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織田家 週刊武春

「大うつけ」説の真相~織田信長は弟・織田信行と比べて“お上品じゃない”だけだった?

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若き頃の信長は本当にうつけ(アホ)だったのか? 

大うつけ=大バカ。少年時代の織田信長と言えば、必ずこのアダ名がワンセットになっている。

前田利家などの子分を引き連れて川に飛び込んだり、河原で相撲をとったり、ときには娼婦の尻を追っかけたり。まさに破天荒! というような、わかりやすいイメージだが、これはあくまでドラマの世界である。

実際の信長はどうだったのか。マジで幼い頃から強烈な個性の持ち主だったのか。
答えは否。単に、「あまりおとなしくない少年だよなぁ」程度のものだった。

散々な言われようですが(絵・富永商太)

散々な言われようですが(絵・富永商太)

 

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隣国の今川家が貴族かぶれだったのも仕方のない話 

当時、大名のご子息たちは、貴族みたいに上品でないといけないとされていた。そのため各地の領袖たちは、京都から没落貴族たちを家庭教師に呼んで、和歌や書物などの教養を学ばせたり、作法を身に着けさせたりしていた。

いわば一流武家になるためのエリート教育で、たとえば隣国の今川家では、信長に倒された義元が貴族スタイルで現代のマンガやゲームに登場したりするが、それはたしなみの一つだったのである。息子の氏真も公家のスポーツとしてはお馴染みの「蹴鞠」では相当な腕前だったという。

こうした風習は、織田家とて例外ではない。すでに出世を遂げていた父・織田信秀のもと、長男の信長は上品に育って欲しいとばかりに、せっせと教育を仕込まれたわけだ。

 

信長が突然正装で現れ「マムシの道三もビックリ!」も演出です

が、とき折しも戦国時代のクライマックスである。平和だった頃の室町時代ならまだしも、下克上だらけの世の中では、和歌が詠めたところで戦争には一文の役にも立たない。それを拒否したぐらいで他国にまで“大うつけ”と噂が広がったのだ。

いやはや戦国時代も意外とノンキなものである。

どうしても信長を稀代の天才に仕立てたい物語では、『大うつけのフリをして他国を欺いた』とか、『アホだと思っていた信長がきちんとした正装で美濃に現れて、斎藤道三もビックリ!』という書き方がされているが、あくまでそれは演出だったのだ。

織田信長うつけもの

ただし、とても聞き分けのいい子だった弟の織田信行を柴田勝家などの部下たちが盛り立て、信長を排除しようとした謀反も事実である。それはなぜか?

2代目社長には、おとなしくて上品な人間を担ぎ上げたほうが、部下たちは楽だからだ。

実際のところ、戦国時代のほとんどの侍たちは、全国の天下統一なんて狙っていなかった。自分の周囲の領土が確保できて、あわよくばちょっと増えたらいいなあくらいな「適当な野心」しか持っていなかった。

だから、信長がどんどんと領土を広げれば、広げるほど、まわりの部下たちは「怖いよ。もうここらへんでストップしようよ」と思ってしまう。そうして、この後も信長を裏切る奴が続出していくのである。

信長が「アホ」だったからではない。

川和二十六・記




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