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【平徳子(建礼門院)】
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「建礼門院の髪を源氏方が熊手でかき取った」
とはいえ、さすがに徳子も拒絶。
後白河法皇からしても「アナタの息子の嫁が未亡人になったのでぜひどうぞ^^」といわれたことになるわけで、そりゃ気が進まないわけです。清盛の必死さがわかりますが。
結局、異母妹の御子姫君(みこのひめぎみ・冷泉局とも呼ばれる)が行くことで収まります。
彼女のその後はハッキリしていませんが、後白河法皇との仲は冷えたもので、若くして亡くなったという説があります。誰も幸せになれないなんてひどすぎる……。
ともかく後白河法皇が高倉天皇の代わりに再び院政を行うことになると、平氏の勢力は衰えました。
清盛は徳子が安徳天皇の生母であることを利用しようとするも、権勢を回復し切る前に熱病で亡くなってしまい、平氏の勢力は弱る一方。
徳子には建春門院のように政治的調停をする力がなかったため、無力だったということもできますが、これが後々功を奏した……といえなくもないことになります。
ビミョーな表現なのはその……うん、先行きましょう。
安徳天皇とともに平氏の西国落ちに従い、【壇ノ浦の戦い】では徳子も入水しましたが、彼女は生き残りました。
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『平家物語』では
「建礼門院の髪を源氏方が熊手でかき取った」
とされています。ひでえ。
まぁ、当時の女性の髪の長さや衣装の重さを考慮すると、ありえるようなありえないような……。
三世代一緒に水天宮で暮らせて幸せ……かも
徳子は平宗盛・時忠といった他の生き残りとともに京に護送されました。
宗盛は斬首、時忠は配流とされています。
一方で政治的な動きをしていなかった上に先帝の生母である徳子は不問となり、仏門に入りました。
同年の夏に京都で大地震が起きたため、比叡山の北西にある寂光院というお寺に移っています。ここは聖徳太子創建という、当時でも歴史を持つお寺でした。
寂光院は平家物語の締めくくりである「灌頂(かんじょう)の巻」の舞台でもあります。
この巻をざっくりいうと、
“後白河法皇がお忍びで徳子の元を訪れ、徳子は涙ながらに来し方行く末を語り、「先帝(安徳天皇)と平氏一門の人々の夢を見ました」と話したところ、後白河法皇も「あなたは生きながらにして六道(※)を見たのですね」と涙を流した……”
というものです。
半分はアンタのせいだけどな、というツッコミは野暮ですかね。
語り継がれる平家物語でデフォルメされた?
平家物語はあくまで物語なので「灌頂」そのままの出来事があった可能性は低いでしょう。
ただし、
「“建礼門院右京大夫”という元女官が寂光院を訪れ、徳子たちのあまりの落魄ぶりに涙をこぼした」
という記録があるので、おそらくは彼女の語ったことが元ネタでしょうね。
右京大夫は後に後鳥羽天皇の宮中に出仕しているため、後鳥羽天皇が見も知らぬ異母兄の母を憐れんで、物語にすることで弔いを示そうとした……なんてこともありそうです。
後鳥羽天皇が表立って徳子の生活の面倒を見てしまうと、鎌倉幕府や公家たちから「まだ平氏をひいきするつもりなのか」などと思われて危険ですし。
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もしくは、平家物語を語り継いだ琵琶法師たちが「ここはすべての元凶の一員である後白河法皇が訪ねたことにしたほうが、世の無常を強調することができる」と考え、改変したというのもありそうですね。
徳子は水天宮の祭神の一柱として、安徳天皇や二位尼(平時子・清盛の正室で徳子の母であり安徳天皇の祖母)と一緒に祀られています。
波の下の都ではなくとも、三世代一緒に暮らせて幸せ……かもしれませんね。
それとも、神様だと人間の願いを叶えるためにあっちこっちへ行くようになるでしょうから、やっぱりすれ違ってたりするんでしょうか。それはそれで悲しい(´;ω;`)ブワッ
※六道……仏教で輪廻転生により巡るといわれる六つの世界。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道。ちなみに六道からも外れた存在を「外道」といいます
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【参考】
国史大辞典
平徳子/Wikipedia
寂光院(→link)
水天宮(→link)