検非違使に殺された直秀の遺体がカラスに食べられそうになったり。
平安どころかバイオレンス満載の大河ドラマ『光る君へ』の第11回で、またもや衝撃的なシーンが流れました。
一条天皇の即位式で使われる高御座(たかみくら)の上に、子供らしき生首が置かれていたのです。
いったい何事か???
と視聴者が驚く以上に、腰を抜かしていたのが、それを見つけた内匠司と女官でした。
【穢れ】を恐れる平安貴族のリアクションと言いましょうか。
一方で、藤原道長は冷静に子どもの首を抱え、高御座を拭き、そのまま「鴨川にでも捨ててこい」とテキパキとしていましたが、皆さんの頭の中は疑問符で一杯になったはず。
あの生首はどっから持ってきたんだ?
ドラマとはいえ、やり過ぎじゃないか?
さすがにフィクションでも誇張し過ぎですよね……と思いきや、あの生首のシーンは全くの創作でもないのです。
さっそく考察してみましょう。
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高御座生首事件は『大鏡』に記述あり
平安時代の貴族は、他者の死や血、遺体に恐怖心を抱き、常日頃から【穢れ】を気にしていました。
それだけに、今回の放送で生首事件が描かれたときも
「あまりにも【穢れ】を無視し過ぎではないか?」
という指摘もあったようです。
特に、天皇の高御座に生首が置かれるなど、不敬すぎてあり得ない。
確かにそんな風に考えたくなるかもしれませんが、今回の高御座の生首については『大鏡』に記述がありました。
『大鏡』
一条天皇即位準備の際、毛のついた生首が高御座に置かれていた。
この報告を受けた兼家は、ずっといびきをかいて寝ている。
よくこんな時に寝ていられるものだと報告者が驚いていると、報告が終わったところで兼家が目覚め、こう言った。
「設営はもう終わったのか?」
寝たふりをして、生首そのものをなかったことにして、即位を進めたのであった。
ドラマでは、生首を発見し、その存在を隠し通したのが道長とされ、報告を受けた父の兼家は、その果断っぷりを褒めていました。
そもそも『大鏡』は藤原氏礼賛の物語です。
生首事件の経緯や真犯人を不明として、穢れを堂々と無視する兼家を、豪胆であると評しています。
確かに、兼家に一定の豪胆さはあったのでしょう。
それと同時に、兼家に反発する勢力もいた。
確たることと言えば、それぐらい。
もしも事件が完全に隠蔽されていたら、『大鏡』に掲載されなかったかもしれません。
逆に、そうではなく現代にまで伝わっているのは、ドラマの中で兼家と道長が「即位すればいい」としたように、そこまで大事には至らないからではありませんか。
中世において、事件への感覚はその程度とも考えられる。
ですので、あれは伏線でも何でもなく、そのまま明かされることがないまま終わってもおかしくはないでしょう。
あれは誰の生首なのか?
当時の平安京は、死体がその辺に転がっていました。
行き倒れた子どもの生首は、現代人が小鳥の死骸を調達するよりも楽に手に入っても不思議はありません。
現代人の感覚では、子どもの生首を嫌がらせのために調達することは信じがたいのでしょうが、穢れを無視すれば容易に手に入ります。
鴨川に捨てても問題がないからこそ、道長はそう指示を出している。そういう時代です。
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