百年戦争

百年戦争「ポワティエの戦い」/wikipediaより引用

世界史

百年戦争がわかる~イギリスとフランスの関係と歴史をまとめました

世界史の苦手な方も。

そもそも中学以来やってない! という方も。

以下のお名前を一人ぐらいは見聞きしたことがおありでしょう。

ジャンヌ・ダルク

ヘンリー5世

エドワード黒太子

ベルトラン・デュ・ゲクラン

ラ・イルことエティエンヌ・ド・ヴィニョル

ジル・ド・レ

彼らに共通のキーワードは【百年戦争】。

イギリスとフランスを中心にドンパチやってる間に輩出された、欧州ではレジェンド級の有名人です。

本当に百年戦ったのかどうかはさておき、この戦争で一説には350万人を超える犠牲者が出たとも言われ、1431年の5月30日には英雄の一人であるジャンヌ・ダルクが処刑された日ともされます。

んで、戦争のキッカケは何だったのか? というと……。

「あれ? もしかして俺ってフランス王にもなれるんじゃね?」

そんなイングランド王エドワード3世の、かなり迷惑な思いつきのせいなのです。

いったい百年戦争とは何だったのか――。

イングランド王があつかましくもフランス王権を主張した理由には、ちょいと面倒な背景がありました。

 


テンプル騎士団の呪いか? カペー朝断絶

そもそも何故フランス王権をめぐる争いが起こったのか?

端的には、フランス王室であるカペー家が1328年に断絶してしまったことがあげられます。

カペー家はおよそ四百年、15代にわたり存続してきました。順調に跡継ぎに恵まれていたものの、不可解なほど王の夭折が続き、断絶してしまったのです。

フィリップ四世がテンプル騎士団を壊滅に追い込んだあとの出来事ですので『騎士団の呪いだろうか?』なんて噂もチラホラ。

※以下はテンプル騎士団の関連記事となります

テンプル騎士団
テンプル騎士団が迎えた悲劇の最期 フィリップ4世の権力欲に殺されて

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フランスが王朝断絶の危機にあたふたしていたところへ、1337年イングランドのエドワード3世が口を出してきます。

「俺ってさぁ、なんだかんだでフランスの王位継承件あるよね」

「ない。この話は終了です」

「え、そういうつもり? じゃあ力づくでやるけどいいの?」

こうして開戦となりました。おい。

 


なぜイングランド王がフランス王権を要求するのか?

ハッキリ言ってこうしたイングランドのあつかましい干渉は、フランスにとって迷惑でしかありません。

当然ながら、日本人でしたらこの思い、一点でしょう。

「何故、イングランド王がフランス王権要求するの? かんけーないじゃん!」

その通りです。
いや、そうでもないのです。

実はイングランドの王家というのは、元をたどればノルマンディー人、つまりはフランス出身でした。

長いこと王家や貴族はフランス語で会話し、フランスに別荘地や領地をも所有していました。

「イングランドにも領地はあるけど、俺らフィーリングはフランス人だよね」

そんな感覚なので、こういうフランス王家の危機になると前のめりになるのでしょう。

しかしフランスも無策ではなく「サリカ法典」がありました。

要するに、女王および女系継承を禁じたものです。

フランス王家がイングランドから妻を娶り、その血が流れても王位継承権は持たないと定めたものなのです……相手には通じませんが。

「知らんがな。言うことを聞かないなら実力行使あるのみよ」

こうしてイングランドはフランス相手に、血みどろの戦争を仕掛けてきたわけです。

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