桓武天皇

桓武天皇/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安

桓武天皇が遷都のほか様々な改革を実行できたのはなぜか?平安前期を振り返る

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桓武天皇
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弘仁・貞観文化とは?

ここまでの平安京は、唐(中国)の影響を強く受けていました。

そもそも、平安京自体が唐の都・長安を模して造られたものですしね。

漢文や書道などにも中国の影響が強くみられ、この時期の文化を【弘仁・貞観文化】と読んでいます。

元号そのまんまなのは日本史のお約束ですね。

書道といえば【三筆】と呼ばれる三人の名書家も欠かせません。

・嵯峨天皇
・空海
・橘逸勢(たちばなの・はやなり)

上記の三人です。

逸勢だけは他の分野で名前が出てこないので、ちょっと覚えにくいかもしれませんね。

しかし彼には、なかなかなエピソードがあります。

橘逸勢の書とされる『伊都内親王願文』/wikipediaより引用

実は逸勢、延暦二十三年(804年)の遣唐使で最澄・空海と共に大陸へ渡ったのですが、あまりに中国語ができなくて涙目状態になり、

「書と琴なら、喋れなくても身につけることができる」

と思い直したのだとか。

それで1200年後の現代まで名を残しているのですから、いやはや何ともはや。

帰国後は無実の罪で伊豆への流罪になり、その途中で亡くなってしまっています。

「能力はあるのにひたすら運が悪い人」という感じでしょうかね。

 

日本が“日本らしさ”に向かって歩み始めた

中国の影響を残す一方で、唐から帰国した

・最澄が天台宗

・空海が真言宗

を開き、日本の仏教が独自路線を歩み始めた時期でもありました。

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日本の仏教で特に際立った特徴は、肉食を禁じていることです。

実は当初の仏教は「動物を殺すのはダメ(不殺生)だけど、肉食はしてもいい」ということになっていたのです。

つまり、現代の我々がしているように、肉屋さんなどで既に処理された肉を仏教徒が食べるのはおkとされていたのですね。

日本で家畜の肉食が禁じられたのは平安時代より前のことです。

その頃には仏教が定着していたので、日本古来の山岳信仰などが仏教に習合していったのと同じように、「仏教では肉食はダメ」ということでまとまったのでしょう。

だいぶかっ飛ばしましたが、桓武天皇と平安前期はこういった時代でした。

少々乱暴にまとめると「日本が“日本らしさ”に向かって歩み始めた」という感じでしょうか。

これが大きく飛躍していくのが、続く平安中期・後期です。また後日。

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【参考】
国史大辞典「桓武天皇」

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