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【『光る君へ』感想あらすじレビュー総評】
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まひろは嫌われかねないヒロインだったのに
ここまで書いてきて、私個人としてはさぞかし『光る君へ』を愛しているだろうとみなさんお考えなられたかもしれません。
しかし、私には疑問がありました。
まひろに共感したり、応援しているというコメントを読むと、内心「本当に?」と眉間に皺が寄ってしまっていました。
本当に共感や応援したいと、そう思ったのでしょうか?
まひろと友達になりたいですか?
道長のようにソウルメイトになれますか?
倫子のように、ぬけぬけと夫の心まで奪っておきながら黙っていたまひろを、あなたは許せますか?
あんな辛辣なコメントをされておいて、ききょうのように「物好きな!」と笑顔でつきあえますか?
これは『虎に翼』の寅子やよねについても同じことを思ったものです。
性格的にここまで難ありな主人公、しかも女性が許容されるなんて、世の中、実は変わってきているのではないか? と、思ったものです。
今までの大河ドラマには、主人公補正で人格者扱いにされているけれども、分裂していて無茶苦茶、恥ずべき偽善者としかいいようのない人物も時折いました。
そういう作品では、歯の浮くようなセリフで主人公を褒めるもの。作っている側は本当にこんな人間を善良だと言いたいのですか? 倫理は大丈夫ですか? そう感じていたものです。
しかし、作り手自身も、まひろの性格がおかしいことは理解している。
戸惑いつつ、こんなヒロインで大丈夫かと思いつつ、前に進んでいたことがわかります。
例えば大石静さんが吉高由里子さんに送ったメッセージには、こんな性格のヒロインから、よくぞ毒を抜いてくれたと感謝する意図のことが書かれていました。
最終回を迎えても、作中の人物はまひろの人格に対して必ずしも肯定的ではありません。
道長は「手厳しいな」と評する。
彰子は「藤式部ははっきりしている」という認識。
ききょうは「物好きな!」と驚き呆れている。
賢子は「母上にも友達がいたんだ」と言っている。賢子は以前、「母としては失格」という旨のことを断言していました。
女としてだとか。良妻賢母失格だとか。
そういうことでなく、人として決定的に何かがずれている。それを受け止めるしかない。そう悟りを開いたようにすら思えます。
問題のあるヒロインが己を曲げてでも社会に屈するのではなく、周囲が受け止める。そんな大転換がなされているように思えます。
大河ドラマに漂うミソジニー
まひろの性格が変だと思うだけに、このドラマが嫌いな人の気持ちも理解できなくもありません。
ただでさえ、大河ドラマファンダムにはミソジニー(女性嫌悪)が根付いています。
・女性主人公
・女性脚本家
・女性の好みに合ったイケメンが多い。
こうした要素が揃うと「スイーツ(笑)大河」というインターネットスラングが飛び交うことはお約束でした。
ネット流行語大賞の銀賞に選ばれたのは2007年のことです。
当時、隆盛であった匿名大手インターネット掲示板は、ミソジニーの空気が強いものでした。
そうした時代と重なったためか、女性向けでありながら品質が低い大河ドラマは「スイーツ(笑)大河」と見なされ、いくらでも叩いてよい作品扱いをされました。
代表例はこのあたりでしょう。
2009年『天地人』
2011年『江 姫たちの戦国』
2015年『花燃ゆ』
2017年『おんな城主 直虎』
「スイーツ(笑)大河」と言われずとも、視聴者にとって生意気であるとみなされた女性登場人物も、理不尽な批判にさらされます。
2013年『八重の桜』の八重
「人殺しを大河の主役にするな」という批判。男性主人公ではいくらでも殺人経験者がいたのではないか。癒し系の女優ならば、もっとかわいいキャラにすべきだ、など。
2016年『真田丸』のきり
「うるさい」など。前半は出番があるだけで叩かれるほど。
2020年『麒麟がくる』の駒
「愛人でもないくせに、将軍の義昭に要望するなんて図々しすぎる」「駒のいるせいでドラマとして決定的な欠点がある」「駒のいるせいでファンタジーになっている」など。
特に『麒麟がくる』についていえば、あの作品のアンチはほぼ駒の悪口しか言っておりません。
言語化しにくい、不都合な嫌う理由があったのかもしれないけれど、共感を得づらいから駒にぶつけているのではないか?と思いました。
放映時前半は信長を批判する意見も目立ちましたが、後半に向かうにつれ、それもできなくなっていった。だからこそ、駒に集中しているのではないだろうかと推察したのです。
さらに、駒叩きに執心しているユーザーが、大河ドラマ以外で言及している発言も分析すると、謎は解けました。
要するに、ミソジニーです。
男性は言うまでもなく「名誉男性」的な思考に染まった女性も、要約すればこんな感情から駒を憎んでいるのだろうとみえてきました。
必ずしも恵まれていない家庭環境に生まれるも、努力を重ねて技能を身につけた。聡明であり、男性がいるべき現場に携わっている。そんな苦労しつつも成功した女性。自分の意見を言う女性たちを、彼らは憎んでいました。
女性研究者、女性政治家、女性作家、グレタ・トゥーンベリさん、など。
彼らは女性でもエリートであったり、セクシーさをアピールするような女性には攻撃的ではありません。
そのせいか「俺のどこにミソジニーがあるんだ!」と、お気に入りのグラビアアイドル水着画像を掲げてきそうな雰囲気もあります。
このことを確信できたのは、典型的な駒アンチからのリプライでした。
その人は「帰蝶様は評価している、駒ちゃんは嫌いだけど」という内容を返信してきました。
斎藤道三の娘であり、織田信長の妻である帰蝶には「様」をつける。
一方で医師として独立し、成人しているにも関わらず、駒のことを「ちゃん」付けで呼ぶ。
腑に落ちる話です。
社長の妻や娘には丁寧に接しても、部下や派遣社員にはセクハラをする。そんな男性心理はこうしたものかと納得できました。
往年の大河ドラマを褒めるファンは、しばしばこういうことも言い出したものです。
「昔の大河は、“おなごは黙っておれ!”と言うからいいんだよな〜w」
こういう昭和の大河ドラマは、物語背景の当時にあった女性の権利を過小化していることもあり、問題もあったものです。
こうした言葉を聞くと、ジェンダー視点での歴史見直しは喫緊の課題だと掴んできたものでした。
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