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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第18回「真・三方ヶ原合戦」】
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どうするVFX
基本的な技術がおかしくありませんか。
馬の速度とか、動きとか、本物を参照する気すらないように思えてくる。
むしろ「どうしてここまでVFXがおかしいのか?」というドキュメンタリーを作って欲しい。
『麒麟がくる』ではセット解説がありましたし、『鎌倉殿の13人』はVFXを含めた舞台裏番組がありました。小栗旬さんは『プロフェッショナル』にも出ました。
今年はありませんね。見られたら困るのかな?
ちなみにアクションは『100カメ』で取り上げるそうです。
どうするアクション
この『100カメ』は放送前です。
予告を見た時点で、嫌な予感がしました。
袴をつけて殺陣の稽古をするチームが見え、これがどうにも引っ掛かります。
日本の武術というのは、江戸時代に様変わりします。
・防具をつけた稽古に変更
・木刀ですら死傷率が高すぎるため、竹刀へ変更
・防御力やルール制定でスポーツ化が進んだ
ざっとこんなところでして、この弊害は幕末時にはもう出ていました。
黒船来航後、幕府は防衛強化のために「講武所」という組織を生み出しました。
しかし、旗本も御家人も、いざ集めてみるとなんだか弱い!
道場の有段者だろうが、どうにもパッとしなかった。
そんな中、やたらと強い流派がありました。
「べえべえ言いやがってダッサw」と江戸っ子からコケにされていた、多摩の天然理心流です。
天然理心流は八王子同心、いわば特殊警察の実践剣法です。
「凶悪犯をともかく捕縛! 場合によっては殺す!」
そんなルールですので、集団戦法、目潰し、蹴り、機動力を奪う……そういうえげつないやり口もいとわない。ゆえに、この天然理心流を学んだ新選組はめっぽう強かった。
新選組の話にズレて申し訳ありませんが、ともかく本作の殺陣には人を本気で殺す!という真剣味が感じられません。
甲冑で覆われた部分でも平気で攻撃して人間の急所を狙わないし、機動力を落とすような動きをしていない。
本気で殺(や)りにいかないのは、危険を避けるため多少は仕方ないにせよ、いかにも作り物めいている。往年の格闘ゲームを思い出すというか、2000年代あたりで止まっている。
今は軽くポンポン打つよりも、古武術らしい重い動きがいい。そういう回帰傾向を感じます。
今年のアクションチームは、もしかして『青天を衝け』と共通していたりするんですかね。
あのドラマでも防具なしで木刀を振り回して稽古したり、袈裟懸けで両側から斬られた被害者が歩き回って長いセリフを読みあげたり。
人を殺すということに真剣に向き合っていないアクションが多く、どうにもつまらなかった。
単純な見映えだけでなく、人を殺傷するということに本気で向き合って欲しい。そう願う次第です。
どうする空城の計
『兵法三十六計』第三十二計「空城計」を出したのはよかった。えらかったですね。
「あっ、諸葛孔明のアレね!」
という展開でしたが、『演義』はともかく、実は彼は使っていないんですね。
ただし、これも時代がくだると減ってゆき、唐代までには使われなくなってきます。中国史で使われなくなったあと、日本で使ったわけです。
どんな小さな城でも、落とすとなると手間がかかります。
別の目的があるとか、時間を惜しむとか、そういう描写ならよかったのになぁ……。
まぁ、このドラマはリアリティをはなから捨てていますし、センスの古い少年漫画的な盛り上げを重視しますので仕方ありませんね。
どうする漢籍引用
こんな記事があり、
◆【どうする家康】「戦は勝ってから始めるもの」信玄の名言が大反響…敗戦後の “禁断エピソード” に期待する声も(→link)
タイトルを見た瞬間に脱力しました。
「戦は勝ってから始めるもの」は武田信玄の名言ではなく、信玄が引いた『孫子』の一節です。
『孟子』の「仁者無敵」を渋沢栄一の発言だとしたり。
陽明学の「心即理」や「地行合一」を吉田松陰の名言だとしたり。
原典が漢籍の言葉を、日本の偉人名言にすることをしばしば見かけますが、共感性羞恥でいたたまれないので勘弁してください。
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