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【平滋子】
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兄貴「八咫鏡を取り返してきましたぁあああ!」
彼女のこの性格は、後々実家に恩恵をもたらします。
滋子自身は35歳で亡くなってしまったのですけども、その後の【源平の戦い】で平氏(清盛の血筋=武門平氏)が負けて滅びたとき、滋子の実家である堂上平氏は残されたのです。
滋子がふんぞり返らなかったこともそうですし、お父さんの時信や弟の親宗が争いを好まなかったので、時忠以外の人はマトモな一族だったようで。
ちなみに時忠もちゃっかり生き残っています。でも、その経緯がカッコ悪い……。
「平氏がパクってた八咫鏡(※三種の神器の一つ)を取り返してきたので許してもらえますよね! 当然ですよね!!」(超訳)
というものでした。
なんだかなぁ……(´・ω・`)
また、滋子の孫である安徳天皇は【壇ノ浦の戦い】で入水させられてしまいましたが、もう一人の孫である後鳥羽天皇が即位、その後の皇統は彼女の血を引く人物が継いでいきます。

後鳥羽天皇(後鳥羽上皇)/wikipediaより引用
最終的な勝者というのも妙な言い方になりますが、「お家を残す」ことを基準として考えると、滋子はまさにそれを成し遂げた女性ということになりますかね。
まぁ、平清盛も玄孫(やしゃご)が後嵯峨天皇との間に後深草天皇を産み、現代にまで血を繋いでいますが……。
卑下しすぎのも傲慢になるのも良くない
一時の寵愛や権力に溺れず振りかざさずに生きた滋子の考え方を表す、こんな発言も記録されています。
「女性は男性の言うなりにならなければいけないかのようにいわれているけれど、自分の考えをしっかり持って行動することが大事だと思うのです。
卑下しすぎるのも傲慢になるのも良くないですし、身の程をわきまえていれば、そのうちいいこともあるものです」(超訳)
これ、当時だけでなく現代も、そして女性だけでなく男性も心がけるといいんじゃないでしょうか。
「いいこと」を期待しすぎるとアテが外れるかもしれませんけども、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」なんて言葉もありますしね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
大塚ひかり『女系図でみる驚きの日本史(新潮新書)』(→amazon)
平滋子/wikipedia