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【大弐三位(藤原賢子)】
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公任の息子・定頼に返した嫉妬の歌
あるとき定頼が大弐三位へこんな歌を贈ってきました。
見ぬ人に よそへて見つる 梅の花 散りなむ後の なぐさめぞなき
【意訳】あなたが会ってくれないので、慰めに梅の花を見ていました。この花が散ってしまった後は、何を慰めにしたらいいのでしょう
対する大弐三位の返歌は次の通りです。
春ごとに 心をしむる 花の枝(え)に 誰がなほざりの 袖か触れつる
【意訳】春が来るたびに心を占めてきたこの梅の枝に、一体誰が残り香をつけたのでしょうね
「あなたが他の女性に会っていたことは知っていますよ。だからお会いしたくないのです」というわけです。
当時の貴族は一夫多妻が当然で、咎められるようなものでもないのですが、それでも定頼は間が悪かった。
「あなたのことが一番好きなのにつれないね」とか言っておきながら、「実は他の女性とも会ってました」では、誰だって気分が悪くなって当然です。
似たような経緯で機嫌を損ねた女性として有名なのは『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母(夫は藤原兼家)でしょうか。
とはいえ、愛しているからこそ嫉妬や拗ねたりするわけで……。
藤原道綱母と『蜻蛉日記』が今でも人気あるのは兼家との愛憎劇が赤裸々だから
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道長の長男・頼通とは良き主従関係を?
大弐三位から定頼へ宛てた歌をもう一首、見てみましょう。
つらからむ 方こそあらめ 君ならで 誰にか見せむ 白菊の花
【意訳】あなたの態度はつらいですが、あなた以外にこの白菊の花を見せようとは思いません
これは紀友則の和歌
君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る
の本歌取り。
今なお大弐三位の情熱が伝わってくるようで熱いですねー。
彼女の恋愛観については明確なことはわからないものの、少々、私見を挟ませていただきます。
大弐三位は、主人である彰子の弟・藤原頼通と親密だったようなエピソードがあります。
あるとき頼通が自宅である高陽院の梅を一枝贈りました。
大弐三位はとても喜び、お礼の歌を贈ります。
いとどしく 春のこころの そらなるに また花の香を 身にぞしめつる
【意訳】ただでさえ春はうわの空になるものですのに、こんな素晴らしい梅の花をいただいたので、香りに酔いしれてしまいましたわ
これに対し頼通は次のように返歌をしました。
そらならば たづねきなまし 梅の花 まだ身にしまぬ にほひとぞみる
【意訳】ならばこちらへ訪ねていらっしゃい。まだ梅の香りがしっかりついていないようですから
恋仲であれば女性が男性のもとを訪ねるというのはあまりないことなので、二人は仲の良い主従関係だったのではないでしょうか?
そして、こういうやり取りができる程の間柄であれば、頼通も自分の正室・隆姫女王(村上天皇の孫)や夫婦関係の話などもできたのでは?
頼通は当時の公家にしては珍しく一本気な愛妻家で、三条天皇から皇女を降嫁させたいという話があったときも、
「妻が悲しみますので」
と断ったことがあるほどです。
頼通の態度を見て、大弐三位が”一途な男性”を理想としていたとすれば、定頼への拗ね方も合点がいきますね。
しかし大弐三位は、『光る君へ』の視聴者からしてみれば、なかなか驚きの相手と結婚をします。
藤原兼隆――そう、この兼隆とは、藤原道兼の息子なのです。
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