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【土御門上皇】
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金原陵や阿波神社を地図で確認
土御門上皇は寛喜三年(1231年)10月6日に病で出家し、法名を行源としました。
病気は、既に進行していたようで、同月11日に崩御されています。享年37。
法名よりも、配流先にちなんだ「土佐院」「阿波院」という呼び名のほうが知られているかもしれません。
待遇としては悪くなかったと思われますが、体質の問題なのか、土地の水が合わなかったのか。
後鳥羽法皇や順徳上皇の崩御よりもかなり前に亡くなられています。
・後鳥羽法皇は延応元年(1239年)2月20日
・順徳天皇は仁治3年(1242年)9月12日
性格や身体の強さと比例していたのでしょうか。
哀しいことに、土御門上皇が亡くなった時、母の承明門院はまだ在世中。
天福元年(1233年)12月に彼女は、山城国金原(長岡京市金ヶ原)に法華堂を建立し、土御門上皇の遺骨を移しています。
地図で確認しておきましょう。
以降、ここは【金原陵(かねがはらのみささぎ)】と呼ばれ、後の天皇が即位・元服する際や、蒙古襲来の際などに使者が派遣され、土御門上皇が死後も尊重されていたことがわかります。
南北朝や戦国時代による戦乱のせいか。いつしか法華堂は滅びてしまったのですが、幕末に修繕が行われ、現代でも参道は整えられています。
大河ドラマの放送を機に、訪れる方が増えるかもしれませんね。
それでしたら、終焉の地である阿波にも、土御門上皇を祭神として祀る阿波神社(徳島県鳴門市)、そして火葬塚が存在します。
大河ドラマでは、鎌倉だけが舞台ではなく、こうして全国に注目スポットが点在しているのは良いかもしれませんね。
コロナで滞っていた人の流れが復活し、地方の経済が活性化することは何よりでしょう。
三人で詠んだ歌かもしれない
最後に土御門天皇や父子の和歌について少し触れておきましょう。
土御門天皇の和歌については、御集(天皇や上皇の個人和歌集)がある他、後年の勅撰集にも入れられています。
土御門天皇の御製は、技巧的な歌というよりも、風景をそのまま詠んだ平易なものが多いようです。
例えば次の様な作品。
百敷の 庭の橘 おもひ出でて さらに昔を しのぶ袖かな
【意訳】宮中の庭にあった橘が懐かしく、栄えていた昔が忍ばしい
”百敷”は宮中を意味します。
この歌の作成年代はわかっていないのですが、この場合の”橘”は「左近の桜・右近の橘」と並び称されるものを指しているのでしょう。
朝廷の儀式場である紫宸殿の南庭、その前方左右に植えられていた木々です。
おそらくは配流先で橘を見かけて、右近の橘を思い出し、朝廷が栄えていた頃に思いを馳せた……といった状況で詠んだのではないかと思われます。
百敷や橘はいずれも、よく用いられる季語なのですが、実は、これらの季語を使った上で、後鳥羽上皇や順徳天皇が似たような意味合いの歌を詠んでいます。
順徳天皇の御製は、乱の5年ほど前、建保四年(1216年)頃です。
ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
【意訳】朝廷の古い邸の屋根に忍草が生えている。昔栄えていた頃は、このようなことはなかっただろうに
こちらは百人一首にも取られていますので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
後鳥羽上皇も、隠岐に流されてから詠んだ歌の中にこんな作があります。
古郷を しのぶの軒に 風すぎて 苔のたもとに にほふたち花
【意訳】ふるさとを偲ばせるような寂れた軒に風が吹き、苔のもとに橘の香りを運んできた
順徳天皇の歌に出てくる「しのぶ」は「偲ぶ」や「忍ぶ」、そして「忍草(しのぶくさ)」をかけたと考えられています。
忍草は古い家の屋根などに生える草のことで、「思草(おもいぐさ)」ともいい、秋の季語のひとつです。
また「橘」も秋の季語です。「花橘」は夏の季語ですので、後鳥羽上皇の御製は夏かもしれません。
これは全くの想像なのですけれども、父子三人に共通する秋の思い出が何かあったのかもしれません。
同じ美的感覚を持ち、同じように栄えていた頃の朝廷を偲んでいた……と考えると、なかなかに切ないものがあります。
なお、配流となった三人ですが、土御門天皇の子孫にあたる人々に皇統は継がれ、現代に続いています。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
安田元久『鎌倉・室町人名事典』(→amazon)
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon)
ほか