世界史の苦手な方も、そもそも中学以来やってない!という方も、以下の名前を一人ぐらいは見聞きしたことがおありでしょう。
ジャンヌ・ダルク
ヘンリー五世
エドワード黒太子
ベルトラン・デュ・ゲクラン
ラ・イルことエティエンヌ・ド・ヴィニョル
ジル・ド・レ
彼らに共通のキーワードは「百年戦争」。
イギリスとフランスを中心にドンパチやってる間に輩出された、欧州ではレジェンド級の有名人です。
本当に百年戦ったのかどうかはさておき、この戦争で一説には350万人を超える犠牲者が出たとも言われています。
んで、キッカケは何だったのか?
というと、
「あれ、もしかして俺ってフランス王にもなれるんじゃね?」
という、イングランド王エドワード三世の、かなり迷惑な思いつきのせいなのです。
いったい百年戦争とは何だったのか――。
イングランド王があつかましくもフランス王権を主張した理由には、ちょいと面倒な背景がありました。
目次
テンプル騎士団の呪いか? カペー朝断絶
そもそも何故フランス王権をめぐる争いが起こったのか?
端的には、フランス王室であるカペー家が1328年に断絶してしまったことがあげられます。
カペー家はおよそ四百年、15代にわたり存続してきました。
順調に跡継ぎに恵まれていたものの、不可解なほど王の夭折が続き、断絶してしまったのです。
フィリップ四世がテンプル騎士団を壊滅に追い込んだあとの出来事ですので『騎士団の呪いだろうか?』なんて噂もチラホラ。
フランスが王朝断絶の危機にあたふたしていたところへ、1337年イングランドのエドワード三世が口を出してきます。
「俺ってさぁ、なんだかんだでフランスの王位継承件あるよね」
「ない。この話は終了です」
「え、そういうつもり? じゃあ力づくでやるけどいいの?」
こうして開戦となりました。おい。
何故イングランド王がフランス王権を要求するのか?
ハッキリ言ってこうしたイングランドのあつかましい干渉は、フランスにとって迷惑でしかありません。
当然ながら、日本人でしたらこの思い、一点でしょう。
「何故、イングランド王がフランス王権要求するの? かんけーないじゃん!」
その通りです。
いや、そうでもないのです。
実はイングランドの王家というのは、元をたどればノルマンディー人、つまりはフランス出身でした。
長いこと王家や貴族はフランス語で会話し、フランスに別荘地や領地をも所有していました。
「イングランドにも領地はあるけど、俺らフィーリングはフランス人だよね」
そんな感覚なので、こういうフランス王家の危機になると前のめりになるのでしょう。
しかしフランスも無策ではなく、「サリカ法典」がありました。
これは要するに、女王および女系継承を禁じたものです。
フランス王家がイングランドから妻を娶り、その血が流れても王位継承権は持たないと定めたものなのです……相手には通じませんが。
「知らんがな。言うことを聞かないなら実力行使あるのみよ」
こうしてイングランドはフランス相手に、血みどろの戦争を仕掛けてきたわけです。
エドワード三世 新武器を試したくてウズウズ
さてこのエドワード三世ですが……。
この頃、暗君続きであった中で、やっとイングランドに登場した名君という扱いです。
彼の治世はペストが流行し、人口の四分の一が死亡するという大打撃を受けたものの、彼の父をも含めた暗君時代よりもマシとされてきました。
エドワード三世は高潔さを演出した人物でした。
アーサー王の宮廷を真似、最高の栄誉とされるガーター勲章を設立したのも彼です……。
しかし、だからといって隣国にヤクザの因縁めいた戦争のふっかけ方をしないわけではありません。
フランスにとって極めて不幸なことに、エドワード三世は新たな武器を試したくてうずうずしていました。
イングランド人の得意武器は伝統的にロングボウ(長弓)。
ロビン・フッドの武器でもありますね。
とりわけウェールズ地方の弓兵から習得したその威力たるや、鎧をも貫通するやばいシロモノです。
熟練した弓兵であれば、たくましい馬上の騎士をもバッタバタとなぎ倒すのでした。
「ロングボウでヒャッハーしたい!」
ちなみにイングランドやオーストラリアでは、「裏ピース」、ピースサインを裏側にして相手に見せるジェスチャーは最悪の侮辱とされています。
これはこの弓兵が由来です。
フランス軍はイングランドの弓兵を捕縛すると、弓矢を射ることのできないよう、人差し指と中指を切断したとされます。
そのため、この二本指を見せるというのは「俺の指はまだあるから殺せるぜ、バーカ」という意味になるとか、云々。
ただし伝統的なイングランド弓兵は指を二本ではなく三本使用して射していたため、これは違うのではないか、という説もあります。
話がそれましたので、戻します。
ともかくエドワード三世としては欲求がウズウズ。
「ロングボウで敵兵めっちゃなぎ倒したい!」
そして1340年、その機会が訪れたのです。
戦争の気配を察したフランス側は艦隊を用意しました。
これまた伝統的に凶悪なイングランド側は、フランス艦隊の船に雨あられとロングボウで矢を射ち込みます。
ドーバー海峡はフランス人の血で真っ赤に染まりました。
これを「ロイスの海戦」と呼びます。
「魚もフランス人の血を飲み過ぎて、フランス語ぺらぺらになったんじゃないの」
そんな風にイングランド側が得意になるほどの戦果。
「これはもう、フランス本土でもロングボウ無双するしかありませんなあ」
フランス国民にとっては最悪の展開でした。
イングランド長弓兵VSフランス重装騎士
エドワード三世の読みは当たりました。
大きな馬にまたがり、騎士の誇りを賭けて突撃してくるフランスの騎士たちは、防備を固めて狙い撃つイングランド長弓兵にとっては格好の的でした。
「飛び道具とは卑怯なり!」
フランス人騎士がそんなことを考えていたかはわかりませんが、ともかく飛んで火に入る夏の虫状態であったことは確かです。
フランス貴族は戦時下にあっても団結せず、王が交替してもなお断続的に攻めて来るイングランド相手に苦戦し通しでした。
イングランドが大勝利をおさめたクレシーの戦い(1346年)、アジャンクールの戦い(1415年)あわせると、フランス貴族の四割が死亡したという説もあるほどです。
しかもイングランドはなかなかやることが狡猾でして。
アジャンクールの戦いでは、多数の騎士が捕虜になりました。
ヨーロッパの戦争では、捕虜の殺害は騎士道に背くものとして忌避されています。
しかしヘンリー五世の野営地は防御が手薄で、捕虜の反乱によって危険が迫る可能性があります。
「このままでは王の御身が危うい。捕虜を始末せねばなるまい」
「イングランドは騎士道を重んじる国。騎士にそのような真似はできません」
「この緊急時にふざけるな!」
「陛下のご命令でも、捕虜殺しなんて絶対に嫌です」
「困ったな……そうだ」
捕虜殺害をためらう騎士に手を焼いたヘンリー五世は、騎士道とは無関係な農民出身の長弓兵に射殺させたのでした……。
そしてヘンリー五世は、休戦協定をつきつけます。
その中にはフランス王シャルル六世の娘である、キャサリン・オブ・ヴァロワを娶るという条件も含まれていたのでした。
ジャンヌ・ダルク登場、団結するフランス
なぜフランス軍は敗走を重ねるのでしょうか。
これは奇妙な話にも思えます。
フランスは穀倉地帯が広がり、資源や人口という観点で見れば、イングランドよりも有利なはず。にも関わらず、決定的な勝利をおさめられないのです。
必要なのは、士気と団結、戦術の見直しでした。
そこで登場したのが、あのジャンヌ・ダルクです。
フランス騎士たちは、自らに欠けていたものに気づきます。
それは団結と士気でした。ジャンヌ・ダルクは戦法の見直しを指摘するのです。
「イングランド軍は守りが強固。これが崩れるのを待ってから攻撃を仕掛ければ、我々は勝てるのです!」
雄々しく突撃してこそ騎士道の華と思い込んでいた騎士たちは、目が覚めました。
彼らは戦術を見直し、反撃に出ます。
結果、イングランド軍は敗退を重ね、イングランド王家の領土も失われてゆきました。
ジャンヌ・ダルクは非業の死を遂げましたが、もはや勢いは止まりません。
1451年、カスティヨンの戦いでフランスの勝利を決定的なものとしました。
この戦場では大砲やマスケット銃が大活躍。百年戦争だけではなく、長弓兵の時代もここに終わりを告げました。
イングランドには、もはやフランスに手を出す余裕はありません。
ヘンリー五世の跡を継いだ子のヘンリー六世は、狂気の発作に襲われ、政務を行えなくなり、彼にとって母方の祖父シャルル六世も、同じような状態に陥ることがしばしばありました。
ヘンリー五世の王妃キャサリンの血は、イングランド王家に火種をももたらしていました。
狂気の王ヘンリー六世から王冠を奪うべく、貴族たちが血で血を洗う「薔薇戦争」を始めたのです。
イングランドとフランス、ライバル関係の始まり
ドーバー海峡を隔てたイングランドとフランス。
それまでこの二国は、近しい関係にありました。それが血みどろの一世紀を経て決別しました。
フランス内のイングランド領はほぼ消失。
イングランドの貴族たちはフランス語ではなく英語で話すようになります。
フランスの人口はペストの大流行と戦禍のか重なりによって2000万人から半分の1000万人まで減少。この戦争の間、フランスの有力貴族の中にはイングランドに味方する者もいました。
戦争が長引いた原因は、王権が集中しておらず、こうした反抗的な貴族がいたこともありました。
しかし戦争の結果、王室の権威は高まり、強固なものとなりました。
百年戦争はイングランドとフランスという国にとって、「自国とは何か?」というアイデンティティを得る戦いでもありました。
ジャンヌ・ダルクはフランスの象徴、愛国心の象徴として、現在も敬愛を集めています。
百年戦争中にかき集めた食材を使って作られた煮込み料理「カスレ」は、現在においても郷土愛を掻き立てる料理として食されているとか。
イングランドでは、ヘンリー五世がやはり愛国心や強さの象徴となりました。
シェイクスピアの『ヘンリー五世』における「聖クリスピンの祭日」の演説は、愛国心や戦意昂揚の象徴として、歴史においてしばしば登場します。
2016年のEU離脱投票の歳も、結果が決まった際に離脱派がこの演説を引用したとか。
※動画はケネス・ブラナー演じるヘンリー五世による、「聖クリスピンの祭日」の演説
英雄たちが多く登場した百年戦争。
それは英仏という二つの国が完全に袂を分かち、国のあり方まで決める重要な戦いであったと言えるでしょう。
文:小檜山青
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【参考文献】