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【『光る君へ』感想あらすじレビュー総評】
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知識を活かし、現実に沿わせ、間口を広げる
本作に関してはあげられる不満がなかったわけではありません。
ただ、その意見を見ていくと、大河ドラマのフォーマットでは実現が難しいと思われる意見もありましたし、あまりに高度と思われる要求もありました。
しかしこうした要求はいつだってどんな作品だって付き纏うもの。
大河ドラマは、歴史に幅広く興味を持ってもらうために、あまりに難易度をあげてもそれはそれで問題はある。
一般観光客向けホテルにおける、バイキングのようなものですね。
京都を知り尽くした、知る人ぞ知るような味を求める客からすれば、まるでお子様向けだと鼻白んでしまうようなメニューが並ぶものであります。
知識にせよ、教養にせよ、現代社会や現実に合わせ、柔軟に適用せねばならない。
『光る君へ』では意図的に避けていると思われる部分もあります。
紫式部は仏教に救いを求めていたと思われ、『源氏物語』のフィナーレを飾る女君の浮舟は、出家により救いを得ています。
しかし、まひろはそうしません。
崩れた鳥籠が象徴するような、自由に向けた飛翔。
そして書くことこそが水や米のようなものだと、示しているように思えます。
これも現代社会を生きる女性たちや、彼女たちを救うフェミニズムを踏まえれば私は腑に落ちます。
職場で容姿や年齢をからかわれた。正月に田舎に行くと、男たちは女にばかり家事をやらせようとする。
そう愚痴をこぼしてくる女性がいるとして、こう助言して受け入れられるかどうか、想像してみてください。
「そういうときは仏の教えよ。写経を始めれば心が落ち着くわ」
まあ、効果がないとは言い切れませんね。メンタルヘルス向上には役立つかもしれません。
しかし、個人の心の安寧を得ることと、問題解決は別問題。
「ハラスメントを相談窓口に訴えて、部署移動ができないか聞いてみたらどう?」
「そんな田舎に無理して帰省しなくていいよ。年末年始でも営業しているいいブックカフェあるけど、行ってみたらどう?」
「そういう悩みはあなただけのものでもないよね。ネットで書いて、問題提起してみたらよいかもしれない」
このあたりが実用的ですよね。
『光る君へ』は、そういう進歩した解決策を模索している作品ではないでしょうか。
もちろん、その部分が受け付けない人もいるとは思います。
それこそ、私の脳内劇場に登場したおじさんからすれば「またwww」と笑ってしまうような話なのでしょう。
しかし、人間とは、誰とでも分かりあえるものではありません。
話が通じない人とは、最低限の接触で済ませるのも問題解決の一つの手です。
清流のようなファンダムは『光る君へ』の紛れもない美点
大河ドラマや朝の連続テレビ小説のオタクやファンダムには、時折、激しく暴力的な言動をされる方がいます。
集約すると以下のような文言ですね。
「誰かが好きな作品を貶すなんてしてはいけない。私の推しを貶されたらすごく傷つく。だから私はそんなことは絶対にしない。オタクってそういうものでしょ! あんたがしているのはそういうことなんだよ!」
自分では絶対にしないと言いながら、その直後に誰かの好きな作品を罵倒し始める。それも延々と。
清々しいほどの嘘に呆れ、黙って聞いているしかありませんが、まぁ、人間そんなものかもしれません。
オタクを自認する人ほど、自分の見方が正しく、他の味方は受け付けられなくなったりする。
そういうこともあり、私はファンダムの状況をつぶさに観察しているのですが、今年の大河ドラマファンダムは、澄み切った流れのようでありました。
ファンダムも含め、集団が攻撃的になる要素として、以下のようなものがあげられます。
・他集団に対する優越感
・自分たちは不当な扱いを受けたという被害者意識
この点を満たすと、どんな無害な集団でもだんだんと悪化してゆきます。
試しに2023年大河ドラマのタイトルと「紫禁城」で検索をかけてみてください。
「なぜ、その2つの単語で検索なのか?」というと、それだけ批判が多かったという証左であり、そうして批判に対して、口汚く罵倒するファンダムの存在が確認できます。
こうした現象からは、
・「批判する側が愚か」だという優越感
・「バカがケチをつけたせいで自分の好きな作品が貶められた」という被害者意識
が、見てとれます。
他の大河ドラマでもあります。
『平清盛』は、当時の兵庫県知事が苦言を呈したことが「被害者意識」に結びついたところがあります。
『いだてん』は、『あまちゃん』の再来でヒットするという楽観的な報道が放送前には多くありました。
テーマであるオリンピックはマスメディアにとっては書き入れ時となるビッグイベントであり、それを踏まえても、ヒットしてもらった方がありがたいという相利共生関係もあったのでしょう。
それが失速したことから、ファンダムが何がなんでも褒めようと先鋭化したように思えます。
こうしたファンダムは、大河ドラマの話題になると、該当する作品と関係ない話でも、
「でも私は『いだてん』が好きなんだよね!」
という感じで突如話をふったりする。
誰かがちょっとでも該当作品を否定する空気をかぎ取ると、
「俺の大好きな『平清盛』を悪く言われて黙っていられるわけないやんw」
と、話題に割り込んできたりする。
こういうことをされると、作品にとってはかえって逆効果でしょう。
「じゃあ見てみようかな」とか「そういえば傑作だったね」なんて結論になる可能性は極めて低く、むしろ「めんどくさくて、見る気が失せるわー」となってしまうでしょう。
結果、逆効果でしかありません。
私は大河ドラマそのものより、こうしたファンダムの先鋭化が問題だと考えています。
作品そのものによい点があるにせよ、ちょっとでも疑問を口にしただけで、それをとどめにくるファンには疑念を覚えます。
例えば、私のこうした指摘を読んでいて、体の奥からカーッと怒りがこみあげてきたり、コメント欄やSNSで罵詈雑言でも叩きつけてやろう!と思ったとしたら、その怒りこそがファンダムを濁らせる毒の正体なのです。解毒をオススメします。
では『光る君へ』のファンダムはどうだったか?
というとその空気感は清涼で、成功したとの評価が定まりつつありますので心配していません。
誰かから「視聴率ワースト2www」と嘲笑われたり、「みちまひwww バカじゃないのwww」と煽られたりしても、柳に風と受け流すはず。
清少納言は「冬はつとめて」と書き記しました。
あれはあくまで彼女のセンスで冬は早朝がよいものだと感じたままに書いただけです。
もしも彼女が、「冬はつとめてだって言ってんだろ、オラ、起きろ!」と周りの女房を叩き起こしていたら、ただの迷惑な人でしょう。
自分の趣味を押し付けることはただの「にくきもの」。
好みは人それぞれと受け流すことこそ、雅であると、『光る君へ』を好きな方にならご理解いただけると思います。
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