本郷和人東京大学教授

本郷和人の歴史ニュース読み

政宗と景勝の間で揺れる舘山城と米沢城 本郷和人(東大教授)の「歴史キュレーション」

日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。

本日は皆さん大好き、伊達政宗さんのお城ネタから!

 

【登場人物】

本郷くん1

本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい) (イラスト・富永商太)

 

himesama姫さまくらたに

ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も (イラスト・くらたにゆきこ)

 


伊達政宗の舘山城 当時は米沢城だった!?

◆舘山城跡:伊達政宗ら城跡、発掘現場を公開 米沢・市教委 /山形 毎日新聞 2015年11月10日

仙台藩主伊達政宗ら3代が米沢を支配した時代に築城したとされる舘山城跡(米沢市口田沢)で9日、発掘調査現場の一般公開があった。市教委が2010年度から調査を進めてきた。

13年度の調査で一部2段組み幅最大8メートルの石垣が見つかり、伊達氏が居城とするため再整備した痕跡と発表。昨年度の調査で、初代米沢藩主、上杉景勝が伊達氏の山城を拡張整備したとみられると説明し直した。「打ち込みはぎ」という技法が時代特定の決め手になった。ただ、石垣の高さなどから整備は未完成とみている。

本郷「年代順にもう一度整備してみようね。戦国大名・伊達氏は米沢城を本拠地としていた。政宗もここで生まれている。1589年、政宗は会津を攻め取り、居城を会津へと移した。けれど翌年、豊臣秀吉に会津を召し上げられ、米沢城に戻る。さらに1591年、米沢城も没収され、岩出山城に移るんだね」
「米沢の旧伊達領は、会津の蒲生氏郷がもらったんだっけ」
本郷「そう。重臣の蒲生郷安が米沢城主になった。それで氏郷の没後に蒲生家が宇都宮に左遷されると会津には上杉景勝が入り、直江兼続が米沢城主になった」
「それで関ヶ原後には、会津領を失った上杉家が米沢に移され、米沢藩が成立したのよね。なんだか目まぐるしいわね」
本郷「そうだねー。それで問題の舘山城なんだけど、伊達家時代に“米沢城”といっていたのは、この舘山城のことなんじゃないか、って最近になって言われ出したんだ」
「へー。そうなの。上杉家の米沢城と舘山城はどれくらい離れているの?」
本郷「4キロほど。それに城下町の遺稿も出てるらしいしね。でも、問題は石垣か」
「基本的な確認だけど、西国の勢力がやってこないときには、東国のお城には石垣は作られてなかったのよね。そうすると、石垣が作られたのは、1590年よりあと、と考えるのが自然な推測なのね」
本郷「そういうこと。だから館山城に手を加えたのは①岩出山に移る前の政宗か、②蒲生か、③会津藩主時代の上杉か、④米沢に移った上杉か、となる。その中で、はじめは①説が採られ、今回は④に見解を改めた、ということだね」
「米沢に移された当初、上杉景勝は舘山城に入ったのかしら。はじめ、舘山城に手を加えて本拠として使おうとしたけれど、やがて今の米沢城を築いて移った、とか」
本郷「可能性は大いにあるだろうなあ。これまでは、1608年に景勝は米沢城の大改修を行った。完成したのが1613年だった、と言われてきたわけだけど、本当は改修ではなく、新築だったのかもしれないね」
「とにもかくにも、発掘の進展が待たれるわね」

 


大河ドラマ真田丸で注目度UP! 兄・信之の位牌に六文銭

真田信之の位牌見つかる 上田の正念寺 表面に「六文銭」 11月13日(金)信濃毎日

上田市ゆかりの戦国武将・真田信繁(幸村)の兄で、後に初代松代藩主となった真田信之(1566~1658年)の位牌が、同市下武石の正念寺で見つかった。同寺での位牌の存在は、160年ほど前に作成された寺の備品録には記されていたが、近年は所在不明になっていた。住職の奥寺浩司さん(37)は、信繁の生涯を描くNHK大河ドラマ「真田丸」の放送を機に、武石地域も注目されることに期待する。26日に位牌を安置するための法要を行う。

位牌は今年2月、本堂の清掃をしていた際、本尊裏の納戸の中で見つかった。縦49・5センチ、幅16センチ。京都府内の仏具店に修繕を依頼し、表面に真田家の家紋「六文銭」、裏面には信之の名が刻まれていることが分かった。寺島隆史・元上田市立博物館長らによると、雲の形の飾りが位牌に付いていることなどから「信之が亡くなった時期に作られた可能性が高い」という。

本郷「タイムリーなニュースだねー。信之についてはあなたの方が詳しいんじゃない?」
「なにしろ長生き。93才だもの。弟を失い、妻を失い、子どもに先立たれ、それでも松代藩10万石を守り抜いたのだから、彼の人生こそ波瀾万丈よね」
本郷「そういえば、信之のお墓って、どこにあるの?」
「真田家の菩提寺は松代の長国寺ね。曹洞宗のお寺で、歴代の墓石が並んでるわ。信之の霊屋も残っていて、これは重要文化財に指定を受けているの」
本郷「そうか。上田じゃないんだね」
「真田といえば、上田。それも間違いじゃないんだけど、関ヶ原の後、上田領を得た信之は上田城には移ってない。ひきつづき上野の沼田城で執務をして、それから1622年、信濃の松代に移封されているのね」
本郷「へー。じゃあ、いま櫓や石垣が残っている上田城は?」
「関ヶ原の時の上田城は德川将軍家により、いったん破却されているの。いまのお城は、あとで上田の城主になった仙石忠政が造ったものね」
本郷「ゴンベエの息子だね。小諸から移ってきたんだっけ」
「上田領を手放すことは、信之は相当不満だったみたいね。統治に関する書類を焼いちゃった、なんて話もあるから。将軍家と色々因縁のあった土地だからしばらくは遠慮せざるを得ないけれど、いつかは上田に帰りたい。そんな風に思っていたのかもね」

©富永商太真田幸村2

©富永商太 真田幸村

 


大名の墓ってどうなってる?

◆大名の墓から歴史が見える 全国600カ所超 「近世考古学」進む研究 11月12日朝日新聞デジタル

江戸幕府の屋台骨を支えた大名家は、明治維新で華族という地位を得て役目を終えた。歴史の証人ともいえる、そんな彼らの墓地の研究が進み始めたことで、墓の整備をめぐる課題も明らかになりつつある。

本郷「有名人のお墓にお参りする人を『掃苔家』なんていって、『掃苔』という雑誌もあるんだよね」
「でも、その対象はもっぱら明治以降の有名人じゃないの? 文豪とか、文化人とか」
本郷「いっとき、お参りのマナーが良くない、という話を聞いたね」
「マナーといえば、思い出されるのは、関ヶ原の大谷吉継のお墓ね。何回か訪れたのだけれど、いつもきれいになっていて、感動した」
本郷「なるほど。それで、これは大名のお墓の話か。そういえば東京のお寺さんには大名家の墓地が結構あるようだけれど、管理がたいへんみたい。とくに家が絶えちゃってる場合とかね」
「亡くなった方をお祀りするモニュメントだから、よくよくみんなで話し合って、整備したり、場合によっては広く公開するなどの方針を定めたらいいんじゃないかな。すぐに「観光資源だ」なんて言い切っちゃうのには、私はちょっと違和感を感じるなあ」
本郷「うん。デリケートな問題であることは間違いないものね」

雑誌叢書4 掃苔 全12巻 頭初は名墓の保存を目的として会を重ねていた東京名墓顕彰会が昭和7年11月、一歩進めて後進に闡明する目的として創刊。以後、昭和18年11月廃刊まで12年間、全部134冊を数え、単なる墳墓に関する記事ではなく、歴史上の問題を解決するためならば如何なる僻地へも自らの足で探査し、苔を掃い、塵を清めるをいとわず正確な事実をもとに、名家の事蹟をより詳細に論究した学術雑誌。一年分を1巻とし、総目次並びに〝全国・東京名墓一覧〟を載せ、人名辞典をも兼ねる伝記資料の一大宝庫。(ゆまに書房サイトより引用

 

絶景度では竹田城にひけを取らない!苗木城跡(岐阜県)

◆巨岩要塞跡 恵那山の絶景…中津川(岐阜) 11月12日 YOMIURI ONLINE

 雲海で有名な「竹田城跡」(兵庫県朝来市)が近年話題となり、城跡巡りがブームだ。「絶景度では竹田城にひけを取らない」と知人に薦められ、山城・苗木城跡を訪ねたくなり、岐阜県中津川市に足を運んだ。

中津川駅からバスに乗車。1530年頃に築城が始まった苗木遠山家の城跡は「木曽川」という天然の堀に囲まれ、大ぶりの花こう岩がゴロゴロ転がる高森山に位置する。防御性は高いが、平地が少なく築城には工夫が必要。そのため、岩を掘りくぼめて足場を作り、京都の清水寺のように藩主の住居などを張り出して設ける独特の技術が発達した。

本郷「ああ、これ、ぼくも最近いったんだ」
「どうだった?」
本郷「すごい!のひとこと。皆さんにも、ぜひ行っていただきたいなあ」
「天空の城、なのね?」
本郷「そう。巨岩を利用して、造られている。もうびっくり。360度、眺望がすばらしくてね、木曽川の豊かな流れも見えるし。これでホント、1万石のお城か、って。確かに農地には恵まれないけれど、木材の売買で豊かだったとかじゃないのかなあ」
「のぼっていくの、たいへんじゃないの?」
本郷「いや、それほどでもないんだ。ぼくが行ったときは、年配の方がグループで来ていらっしゃったほどだし」
「うんうん、わかったわ。とてもすばらしかったのね。他に付け足すことは?」
本郷「城にのぼるところに中津川市苗木遠山史料館、という施設がある。ここは学芸員さんがきっと気合いが入っているんだろうなあ、とても充実した展示を行っているんだ。こちらもぜひお見逃しなく!」

【TOP画像】Photo by (c)Tomo.Yun


 



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