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【高御座の生首】
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花山院の数珠が北斗七星に飛び散った意味は?
高御座の生首を道長が片付けるまで――あの一連の場面は、花山院が呪詛をかけているようにも見えました。
花山院か、あるいは彼の支持者が生首を置いた可能性がないわけでもない。
それでも花山院の数珠が飛び散ったことで、敗北が明らかになります。
北斗星君とは、死を司る道教神です。
日本の仏教はインドから中国を経由してやってくるため、道教神が混在します。
仏教の進展と共にその影響は抑制されてゆくのですが、当時はまだ混在していたのだなと思える描写でした。
首桶がないのはなぜなのか?
大河ドラマでは【首桶】や【兜首】が登場します。
それが今回『光る君へ』では正真正銘【生首】が用いられたことから、話題をさらったとされます。
なぜ桶を使わないのか?
そもそもが嫌がらせ目的の、どうでもいい子どもの首です。
桶に入れる必要など全くありません。
『大鏡』に「髪がついている」と書かれているからには、あの状態で設置するしかないでしょう。
では、桶に入れる『鎌倉殿の13人』の方が親切なのか? というと、そうでもないはず。
見た目は落ち着くかもしれませんが、冷静に考えてみましょう。
まず【首桶】が常備されているということは、それだけ首がよく出るということでしょう。
次に、こうした桶には酒や塩などの腐敗防止剤が入るものです。つまり、桶の中身は腐ります。
高御座の首は、まだ切ってさほど時間が経過してなかったようで、腐ってはいませんでした。
その点を踏まえると『鎌倉殿の13人』の方がよほど殺伐としているとも考えられます。
また、あの生首の形状は『大鏡』由来ですので、どう考えても異常な【兜首】投擲があった昨年の大河ドラマ『どうする家康』とは比較にならないほど真面目でしょう。
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首を捨てたことで罰は当たったのだろうか?
子供の生首は鴨川に捨てて始末した。これでおしまい。
果たしてそうでしょうか?
即位した一条天皇に、何も変異はなかったのか?
彼自身の御代や生涯を思えば、決して幸せとは言えません。
最愛の藤原定子が突如自ら髪を切り、出家してしまう。強引に連れ戻して寵愛するものの、彼女は儚い命を終えてしまいました。
彼自身も短い生涯であり、思うままに生きられたと思えません。
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しかし、これは彼一人の問題でもありません。
【摂関政治】時代の帝は皆、散々な目に遭っていることはドラマの通りです。
首に関わった祟りが本物となるのであれば、道長が最も危険性が高いように思えます。
しかし、彼はこのあと、栄耀栄華を極めるわけです。
首は無効化されたと見なせる。
ついでにいえば、直秀を埋葬したときの【穢れ】についても、何ら祟っているとはいえないでしょう。
一条天皇即位のために追われた花山天皇ですが、その祟りともいえる不幸は、道長ではなく、その兄・藤原道隆の子たちにふりかかります。
祟りといえばよいのか。
血気盛んな貴公子たちのやらかしといえばよいのか。
結局、最も恐ろしいのは死んだ者よりも、生きている者の権力争いでしょう。
実は先代である花山天皇も、即位の高御座で事件が起きていました。
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