高御座の生首

平城宮跡・第1次大極殿に復元された高御座

飛鳥・奈良・平安

高御座に置かれた子供の生首は誰?『光る君へ』のような事件は実際ありえる?

2024/03/26

主人公の母がいきなり刺殺されたり。

検非違使に殺された直秀の遺体がカラスに食べられそうになったり。

平安どころかバイオレンス満載の大河ドラマ『光る君へ』の第11回で、またもや衝撃的なシーンが流れました。

一条天皇の即位式で使われる高御座(たかみくら)の上に、子供らしき生首が置かれていたのです。

いったい何事か???

と視聴者が驚く以上に、腰を抜かしていたのが、それを見つけた内匠司と女官でした。

【穢れ】を恐れる平安貴族のリアクションと言いましょうか。

一方で、藤原道長は冷静に子どもの首を抱え、高御座を拭き、そのまま「鴨川にでも捨ててこい」とテキパキとしていましたが、皆さんの頭の中は疑問符で一杯になったはず。

あの生首はどっから持ってきたんだ?

ドラマとはいえ、やり過ぎじゃないか?

さすがにフィクションでも誇張し過ぎですよね……と思いきや、あの生首のシーンは全くの創作でもないのです。

さっそく考察してみましょう。

 


高御座生首事件は『大鏡』に記述あり

平安時代の貴族は、他者の死や血、遺体に恐怖心を抱き、常日頃から【穢れ】を気にしていました。

それだけに、今回の放送で生首事件が描かれたときも

「あまりにも【穢れ】を無視し過ぎではないか?」

という指摘もあったようです。

特に、天皇の高御座に生首が置かれるなど、不敬すぎてあり得ない。

確かにそんな風に考えたくなるかもしれませんが、今回の高御座の生首については『大鏡』に記述がありました。

『大鏡』

一条天皇即位準備の際、毛のついた生首が高御座に置かれていた。

この報告を受けた兼家は、ずっといびきをかいて寝ている。

よくこんな時に寝ていられるものだと報告者が驚いていると、報告が終わったところで兼家が目覚め、こう言った。

「設営はもう終わったのか?」

寝たふりをして、生首そのものをなかったことにして、即位を進めたのであった。

ドラマでは、生首を発見し、その存在を隠し通したのが道長とされ、報告を受けた父の兼家は、その果断っぷりを褒めていました。

そもそも『大鏡』は藤原氏礼賛の物語です。

生首事件の経緯や真犯人を不明として、穢れを堂々と無視する兼家を、豪胆であると評しています。

確かに、兼家に一定の豪胆さはあったのでしょう。

それと同時に、兼家に反発する勢力もいた。

確たることと言えば、それぐらい。

もしも事件が完全に隠蔽されていたら、『大鏡』に掲載されなかったかもしれません。

逆に、そうではなく現代にまで伝わっているのは、ドラマの中で兼家と道長が「即位すればいい」としたように、そこまで大事には至らないからではありませんか。

中世において、事件への感覚はその程度とも考えられる。

ですので、あれは伏線でも何でもなく、そのまま明かされることがないまま終わってもおかしくはないでしょう。

 


あれは誰の生首なのか?

当時の平安京は、死体がその辺に転がっていました。

行き倒れた子どもの生首は、現代人が小鳥の死骸を調達するよりも楽に手に入っても不思議はありません。

九相図/wikipediaより引用

現代人の感覚では、子どもの生首を嫌がらせのために調達することは信じがたいのでしょうが、穢れを無視すれば容易に手に入ります。

鴨川に捨てても問題がないからこそ、道長はそう指示を出している。そういう時代です。

 

花山院の数珠が北斗七星に飛び散った意味は?

高御座の生首を道長が片付けるまで――あの一連の場面は、花山院が呪詛をかけているようにも見えました。

花山院か、あるいは彼の支持者が生首を置いた可能性がないわけでもない。

それでも花山院の数珠が飛び散ったことで、敗北が明らかになります。

北斗星君とは、死を司る道教神です。

日本の仏教はインドから中国を経由してやってくるため、道教神が混在します。

仏教の進展と共にその影響は抑制されてゆくのですが、当時はまだ混在していたのだなと思える描写でした。

 


首桶がないのはなぜなのか?

大河ドラマでは【首桶】や【兜首】が登場します。

それが今回『光る君へ』では正真正銘【生首】が用いられたことから、話題をさらったとされます。

なぜ桶を使わないのか?

そもそもが嫌がらせ目的の、どうでもいい子どもの首です。

桶に入れる必要など全くありません。

『大鏡』に「髪がついている」と書かれているからには、あの状態で設置するしかないでしょう。

では、桶に入れる『鎌倉殿の13人』の方が親切なのか? というと、そうでもないはず。

見た目は落ち着くかもしれませんが、冷静に考えてみましょう。

まず【首桶】が常備されているということは、それだけ首がよく出るということでしょう。

次に、こうした桶には酒や塩などの腐敗防止剤が入るものです。つまり、桶の中身は腐ります。

高御座の首は、まだ切ってさほど時間が経過してなかったようで、腐ってはいませんでした。

その点を踏まえると『鎌倉殿の13人』の方がよほど殺伐としているとも考えられます。

また、あの生首の形状は『大鏡』由来ですので、どう考えても異常な【兜首】投擲があった昨年の大河ドラマ『どうする家康』とは比較にならないほど真面目でしょう。

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首を捨てたことで罰は当たったのだろうか?

子供の生首は鴨川に捨てて始末した。これでおしまい。

果たしてそうでしょうか?

即位した一条天皇に、何も変異はなかったのか?

彼自身の御代や生涯を思えば、決して幸せとは言えません。

最愛の藤原定子が突如自ら髪を切り、出家してしまう。強引に連れ戻して寵愛するものの、彼女は儚い命を終えてしまいました。

彼自身も短い生涯であり、思うままに生きられたと思えません。

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しかし、これは彼一人の問題でもありません。

【摂関政治】時代の帝は皆、散々な目に遭っていることはドラマの通りです。

首に関わった祟りが本物となるのであれば、道長が最も危険性が高いように思えます。

しかし、彼はこのあと、栄耀栄華を極めるわけです。

首は無効化されたと見なせる。

ついでにいえば、直秀を埋葬したときの【穢れ】についても、何ら祟っているとはいえないでしょう。

一条天皇即位のために追われた花山天皇ですが、その祟りともいえる不幸は、道長ではなく、その兄・藤原道隆の子たちにふりかかります。

祟りといえばよいのか。

血気盛んな貴公子たちのやらかしといえばよいのか。

結局、最も恐ろしいのは死んだ者よりも、生きている者の権力争いでしょう。

実は先代である花山天皇も、即位の高御座で事件が起きていました。

 

高御座にまつわる事件やエピソード

事件とは他でもありません。

花山天皇が女官を引き摺り込み、高御座で性行為に及んだというのです。

その間、冕冠(べんかん)の珠が揺れていたとか、かなり生々しい記録が残されています。

ただし、【寛和の変】のように異常な経緯で退位をさせられた天皇には、後ほど、あくどい逸話が捏造されることもあり、その点は注意が必要です。

ともかく花山天皇は型破りであり、その後のエピソードも事欠きません。

例えば花山院は、兼家の子である三兄弟に肝試しをするよう命じたことがあります。

道隆は豊楽院。

道兼は仁寿殿。

道長は太極殿。

それぞれ目的のスポットへ出向くだけ……と思いきや、怯えて逃げ帰ってきた兄二人に対し、道長だけは高御座の削りクズを持ち帰り、豪胆さを示したとされます。

『大鏡』に掲載された話ですから、道長の豪胆さを賛美したいのでしょう。

しかし、道長の日記を読むと、律儀な性格が見てとれるとか。

リアルな姿と、誇張された姿には隔たりがあるのですね。

 

衣装にも注目を

一条天皇が即位をするとき、冕冠(べんかん)を身につけていました。

幼い一条天皇にあわせ、わざわざ作った手間を考えると実に貴重。

中国由来の冠であり、孝明天皇まで用いられています。

孝明天皇の冕冠(べんかん)/wikipediaより引用

明治以降は中国風を改めるため廃止したのですが、実はこれがなんとも中途半端であります。

というのも即位を含め、今上天皇に至るまで身につける最高位の「黄櫨染御袍」(こうろぜんのこうほう)は、唐の皇帝由来なのです。

中国の人からすれば、天皇の即位礼は古代中国の色が見られる貴重な機会になるのだとか。

高御座の生首で話題をさらった第11回。

現代の視聴者からすれば、その生首にショックを受けるのでしょうが、当時の価値観を踏まえてみましょう。

『大鏡』は、生首すら知らぬふりをする兼家の豪胆さを褒めています。

同じく肝試しの段では、高御座を削り取る道長の豪胆さを称賛しています。

『大鏡』にあった藤原氏称賛が見られたのが第11回でした。

しかし、『光る君へ』はそれだけではありません。

輝く藤原氏の影で、苦悩する藤原為時一家の悲運が描かれました。

『光る君へ』というドラマには、まばゆい光と悲しい影があるようです。


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【参考文献】
倉本一宏『敗者たちの平安王朝』
倉本一宏『一条天皇』
山本淳子『源氏物語の時代』
『大鏡』
郭浩『中国の伝統色』

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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