1840年11月14日は、画家のクロード・モネが誕生した日です。
絵画『睡蓮』で有名ですが、「光の画家」ともいわれています。
レンブラントやフェルメールも同じ二つ名で呼ばれますが、いったい何人につけられてるんでしょうね、これ。
「天空の城」がいくつもある日本なので、よそ様のことはアレコレ言えませんが。
まあそれはともかく、モネの生涯を見ていきましょう。
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ルノワールとも一緒に学び個性豊かに腕を磨く
モネはパリで生まれ、5歳のときにフランス北部・ノルマンディー地方のル・アーヴルという町に引っ越しました。
水の表現が秀逸なのは、幼い頃からノルマンディーの景色を目にして感性が磨かれたのかもしれません。
十代後半から文具店の店先に絵を置いてもらっていたそうなので、絵の専門家でなくても「これは」と思えるところがあったのでしょう。
同時期にフランスの中学校にあたるコレージュを退学し、絵を専門的に学んでいきます。
ル・アーヴルにいたウジェーヌ・ブーダンという画家の目に留まったことで、モネは本格的に画家として歩み始めました。
ブーダンはキャンバスを持って外に絵を描きに行くというスタイルの画家で、モネも同じように「見た風景をその場でキャンバスに描く」ようになっていきます。
19歳でパリに出ましたが、1年ほど兵役についているので、この間は絵を描きたくて仕方がなかったでしょうね。それでなくても戦争なんて嫌なものですし。
22歳のとき、シャルル・グレールという人のアトリエに入ってさらに研鑽を積みます。
芸術のお師匠様というとなかなか厳しそうなイメージがありますが、グレールは「自分の個性を大事にしなさい」という主義だったため、モネの持ち味がここでぐんと成長します。
モネの他にもルノワールなどがここで学んでいたことからして、グレールは人の才能を見つけて育てるのがうまい人だったんでしょうね。
その後は画壇でも認められるようになり、恋人との間に子供も生まれ、何もかも順調に行くかのように見えました。
しかし、ここでモネだけでなくフランスにとって大きな出来事が起こります。
普仏戦争です。
上記の通り、モネはこれ以前に一度徴兵されたことがあるので、戦場がどんなものかということは身に沁みてわかっていました。
徴兵を避けるためロンドンへ渡って戦争が終わるのを待ち、さらに数ヶ月オランダに行ってからフランスへ戻っています。
妻カミーユの着物姿を描いたラ・ジャポネーズ
帰国してからもパリには長居せず、郊外のアルジャントゥイユという町に住みました。
フランスはこの時期、ようやく産業革命が進んでいた頃でした。アルジャントゥイユも機械化が進んでいる最中であり、その移りゆく姿がモネの琴線に触れたようです。
また、舟に画材を持ち込んでセーヌ川に浮かべ、それに乗って描くというなかなか面白い挑戦もやりました。
この奔放さはまさに「天才肌」といった感がありますね。
このあたりから、モネの作品数は飛躍的に増えました。
その数、約7年で170点というのですから驚きです。単純に考えて、1年で20枚以上描いていたことになりますからね。
ルノワールなど、かつての学友たちと「匿名協会」というサークルを作り、ほぼ毎年展覧会を開くようになったからかもしれません。
この展覧会の第一回に出品されたのが、モネの代表作のひとつ「印象・日の出」です。当時は酷評されましたが、絵画における「印象派」というスタイルはこの絵からきています。
また、印象派展覧会の第二回には、モネの妻・カミーユが日本の着物を着ている「ラ・ジャポネーズ」を出品しています。
金髪の女性が赤い着物を着て、手に扇を持ちながら振り返っている有名な絵ですね。
風景画家・モネが描いた数少ない人物画でもあります。
残念なことに、カミーユはこの絵が展示された3年後に亡くなってしまうのですけれども……いや、だからこそモネは他の人物画をあまり描かなかったのかもしれません。
あまり知られていませんが『死に際(死の床)のカミーユ』という、タイトルまんまの絵があるのです。
今まさに旅立ったばかりの愛する妻がだんだんと変わり果てていくところを描いてしまったら、他の人を描く気にはならないでしょうねえ。
時代が前後しますが、モネはたびたびカミーユをモデルにしており『緑衣の女性』や『日傘をさす女』のモデルもカミーユでした。
いずれも半分背中を向けているような構図で、モネがカミーユのそういう姿を愛したのかもしれません。
『ラ・ジャポネーズ』は珍しく?顔だけがこちらを向いている構図ですが、やはり背中のラインが際立ちます。一種のフェティシズムなんでしょうかね。
妻に先立たれた後、モネは一気に家族が増えました。
というのも、彼のパトロンの一人が妻と子供と借金を残してトンズラしてしまったのです。
お世話になった手前&哀れな夫人と子供たちを放っておけなかったのか、モネは全員引き取って生活を支えました。
自分の子供を含めて、いきなり10人もの大所帯の大黒柱になったのです。
現代だったら確実にワイドショーのネタになってますね。
後にこの夫人・アリスとは再婚しているので、世の中何がどう転ぶかわからないというか、運命の出会いというか。
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