの古文で楽しむことができます。
二官八省の役職名で呼ばれている人がたくさんおりますので。
受験勉強にせよ、大人になってから嗜むにせよ、そうやって楽しんでこそ歴史の醍醐味ではないでしょうか……って、なんだか偉そうでスミマセン^^;
なお、位階については下記の記事リンクからご確認どうぞ~。
みんなが読んでる関連記事
-
モヤッとする位階と官位の仕組み 正一位とか従四位ってどんな意味?
続きを見る
-
日本人が知らない伊勢神宮七つの秘密~初詣でお賽銭投げたらダメ
続きを見る
-
検非違使・関白・中納言など「令外官」を知れば日本史全体が見えてくる
続きを見る
-
当初は出世の見込みなかった藤原道長の生涯 なぜ最強の権力者に?
続きを見る
-
2024年大河ドラマ主人公・紫式部の生涯とは?日記から振り返ってみる
続きを見る
-
清少納言ってインテリでヒステリック?結婚歴や枕草子秘話などの素顔
続きを見る
-
日本一の嫌われ者・石田三成を史実から再評価!豊臣支えた41年の生涯
続きを見る
-
藤原良房が皇族以外で初の摂政に就任! そして藤原無双が始まった
続きを見る
-
菅原道真はなぜ学問の神様?ヒラ役人が朝廷No.3へ大出世からの~?
続きを見る
-
史実の平清盛は権力坊主ではなく有能な政治家?鎌倉殿の13人松平健
続きを見る
-
西国一の戦国大名だった大内義隆がなぜ滅ぼされた?45年の生涯まとめ
続きを見る
-
ド派手すぎる豊臣秀吉の逸話はドコまで本当か?62年の生涯まとめ
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典「位階」「官職」