輪廻転生

北条泰時(左)と上総広常/国立国会図書館蔵(左)・wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

輪廻転生を否定はしていなかった鎌倉殿の13人「ぶえい」と泣いた泰時

伊豆の純朴な青年だったのに、源頼朝と出会ってしまったがため、心も腹もすべてがドス黒くなってしまった大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の北条義時

頼朝と義時の前では、数多の命が無惨に奪われていきましたが、では本人たちは、当時の死生観からして幸せな死に方だったと言えるのか?

そこで考えてみたいのが【輪廻転生】です。

死んだ者の魂が後世に生まれ変わり、また人の世で魂を研鑽する――輪廻転生とは、おおよそそんな意味であり、いかにもスピリチュアル的な話だと思われるかもしれません。

しかし、舞台が中世であれば決して荒唐無稽とは言えない。

実際、ドラマの中でもそれを示唆するシーンはありました。

1184年2月3日(寿永2年12月20日)は上総広常の命日。

北条泰時と共にその死生観を振り返ってみましょう。

 


泰時は広常の生まれ変わり!?

御家人の中でも圧倒的な兵力と所領を持っていたせいか。

まだ平家との戦いは終わっていない寿永2年(1184年)12月20日、上総広常は、頼朝の命令により、突然、誅殺されました。

※以下は上総広常の生涯まとめ記事となります

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ドラマをご覧になられた方は、佐藤浩市さんの迫真の演技を忘れられずにいるでしょう。

双六の最中、中村獅童さん演じる梶原景時に突如斬られ、他の御家人たちが息を呑む中、もがきながら、言葉をつなぎながら、無念さを抱えたままに死んでいく――。

広常に声をかけられた義時は、思わず目を背け、力なく現実を受け止めるしかありません。

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驚いたのはその後、自身の赤ん坊(金剛のちに北条泰時)が生まれたときのことです。

義時が我が子を抱いたとき、彼は思わず顔をしかめました。

ぶえい! ぶえい!

赤ちゃんの泣き声から聞こえた「ぶえい」とは上総広常が頼朝に向かって呼びかけていた「武衛」と重なる言葉。

このとき義時は何を思ったのか?

息子(北条泰時)はもしかしたら上総広常の生まれ変わり?

現代から見れば荒唐無稽と思われる輪廻転生について、脚本家の三谷氏も意識していたと記しています。

◆(三谷幸喜のありふれた生活:1083)広常と泰時、不思議な偶然(→link

北条泰時は生年のみ反映されていて、月日は不明。

その状況が活かされ、上総広常の死からほどなくして生まれる設定となったのです。

「ぶえい」と聞こえる泣き声は、スタッフがわざわざ見つけて使用したものでした。

さらに第35回放送では「双六をすると体調が悪くなる」という、上総広常の死の場面がハッキリと強調されました。

ここまで来ると最早確信でしょう。

実際、気になった視聴者もいらっしゃったようで、放送後は、弊サイトにも「北条泰時 上総広常」とか「泰時 双六」といったキーワードでの検索がありました。

かように中世の信仰を盛り込んだ『鎌倉殿の13人』では、他にも“らしい”場面が出ています。

後白河法皇が夢枕に出る

阿野全成が占いをする

文覚が呪詛を行う

こうした彼等の行動は、何も三谷氏のおふざけではありません。

中世の日本人は輪廻転生などの仏教思想を真面目に信じていて、そのことが様々な場面で影響を与えていたものです。

「ぶえい」の演出は、あくまで匂わせる程度とはいえ、少なくとも『鎌倉殿の13人』の舞台では上総広常が北条泰時に転生したことを否定はしていません。

泰時は人格的に優れ、兄弟愛にも溢れていました。

史実の頼朝は、そんな泰時を可愛がっていました。

まだ十歳の泰時(当時は金剛)に佩剣を与えたこともあるほどで、もしも『鎌倉殿の13人』でそのシーンがあったら、自身が殺させた広常に大切な刀を与えるということですから、非常に皮肉な場面となったでしょう。

後に、第三代執権となった泰時は、御家人たちが読みやすいように工夫した『御成敗式目』を定め、彼等に秩序を与えました。

北条泰時
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頼朝が成し遂げられなかった「法と信頼による統治」です。

それを上総広常の生まれ変わりが実行していたら?

戦うばかりで満足に文字を書くことができなかった広常。

梶原景時に背中を斬られ、言いたいことも満足に言えず亡くなってしまった無念さも、少しは晴れるというものではないですか。

 


怨霊を本気で恐れた頼朝

いかがでしょう?

あの衝撃的だった上総広常の死に様。

それが泰時に生まれ変わって活躍していた……そう考えることができたら、心が安らぎ、少しはショックが和らぎませんか?

これが輪廻転生の役目かもしれません。

当時の武士たちは、我々視聴者が受ける以上の心理的衝撃を抱え込み、生きていました。

他ならぬ源頼朝もその一人。

鎌倉に幕府を拓くとき、頼朝にはこんな思いがありました。

怨霊対策を万全にした都作りを――。

頼朝と義経の対立
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『鎌倉殿の13人』では、阿野全成が都市計画において風水の助言をしています。

ドラマの描写とはいえ史実を基にしていて、鎌倉は怨霊対策を万全にしたレイアウトと施設を備えるように設計されました。

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単に信心深いということだけではなく、怨霊を恐れる心があったからです。

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