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【陳和卿】
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宋へ渡る夢
陳和卿に面会を拒絶された源頼朝はその後、建久10年(1199年)1月に急死。
長男である源頼家も追い詰められるようにして亡くなり、三代目の将軍には頼家の弟・源実朝が就きました。建仁3年(1203年)10月のことです。
その約13年後の建保4年(1216年)6月8日――鎌倉に陳和卿が現れました。
頼朝との面会は断ったはずの唐人が急にどうしたことか?
実朝は、陳和卿の唐突な申し入れに困惑しつつ、6月15日に面会を果たします。
と、陳和卿が実朝の顔を拝み、泣き出すではありませんか。
実朝が驚いていると、陳和卿は語り始めます。
「あなたは昔、阿育王山で僧侶をしておられました。あなたこそ、私の師父であったのです……」
実朝はさらに驚きました。
5年前に同じ内容の夢を見ていたのです。そのことを誰にも話したことはありません。
輪廻転生を否定はしていなかった鎌倉殿の13人「ぶえい」と泣いた泰時
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よし、私は前世に住んでいた宋へ向かおう!
実朝は決意し、この年の秋にかけて宋へ渡ることのできる唐船(からふね・貿易船)の建造を命じます。
それが建保4年(1216年)11月24日のことでしたが、
「そのような無謀なことをなされてどうします!」
と北条義時と大江広元が反対したと『吾妻鏡』には記されています。
計画は、それでも進められてゆきました。
そして翌建保5年(1217年)4月17日――完成した唐船が、由比浦に進水。
実朝の夢を乗せた船は相模湾へ……と出向く前に遠浅の浜にひかっかってしまい、座礁してしまうのです。
浜には、無惨な船の残骸だけが残され、その後、陳和卿の行方も不明となってしまいました。
実朝の渡宋計画は無謀だったのか?
『鎌倉殿の13人』では「平清盛のように日宋貿易に取り組みたい」と頼朝が語る場面がありました。
何気ない話のようで、実は重要な伏線かもしれません。
実朝は、本当に「生まれ変わり」を信じて、交易船に大金を投じたのか?
北条義時や大江広元の反対を押し切れたのは、なにか理由があったからではないのか?
そこで考えられるのが日宋貿易です。
高価で手っ取り早くカネになる宋磁や宋銭を運ぶ船なら、回収の見込みは十分にある。
「前世」なんてロマンチックな夢だけでなく、お金という現実も見せたからこそ、実朝の要求も通った可能性は否定できないでしょう。
彼は文弱な若者というイメージが濃厚でしたが、それは『吾妻鏡』の誇張だと指摘されたりもする。
夢見がちな青年の現実逃避が失敗しました、てへへ……で済む話とは思えません。
実朝の不幸は、由比ヶ浜が遠浅であることを考慮できなかったことでしょう。
これは船の建造責任者である陳和卿の責任でもあります。
平清盛は、日宋貿易強化のため、大輪田泊(おおわだのとまり)の整備を貿易船建造と共に進めました。
実朝の計画も、港の整備と一緒に行っていたら結果は異なったかもしれません。
実朝の唐船が座礁した16年後の貞永元年(1232年)――この失敗を踏まえ、北条泰時は由比浦のはずれに人工島である和賀江島(わがえじま)という港を築きました。
幕府はこうして宋および元との交易が可能となったのです。
つまり、実朝には、十分に先見の明があったと言える。それを『吾妻鏡』では荒唐無稽な陳和卿との転生譚にして、義時や広元の反対を強調することで実朝の実力を薄めているとも思える。
そういう意味では、話のダシに使われた陳和卿も、なかなか不幸な登場でした。
実朝と彼の関係には、美点があると思える。
もしも実朝が、父である頼朝のように残酷だと見なされていたら、陳和卿は面会を希望しなかった可能性はあります。
一方で、陳和卿ほどの人物でも、日本に根ざしていた既存の宗教勢力からは疎んじられました。
彼の人間性や技量ではなく「新入りで繋がりがない」という理由からです。
そんな陳和卿を、実朝は偏見なく重用しました。
二人で交易船の建造にも漕ぎ着けた。
源実朝は貿易重視という点においては平清盛の後継者であり、日明貿易を重視した足利義満を先駆けていたとも言えるのではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏』(→amazon)
坂井孝一『考証 鎌倉殿をめぐる人々』(→amazon)
佐藤和彦/谷口榮『吾妻鏡事典』(→amazon)
他