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【諸葛亮(孔明)】
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江戸っ子「大掃除をやらねえ諸葛孔明、感じ悪ィ〜」
武士はさておき、庶民は?
庶民にまでブームが及んだのは、江戸・元禄2年(1689年)初期に湖南文山が『通俗三国志』を出版して以来とされています。
庶民が興奮しながら読み、講談を聞き、刺青のモチーフにする――ならば、きっとみんな諸葛亮が好きだったんだろうと思いますよね。
と、これが結構冷静だったようで、こんな川柳も残されています。
煤掃 孔明は 子を抱いて居る
合戦を大掃除に例えているわけです。
関羽やら張飛やらがあくせくと箒を動かしている間、あいつは子守をしているだけじゃねえか! そんなストレートな揶揄がそこにはありました。
確かに、車に乗って甲冑もつけずに羽扇を降っている姿は、楽をしているように見えなくもありません。
人気は関羽や張飛のような、元気ハツラツとした武将に集中しておりました。
火事と喧嘩にいきりたつ。そんな江戸っ子が、しらけきった諸葛亮を愛さないのは仕方ないところでしょう。
侠客や火消しが好んだ刺青のモチーフに、諸葛亮は「なんか違うよな……」となってしまうのもわかりますよね。
江戸時代も折り返し地点を過ぎますと、浮世絵が豪華な多色刷りとなり、それを生かした武者絵が大流行します。
日本のみならず、ド派手でダイナミックな中国史ものも人気の定番です。『三国志』もジャンルとして成立します。
張飛が目玉をひん剥いて敵を威嚇する、「長板板仁王立ち」。
真っ赤な顔で、囲碁を打ちながら肘の切開手術を受ける関羽。
歌川国芳はチャキチャキの江戸っ子浮世絵師!庶民に愛された反骨気質
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このあたりが“映え”の定番となるわけですね。
諸葛亮はこの点、なんか地味でイケてない。ビジュアルが地味という理由ゆえに、埋没が進みます。
明治から戦前 土井晩翠「星落秋風五丈原」に泣く
冷静な見方であった、日本人の諸葛亮への目線――その変貌の決定打が、明治31年(1898年)にありました。
土井晩翠の長篇詩「星落秋風五丈原」です。
明治の文人は、漢文が当然のように読めます。江戸時代の教育の名残があるのですから、当然のことです。
夏目漱石『薤露行(かいろこう)』はイギリス史を扱いながらもタイトルは漢詩の定番を使う。文体も拡張高い漢文調。
幸田露伴『運命』は【靖難の変】を描く、これまた壮大な傑作。
文明開化だ。
これからは西洋だ。
そう盛り上がる一方で、漢文を学んできた江戸以前の伝統を愛してゆきたい! そんな思いが彼らにはありました。
土井晩翠は『三国志』の大ファンであり、自らの推す諸葛亮の人生を振り返りました。
推しキャラへの愛を語るにせよ、当時の文人ともなれば極めて拡張高く詠み上げてしまう。そんな傑作です。
傑作ではあるのですが、作者の推しへの愛が強すぎて、テンションは無茶苦茶高いと思います。
どの辺がと言いますと、リピートがくどいこれですね。
丞相病篤かりき
推しが死ぬ!
推しが死にそう!
あ〜、しんどい……。
現代のオタクならば、そうまとめられる。そういう悲痛感のある詩句が入りまくる。
そっか、推しが死にそうなんだね……そこから始まって読み進めると、諸葛亮の人生がまとめられてゆきます。
土井晩翠が詠みあげた諸葛亮は「尊すぎてもう死ぬ……」となりかねない情熱が見えてきます。
要するに、鑑賞者をダイレクトに直撃すると。
江戸っ子が皮肉っていたような、自分だけ楽をする軍師像はもう消えている。
魯迅が「『演義』の諸葛孔明像って誇張しすぎ。もう気持ち悪い。こんなもんミュータント状態じゃないスか」と皮肉った、そんな姿も消えている。
そこにあるのは、死にそうなのに忠義を尽くす、清廉潔白なひとりの人間像。
全日本が号泣し、流行歌となり、諸葛亮推しが爆発的に増えたのです。
土井晩翠の、オタクの推しプッシュめいた諸葛亮像。
それだけが転機でもありません。
明治30年(1897年)には、内藤湖南が冷静に諸葛亮を分析した『諸葛武侯』を刊行しております。
江戸時代には、教養ある武士も関羽、庶民も関羽推しでしたよね。
それが明治末。
内藤湖南を読むようなインテリ層も、流行歌を聴いている庶民層も、諸葛孔明推しになった。
これは重要な点なのです。
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こうした悲壮感を帯びた諸葛亮像は、吉川英治『三国志』にも継承されてゆきます。
吉川英治『三国志』は、「横光三国志」こと横山光輝『三国志』もかなり近い。
劉備が母親のためにお茶を買う導入部は、『三国志演義』にはなく、吉川英治の創作です。
これを受け継いでいる点でも、近接しているということはご承知いただければと思います。
『人形劇三国志』も、吉川版の影響大です。
ちなみに『三国志演義』の日本語翻訳版には「お茶を買う場面がないぞ!」というクレームが入ったそうです。
それほどまでに、吉川英治版は重要。本当に大傑作ですので、未読の方は是非ともお読みいただければと思います。今ならKindle版で全巻996円ですね。
なお、後漢末、ああいう風にお茶を飲んでいたかというと、時代考証的には黒に近いグレーゾーンです……おもしろければいいんだよ!
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そしてここで、私がどうして諸葛亮が苦手であったのか、理解できてきました。
五丈原で死ぬ――そういう推しへの重い愛が漂う、悲壮感、暗さが苦手だったのです。
そこが解明すれば、嫌悪感は不思議と消えてゆきました。土井晩翠には申し訳ありませんけれども。
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