高倉天皇

高倉天皇/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

8歳で即位 21歳で崩御の高倉天皇~後白河法皇や平清盛に翻弄された生涯とは?

治承5年(1181年)1月14日は、高倉天皇が崩御された日です。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代ですが、何となく聞き覚えがあるような、でも何をしたのかハッキリとはわからない……そんな印象の方が多いかもしれません。

それもそのはず、この方が生きていたのは平家の全盛期~斜陽の頃にあたる上、ご本人がわずか21歳(数え年)で亡くなってしまっているのです。

ここだけ聞くと何やら不穏な感じもしますが、その短い生涯は一体どんなものだったのか、振り返ってみましょう。

高倉天皇/wikipediaより引用

 


二条天皇に皇子がいたので可能性は低かったが

高倉天皇は、後白河天皇平滋子(しげこ)の間に生まれました。

滋子は平清盛の妻・時子の妹で、美貌と聡明さでよく知られた人です。

後白河天皇の容貌については特に伝わっていませんが、高倉天皇は母に似たようで、色の白い美男子であったといわれています。同性の親より異性の親に似るっていいますものね。

後に源頼朝に「日本国第一の大天狗」と罵られる後白河法皇/Wikipediaより引用

ただし、生誕後の立場はそれほど恵まれたものではありません。

後白河天皇が譲位した後の子供だったこと。

ときの天皇・二条天皇(高倉天皇からすると異母兄)に皇子がいたこと。

こうした状況から、本来であれば高倉天皇が位につく可能性は極めて低いものだったのです。

しかし、後白河天皇と二条天皇が険悪な仲のまま、二条天皇が先に崩御し、さらに二条天皇の子である六条天皇がまだ幼少だったため、後白河天皇は「もうちょっと年長者が天皇になったほうが皆安心するよね^^」(※イメージです)という名目で、高倉天皇を皇太子に立てた後、六条天皇を引きずり下ろして高倉天皇を即位させました。

六条天皇/wikipediaより引用

ちなみに、即位したとき高倉天皇はまだ8歳でした。

年長とはいったい?

当然のごとく実際の政治は後白河天皇が行っています。権力って怖い……。

 


清盛・娘との間に後の安徳天皇が生まれる

天皇に限らず、君主の仕事のうち、最も大切な一つが後継者を作ること。

乳幼児の死亡率が高いこの時代、できるだけ多くの子供を授かるために、早いうちからお相手を見つけねばなりません。

高倉天皇は、11歳のときに平清盛の娘・徳子を中宮に迎えています。

平徳子/wikipediaより引用

母方のいとこ同士であり、高倉天皇にとっては6歳上の姉さん女房でした。

6年後には二人の間に皇子が生まれているので、夫婦仲としては悪くなかったのではないでしょうか。高倉天皇の年齢からすると、結婚当初は夫婦というより「新しいお姉さんができた」感じだったかもしれません。

後白河天皇の意向もあり、生まれた皇子は生後一ヶ月ほどで皇太子に立てられます。

これが後の安徳天皇です。

安徳天皇/wikipediaより引用

人の親ともなれば、年齢的に若くても、世間的には一人前。

安徳天皇が生まれた翌年に実父・後白河天皇と義父・清盛が対立し、最終的に後白河天皇が幽閉状態になると、いよいよ高倉天皇に親政を行うチャンスがやってきました。

ときに高倉天皇は18歳。

若くて美しい君主だなんてどこのメルヘンですかね(褒め言葉)。

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