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【和気清麻呂】
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神様は何も話さなかった
何が問題となったか?
神様は清麻呂の前に出てきてはくれたそうなのですが、もう一度お告げをすることは拒んだというのです。
つまり、清麻呂が持って帰ったお告げは清麻呂が考えたニセの託宣ということになります。
もしこれが本当なら、記録が残ってる時点で清麻呂の詰めの甘さが出ている気がしますが……ともかく、そんなデッチあげがバレたのか、単に道鏡を皇位につけたかっただけだったのか、怒った称徳天皇は清麻呂を流罪にしてしまうのです。
自分で派遣したのに、これはちょっとヒドい措置。
そして罰則はそれだけではありませんでした。
大隅(現・鹿児島県)というかなり距離のある遠流だった上に、
【別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)】
という、いかにも汚そうな名前に改名させたのです。なんて無駄な手の込みようでしょうか。
しかも、清麻呂のお姉さん(尼僧)まで
【別部広虫売(わけべのひろむしめ)】
という名前にさせられてしまうのですから、ここまでくるとヒステリーっぽい感じがしますね。歴史のヒストリーですけどね、HAHAHA……すいません。
今度は道鏡が飛ばされ 地元では名僧に
でっちあげはともかく、こうして皇位は守られました。
翌年、称徳天皇は再び病に倒れ、道鏡も今度は近付くことを許されず失脚。
そして称徳天皇崩御の後、清麻呂は罪を許されて仕事に復帰しました。
いろいろありましたがめでたしめでたし、というところでしょうか。
さて、後日談。
悪名高い道鏡さんですが、愛する?女帝亡き後に関東地方のお寺(栃木県の下野薬師寺)に飛ばされたとされます。
そして当地では実にすばらしい名僧だったという伝承が残っているのです。
一体何が本当だったのか……。
ここまで古いと、そうそう新たな記録も期待できず、真実は闇の中ということになりそうです。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon)
和気清麻呂/wikipedia