頼家の仮面

『修善寺物語』岡本綺堂作/amazonより引用

源平・鎌倉・室町

死の直前の恨みが込められている?不気味すぎる“頼家の仮面”と『修禅寺物語』

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頼家の仮面と修禅寺物語
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『修禅寺物語』あらすじ

ときは鎌倉時代のこと。

源頼朝の跡を継ぎ、二代目鎌倉殿となった頼家。

しかし実権は外祖父である北条時政に握られ、権力闘争に敗れた頼家は、ついに伊豆修禅寺へ追放されてしまいます。

修禅寺の近くには、面作りの名人・夜叉王が二人の娘と共に住んでいました。

姉の桂(かつら)は20歳。

この歳になるまで結婚しないのは、いつか貴人に召されるためと野心を抱いています。

妹の楓(かえで)は18歳。

父の弟子である春彦を夫とし、つつましく生きていました。

姉のかつらは不満を抱いていました。

父ほどの名人ならば、鎌倉にいればさぞや依頼が殺到するだろう。

そうなれば、自分とて貴人の目通りが叶い、寵愛されることも夢ではないはず……。

それなのに、野心もなく、ただひたすら面作りに打ち込む父に呆れるばかり。

そんな家に、僧と供を連れた、お忍びの頼家が訪れました。

春に頼んだ面が半年を過ぎてもできない。

いつになったら面ができるのか?

イラ立つ頼家に対し、夜叉王は「できぬ」と言うばかり。怒った頼家が太刀を抜こうとすると、かつらが面を出してきます。

実は、完成していたのです。

その面は頼家の秀麗な顔によく似ていて、頼家も満足げ。これほどのものができているのに、そう言わなかった夜叉王の気が知れぬと、共の僧も言うほどでした。

頼家が、ふとかつらに目を留めました。そしてこの娘を側に置いて召し使いたいと夜叉王に伝えます。

首尾よく貴人の目に留まったかつら。絶好の機会を逃すわけがありません。

かつらの願いは叶いました。

褒美は後日にすると去って行く頼家たち。夜叉王は嘆き、家にある面を叩き壊そうとします。

あんなものが伊豆の夜叉王の作品とされるのは恥だ!

そう嘆く父に向かって、妹のかえでは「もっとよいものを作って恥を雪げばよい」と慰めます。

一方、望みが叶い、将軍の側に侍ることとなったかつら。

桂川のほとりで道すがら、かつらは頼家に「以前お会いしたことがある」と伝えると、頼家も思い出しました。

喜ぶかつらに、頼家は「武運つたなき己に侍るのがそんなに嬉しいのか?」と問います。

そして、かつて愛した若狭局にちなみ、二代目若狭と名乗るようかつらに告げるのでした。

由緒ある名に喜ぶかつら。

しかし頼家には、不安がありました。

自分も、かつてここで命を落とした蒲殿(頼家の叔父・源範頼)のようになるかもしれぬ。

するとそこへ、北条家から金窪行親が遣わされてきました。

追い払おうとする頼家に対し、かつらに目を留めた行親が言い放ちます。

なぜ、こんな下賤な女を召したのか。北条の許しもなくそんなことをしたのか。

結局、頼家に追い払われた行親は、彼らの前から去ると、武装した北条の者たちに何事かを告げました。

 


神の領域に入った死相の面

武装した北条の者たちに、何事かを告げる行親。

その様子を目撃していたのが、かえでの夫・春彦でした。

春彦は、頼家の家来である五郎にそのことを報告します。

そのころ外から戻ったかえでは、父に戦が起こるようだと告げます。

しかし、こんな時に限って夫である春彦がいない。姉のかつらは無事だろうかと心配事が絶えません。

すると春彦が帰宅しました。

北条の夜討ちを聞き、五郎に告げたものの間に合わず、御所(頼家)が襲われてしまった。

そう悔しがり、かえでが姉のことを尋ねても、春彦は御所の身の上すらわからないと繰り返すばかり。

夜叉王は「蒲殿に続き、御所までこの修禅寺の地に血を染み込ませるのか」と嘆いています。

すると家に、甲冑をつけた武者がよろめきながらやって来ました。

かえでと春彦が助け起こすと、なんとかつらでした。

初めての奉公であり、最後の奉公である――とばかりに、あの面を被り、「我こそは頼家だ」と敵を欺いてここまで来たのだとか。

頼家の身代わりになろうとしたのです。

今にも死にそうな姉にすがりつく妹。

しかし、かつらは満足しています。

田舎のあばら屋で百年千年暮らすより、ほんの一時でも将軍に召され、若狭の名まで賜ったのだから、出世の望みは叶った、死んでも本望だ……と。

そこへ頼家が連れていた僧が駆け込んできました。

なんでも頼家は入浴中に討たれ、側にいた者も斃れていったとのこと。

結局、身代わりになった甲斐はなかったのか……そう悟ったかつらは、がくりと気を落とします。

夜叉王は、娘の顔から落ちた血まみれの面をじっと見ています。

そして姉が死ぬのは本望だろうといい、己もまた本望だとつぶやいています。

面を見つめながら笑う夜叉王。

これでお局様だと笑うかつら。

夜叉王は満足していました。

そもそも完成していたはずだったお面に対し、彼はなぜ満足できていなかったか?

それは何度作り直しても死相が浮かんでしまっていたから。

しかし、それは己の腕の拙さではなかった。持ち主となる頼家が死の運命を宿していたからだった。

己の技芸が神の域に入ったことの証なり!

そう悟ったゆえに夜叉王は満足していたのです。

夜叉王は、死にゆく娘に「顔を見せろ」と声をかけます。

断末魔の若い女の顔を描き写し、今後の技のため残そうとしたのです。

その傍らで、僧は念仏を唱えているのでした。

―完―

 


上演される『修禅寺物語』

あらすじをご覧になっていかがでしょう?

思わず背筋がぞっとするような、まるで怨念が込められているかのような。

戯曲『修禅寺物語』は明治44年(1911年)に発表され、後に作者自身により小説としても書かれています。

その後は、新歌舞伎の演目となり、映画、ドラマ、オペラ、漫画化もされました。

昭和30年(1955年)の映画版では、草笛光子さんが若狭局を演じています。

『鎌倉殿の13人』で比企尼を演じる草笛さんは、二度、比企一族女性の悲劇を演じたことになりますね。

本作は過去に何度も上演されていて、数多の役者が頼家を演じました。

そして狂気を帯びた悲劇の貴公子という像ができあがったのです。

『鎌倉殿の13人』では、金子大地さんがそんな頼家を演じています。

『修禅寺物語』で有名になったお面ですが、あくまでフィクションであると岡本綺堂自身が書き記しています。

つまり、創作者はどう扱ってもよく、『鎌倉殿の13人』でも注目となりました。

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