抹茶の歴史

源平・鎌倉・室町

日本だけ抹茶が根付いた意外な歴史~全ては栄西と源実朝から始まった

『鎌倉殿の13人』の放送を機に発売された『侍ハーバー 勝栗抹茶』をご存知でしょうか?

ドラマの舞台である神奈川県の名物「ありあけのハーバー」の関連商品であり、2022年12月末までの期間限定(→link)。

侍ハーバー

侍ハーバー/公式サイトより引用(→link

十三人に見立てて13種類の材料が使われ、包装紙には北条氏の家紋「三つ鱗」という凝った仕様なのですが、何より歴史的好奇心が刺激されるのは「抹茶」という素材が用いられたことでしょう。

茶はご存知、中国由来のものですが、抹茶という楽しみ方は実は日本にだけ根付いた独特の文化。

しかもその起源は鎌倉時代で、将軍・源実朝とも深い関わりがあります。

一体なぜ日本において抹茶は独特の進化を遂げたのか?

その歴史を振り返ってみましょう。

 

和洋折衷菓子ありあけのハーバー

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台となる神奈川県。

ファンの皆さまが遠方から訪れ、何かお土産を買うとすれば、

◆鎌倉名物「鳩サブレー」(→link

◆横浜名物「崎陽軒のシュウマイ」(→link

あたりが全国的にも知られた銘菓名物となりましょう。

これらに準じて地元・神奈川で絶大な人気を誇る「ありあけのハーバー」は、マロンケーキと分類されます。

元々は1936年に横浜で創業され、伝統和菓子を販売していた「有明屋」が戦後になって洋菓子製造をスタート。

そこで作られたマロンケーキーが元祖ハーバーであり、当初の名前は「ロマン」でした。

その後、1966年に「ハーバー」と改名され、紆余曲折を経て現在に至るのですが……皆さんはお召し上がりになったことはございますか?

オンラインでも注文できる横濱ハーバー/公式サイトより引用

横浜開港150周年を記念して描かれた、柳原良平氏のパッケージイラストが愛らしいですよね。

洋菓子でありながら、和菓子の流れも汲んだ、親しみのある和洋折衷菓子とでも言いましょうか。

ここに日本伝統の「抹茶」を織り込んだのが今回の『侍ハーバー』……と、お菓子の説明はここまでにして抹茶の歴史へ進みましょう。

 

栄西、茶と衝撃の出会いを果たす

竹筒に入れた水をゴクゴクと飲んだり。

宴会で酒を飲んだり。

『鎌倉殿の13人』で、北条義時たちが口にする飲み物は主にその辺りで、牛乳はもちろんジュースもなければ、お茶は……ありそうでない。

本格的に普及しだしたのが鎌倉時代だからです。

茶の伝来そのものは平安時代であったものの、爆発的な広まりは見せませんでした。知る人ぞ知る程度に止まっていたのです。

それが爆発的に広まるタイミングが訪れます。

「この神秘的な茶! みなさん、これを飲まないと、この国に未来はありませんよ……」

そう猛烈に推すインフルエンサー・栄西が登場したのが鎌倉時代でした。

吾妻鏡』にこんな記述があります。

建保2年(1214年)のこと。鎌倉幕府三代将軍・源実朝が二日酔いで苦しんでいると、栄西がお茶を勧めてきた――。

茶は二日酔いにも効きます。

しかし栄西の狙いはもっと壮大でした。

「茶を飲めば健康になる。 日本でも取り入れるべきです。そうすればよりよい国になる!」

なぜ栄西はそんなことを考えるようになったのか。

もともと彼は仏教を学ぶべく南宋に渡り、浙江・明州(寧波)で茶店に立ち寄った際、衝撃を受けました。

飲むだけで疲労が回復していく!

気分もシャキーン!

なんなんだ、これは!

茶店の主人から振る舞われたのは「五香煎」という茶。これは是非とも日本に伝えねばならない――。

そんな情熱を燃やして記したのが二巻の『喫茶養生記』であり、帰国後、源実朝に勧めたは必然の流れと言えるでしょう。

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栄西が、抹茶を強烈に推奨した理由もわかります。

中国料理の歴史において、当時の宋代は一つのターニングポイントとなっていました。

現代にも伝わる調理法は宋代に確立したものが多く、当時はそれだけ技術や経済が発展。

要は、社会が成熟したのであり、それ以前、遣唐使が終わって、大陸から文物の流入が止まっていた日本にとって、垂涎のものばかりだったのです。

栄西は仏僧ですから、東坡肉(トンポーロー)のような肉料理は導入できません。

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そこで栄西が積極導入したのが茶――神秘のスタミナドリンクです。

宋代での団茶は、きれいな模様を表面に入れ、茶碗の中で色を楽しむ、上流階級の嗜みともいえる文化もありました。

しかし栄西にとっては、あくまで健康飲料。

山を駆け巡って狩りを楽しむだけはよろしくない。

誰かの屋敷に行って酒を飲んで、歌い踊るだけでもいかん。

カフェインを含む茶を飲んで、眠気を吹き飛ばし、学問に励むだけでなく写経もしたい。

教養や信仰への意欲が高まる鎌倉時代だからこそ、茶は歓迎されました。

抹茶は、鎌倉に新時代をもたらす飲料となったのです。

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