鄒氏

絵・小久ヒロ

三国志女性列伝

三国志女性列伝・鄒氏 そもそも曹操との間にゲスロマンスは成立せず?

三国志』の魅力――それは英雄たちの中に、女性たちが履いている裾がチラリと見えること――そう指摘されてきました。

男性ばかりではなく、心を掴む理想の妻。勇敢な女性。そして毒のある美女。

これがたまらない!

そう、物語に女性が欠かせないのは昔からのことなのです。

※無双シリーズでもおなじみです

その一人として、とびきりエロくて、欲望の犠牲となったのが【鄒氏(すうし)】でしょう。

彼女の名前が出てくるのは、こんな状況です。

建安2年(197年)春、曹操は群雄との戦いの中、張繍ちょうしゅうを降しました。

このとき曹操は滞在中の宛城で、張繍の族父・張済の未亡人である鄒氏とのアバンチュールに突入。

苛立った張繍が早々に夜襲をかけ、嫡子・曹昴、甥・曹安民、護衛の典韋を討ち死に追い込みます。

息子・曹昴の死を嘆いた丁氏は、曹操との離婚に至るのでした。

この手の話が出てくると、だいたいリアクションは決まってます。

「うひょぉー、鄒氏ってそんなにエロいのぉ?」

「エロ美女とゲスなことをする曹操って最悪だな!」

いかにも乱世の奸雄につきまといそうなエピソードですが、実際のところは一行で終了です。

「鄒氏は実在しない!」

ならばこの記事も成立しないですし、実在しないとも言い切れないという反論も当然あることでしょう。

本稿では「鄒氏」を便宜上利用しておりますが、そもそも姓すら伝わっておりません。

そこで、ちょっと鄒氏と曹操のことを考えてみたいと思います。

 


『三国志』ワールドに都合のいい女を出したい欲求

どうせならエロくて美人がいいよね〜。

三国志の世界においても、そういう願いは、昔からありました。

しかし、単なるエロを出すのもヒネリがなく、一応は大義名分が欲しい。

例えば貂蝉(貂蟬)の場合は「孝」のシンボルという大義名分がありました。

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やはり読者のニーズに応えるにはヒロインが必要――というわけで、正史をふくらませる上で、その時代のクリエイターたちは頑張って理想を反映させてきたのです。

健気で哀れな劉備の妻・甘夫人。

はじめこそツンツン武装していたのに、デレデレして夫に殉じる劉備の孫夫人こと孫尚香。

あの関羽に娘がいる? これは盛り上げないと! そんな期待が詰まった関銀屏。

諸葛亮の前に立ち塞がる、飛刀を操る炎の女神・祝融。

そんな中に、あのゲスでエロい鄒氏も入るわけです。

こうしたお馴染みのヒロインについては、なかなか面倒なこともありまして。

現代人が、ソーシャルゲームのカードで自由自在にヒロイン絵を見出すように、当時の文人も自分たちの理想をてんこ盛りにしていったのです。

こうして盛り過ぎた結果、後漢から魏晋南北朝の規範から逸脱する女性像が生まれた。その点を考えるため、フィクションから正史成立年代まで時間を巻き戻して、そのままの彼女たちを追いかけてみましょう!

 


元気な彼女たちにおっさんたちは愚痴っていた

魏晋南北朝時代。東晋の葛洪と干宝は、こんなおっさんの愚痴を残しています。

「最近の女どもは、ふざけてますよ。家事を自分で真面目にやらないし、夫の世話なんてするつもりない! 目的もないのに街ん中うろついて。料理もしないし、友達と女子会三昧だわ。観光地で遊ぶわ、イベントだからって遠出するわ。ホント、どうしようもない!」

「そうそうチャラすぎる! ふら〜っとノリで結婚して、いつも感情任せ。恥ってもんがないし、嫉妬深いし。あきれますね!」

「しかもね、彼女の親兄弟も、周囲も、社会ですら、放置するんですよ。嘆かわしい!」

一見、ワイドショーにでも出てきそうなくだらないトーク。

家事の内容が機織りだという差はありますが、趣旨そのものはタピオカ叩きしているおっさんと大差ありません。

生々しく当時の記録に残る魏晋南北朝当時の女性は、元気でした。必ずしも夫に敬語を使うわけでもないし、名前で呼ぶ。「おまえさま」とか「旦那様」ではなく、「ダーリン」だの「あんた」呼ばわりしていたとか。

交際範囲は広く、我が子のために就職活動を応援すれば、夫のために訴訟も起こす。

あいつらは活動的でしょうもないな! そんな嘆き節が当時の記録に残されております。おっさんのしょうもない愚痴のおかげで、当時の彼女らの姿が見えるわけです。

後世からすると意外なのは『演義』はじめフィクションが成立した時代もそうでした。

纏足が定着し、女性の制限が強くなってゆく後世。『三国志演義』がきっちりと残された明清時代からすると、ありのままの彼女たちのパワーは、もうまぶしくて、萌えられないほど強すぎたのです。

このことは、重要です。
魏晋南北朝の代表的ヒロインとしては花木蘭もおります。

ディズニー映画『ムーラン』のモチーフとされた女性兵士です。

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『三国志』の難しさとは、実像がフィクションによって上書きされた点にあります。

そしてこのことを考えてゆくと、ある人物の弁護をする羽目になる。
曹操です。

悪役として下半身事情までてんこ盛りにされた結果、いろいろと面倒なことが起きており、曹操へのアンチは今日でも凄まじいものがあります。曹操を再評価した本のレビューを見るだけで、そのヒートアップぶりを見ておそろしくなってくるほどではあります。

女性像を考える上でも曹操は避けられません。

「そもそも曹操のゲスロマンスって、そんなにあったんですかね?」

 

問題提起「曹操はそこまで変態下半身暴走野郎なのか?」

曹操の女性関係については、中国史の変態ランキングにかすりもしないと感じられます。

逆に酷い例をあげていきましょう。

呂布:貂蟬は実在しませんが、董卓のもとにいた女性との密通は史実です。この時点で当時からしてまずいので、呂布は隠したかったと。

孫権:妻子の管理がぬるい。娘の魯班と魯育公主がいがみ合うわ、皇后となった潘淑が殺害されるわ。家臣も巻き込んで悲惨な状態に。

孫皓:精神状態が悪化していたとはいえ、後宮大暴走。

司馬炎(西晋武帝・司馬懿の孫):そんな孫皓の後宮を引き継ぐ。ともかく後宮の女が多すぎる! もう選べないので、羊の引いた車に乗って周ったほど。羊の足を止めるために塩を持ったことが、盛り塩の起源とされています。

別の時代まで広げるともっとややこしくなりますが、

・健康阻害、最悪の場合は腹上死

・政務放棄

男色にのめりこんで世継ぎを作らない

・特定の寵姫の言いなりになり、外戚政治まっしぐら

曹操はこういうことをしていないどころか、正妻選びにもセンスがありました。

親戚づきあいが一族単位であった、そんな丁氏との離婚のあと、曹操は卞氏を正妻としたのです。

謙虚で控えめで聡明な卞氏は歌妓出身。曹操が若い頃に出会い、ずっと尊重していた存在です。この歌妓出身というところに、曹操のセンスを感じます。

美人で歌がうまいから?
そこではありません。彼女のように実家のバックアップが薄い女性を正妻とすれば、外戚政治の危険性を回避できます。

曹操が二喬欲しさに【赤壁の戦い】を起こしたという話は、史実ではありません。

後世の詩人が「周瑜が曹操を倒さなかったら? 東南の風が吹かなかったら? 二喬は銅雀台に閉じ込められちゃったかもね♪」と、想像力で読み込んだ。

それを作家がバンバン取り上げて話がふくれあがった。それだけのことです。

曹操は美女欲しさに戦争するほど、暇でもバカでもありませんのでご了承ください。

 


鄒氏との関係に口出しされる筋合いは、実はない

そうは言うけどさ。
曹操は下半身のせいで、宛城で死にかけてるでしょ? ほらほら、鄒氏とのあれやこれや……画像検索かけると、セクシーな画像が出てきますねえ。

実は苑城の件について、曹操は反省しています。

「俺も油断した。次からはきっちりと夜襲できないよう、備えをするぞ!」

正史の記述を見る限り、曹操が油断した原因となる人物は、策士である賈詡ではないかと思えるのです。

のちに曹操に仕えることとなる賈詡は、切れ者揃いの陣営でも際立つ智謀の持ち主でした。

ここで張繍と鄒氏の関係性に着目してみましょう。

張繍にとって鄒氏とは?

【目上の親族の未亡人である】

このことが重要なのです。

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