鎌倉・室町時代

1333年に滅亡した鎌倉幕府の全将軍言えますか?ラストは職を解かれた年に死亡

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問題です。

室町幕府最後の将軍は足利義昭
江戸幕府最後の将軍は徳川慶喜

では、鎌倉幕府最後の将軍は誰でしょうか?

おそらく98%の方が「わからない」とお答えになると思われます。

鎌倉幕府のラストというと皇室が南北朝に分かれる兆しが見え始めており、一方で楠木正成や足利尊氏など有名人が乱立。
本来もっと目立つはずだった幕府中枢の人物がすっかり忘れ去られているんですよね。

日本史の教科書を見てみると
尊氏が六波羅探題、新田義貞が鎌倉を攻めて幕府が滅亡したよ!」
ということしか書かれていませんでした。

あれ?
将軍と執権は……?

てなわけで、今回は元弘三年(1333年)5月22日の鎌倉幕府滅亡にちなみ、最後に幕府トップの座にいた人物の末路をご紹介したいと思います。

皆さんご存知の通り、鎌倉幕府は源頼朝が興した史上初の武家政権ですが、アレコレのイザコザで源氏の将軍は三代で途絶えてしまいました。

その後いったい誰が幕府のトップ=征夷大将軍にいたのか?

というと、皇室や公家から呼び寄せておりました。
源氏将軍がいなくなると同時に”武家の政権”というのも名目上の存在になってしまったわけですね。

 

3代で無くなっていなかった鎌倉将軍

まずは歴代将軍をチェックしておきましょう。

1 源頼朝(1192-1199)
2 源頼家(1202-1203)
3 源実朝(1203-1219)
4 藤原頼経(1226-1244)
5 藤原頼嗣(1244-1252)
6 宗尊親王(1252-1266)
7 惟康親王(1266-1289)
8 久明親王(1289-1308)
9 守邦親王(1308-1333)

ご覧のとおり1~3代は源氏将軍が就き、4~5代が藤原家、6~9代が親王(天皇の息子)となっておりますね。

最後の九代将軍は、守邦親王(もりくに)という皇族の方でした。
8歳にしてお飾りの将軍にさせられ、32歳にして幕府が倒れたため職を解かれたまではまだマシなものの、出家するとその年のうちに亡くなっています。

特に体が弱かったという話もないのに、このタイミングはアヤシイにも程がありますよね。。
しかし、それらしき噂や逸話もないようで謎が深まります。

ここツッコんでいったら”驚愕の新事実”とか出て……こない?

摂家将軍・宮将軍と呼ばれた四代以降の将軍は墓所すらハッキリしてないようです。それもまた哀れなり(´;ω;`)

 

皮肉にも最期の将軍が最長在位

また、守邦親王は幸か不幸か、鎌倉幕府での征夷大将軍としては最長の在位年数でした。

そのため彼の在位中に執権についていた人物も多く、十代~十六代まで7人もの執権がいます。
もちろん、いずれも北条氏の人間です。

このうち十三~十六代までの執権を務めていた人物は、時期の差こそあれ鎌倉幕府滅亡の際に自刃しています。

中には息子に先を越された人もいたりしますが、自ら死を選んでいるあたりはなんというか、当時の武士の死生観が現れているようで言葉に詰まりますね。

その後、北条氏が再び歴史の表舞台に出てくることもありませんでした。
一応「ウチは北条氏の末裔なんだぜ!」と名乗る人々はいたようですが、確たる証拠はありません。

ついでにいいますと、北条早雲に始まる小田原城の北条氏は血が繋がっていない別の家なので、”後”北条氏と呼んで区別していることが多いです。
繋がってたらそれはそれでロマンがあるんですけど、今や早雲の出自は室町幕府のエリート武士だとされております。

室町幕府や江戸幕府に比べ、鎌倉幕府の印象が弱いというか地味というかネタになりにくいのは、こうした結末の差も一因なのかもしれません。

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
守邦親王/wikipedia
北条高時/wikipedia

 



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