明日2022年1月9日に始まる大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は成功するのか? しないのか?
私は成功を確信しています。
何を持って成否を判断するのか?
その基準は人それぞれであり後述して参りますが、現状揃っている材料を見る限り失敗する要因は少ない。
ただし、さほど視聴率が高くなるとは思えず、
・好きな人はとことん語る
・けれども嫌いな人は視界の隅に入ることすら苦痛を感じる
そんなドラマになると予測しています。
では、どんな材料からどんな成功を収めると判断したのか。以下に説明させていただきます。
視聴率はどうなる?
テレビ環境の変化を踏まえると、視聴率はもう上向きにはなりえません。
10年前、20年前……その基準に戻ることはもうありえない。
日曜夜に一家揃って大河を見る時代は終わりました。家族旅行で大河の地を巡ることも少なくなりました。
もはや、どんな完璧な作品であろうと無理でしょう。
大河ドラマという枠の問題ではなく、テレビ業界が直面した生存競争の場面です。
コロナ禍以降、広告収入とは無縁のNHKが民放より有利な状況ではあります。そうはいっても業界全体が下り坂でどうにもならない。
NetflixやAmazonビデオを見始めたら映画や高レベルの海外ドラマが無数に転がっており、ニュースにしたってYouTubeなどの動画から簡単にチョイスできてしまう。
いったん離れた視聴者は、そう簡単に戻ってきませんし、さらに流れていく可能性のほうが高いでしょう。
テレビの衰退から現実逃避するような報道もありますが、冷静に再考することも重要です。
視聴率は前作の影響もあります。
残念ながら最終盤に数字を落としていました。
大河の視聴率は西高東低の傾向がありますが、前作は西日本が低かった珍しい年であり、最終回では関西と北部九州で2桁を割っています。
SNS受けや俳優のファン層を狙いすぎた結果、大河のレギュラー視聴者層が抜け落ちた蓋然性は残念ながら高い。
この影響が出るとすれば『鎌倉殿の13人』ははじめから逆風に直面する可能性があるのです。
ネット評価は?
大河ドラマに対する評価の抜け道として、SNSの声があります。
2012年『平清盛』において、ハッシュタグつきのファンアートを奉納したことが契機でしょう。
公式でも取り上げられ、2010年代の大河ドラマとハッシュタグ、ファンアートは切り離せないものとなりました。
◆”盛絵”を描いたマンガ家の方々より大河ドラマ『平清盛』へのメッセージが到着!(→link)
ただし、メリットのあとにデメリットも判明しました。
SNSは【エコーチェンバー】現象の温床になり、ファンの数が実数よりも大きく見える【ノイジーマイノリティ】であることが判明しつつあるのです。
大河放映後のウェブメディアでは「SNSでは」「ネットの声」といった文言のニュースが大量に放出されます。
ネットで拾った投稿を繋げれば、簡単かつPVの稼げる仕組みがある。
検索エンジンやSNSはユーザーの嗜好にあわせて表示結果を調整するため、ネットで感想漁りをすればするほど自分にとって都合のいい記事ばかりが目に入ります。
そして、その結果が実態と乖離すると証明されたのが、2019年と2021年大河でした。
2019年は「最低だけど最高」という決まり文句が登場、そう叫んだところで苦戦は隠せませんでした。
2021年はドラマ名物であり、ネット上では大ウケであった徳川家康による解説コーナーが、実は視聴率低下に大きな役割を果たしていたと解析された。
ネットの声を過剰に増幅させるトレンドは、2010年代に置いた方がよさそうです。
2020年代は別の基準で成功を考えねばなりません。
ファンダムでの評価は?
【大河クラスタ】といった言葉をご存知でしょうか?
文字通り、大河ドラマファンを指すもので、とりわけネットを用いて感想を投稿する集団とされていて、当然ながらネット評価と連動性が高い。
ただ、こうしたファンダム、こと歴史が長いものは弊害も現れています。
自分たちが気に入らない展開等があると集中的に叩き、製作者や出演者にまで害を及ぼすような現象です。
◆『スター・ウォーズ』新作、なぜ「ゲーム・オブ・スローンズ」脚本家は降板したのか ─ ジェダイの起源を描く予定も、「有毒ファン」のバッシング危惧か(→link)
近年の大河でこの弊害を痛感したのが、『麒麟がくる』における執拗な駒叩きでした。
有害ファンダムは、女性やマイノリティをターゲットにする傾向が強く、『スター・ウォーズ』ではローズ・ティコ役への誹謗中傷が深刻な問題となっています。
差別と親和性が高く危険なのです。
大河クラスタ内には、女性脚本家や主人公を「女大河」「スイーツ大河」と批判する傾向があります。
純粋な日本人以外が大河に出るべきではないという人種差別を目にしたこともあります。
そして、叩いてもよいと思った標的を執拗に狙う――それもまた有毒ファンダムの問題点です。
海外ではすでに有毒ファンダム対策が取られるようになってきました。日本にも同様の流れが波及するでしょう。
では、何をもって高評価とするのか?
実はこれについて再考の必要性を考えています。
視聴率という基準はもはや古く、海外では視聴者数や視聴時間によって統計を取っています。日本もじきにそうなるのではないでしょうか?
NHKは、NHKプラスを導入しているからには、本来そちらに移行すべきです。
ただし、そうすると他局との比較が難しくなる。
そんな過渡期であるからには『真田丸』の真田昌幸にならってこう叫ぶしかないのです。
「わしの本心か……ではハッキリ言おう……まったくわからん!」
これから起こることを予測し備える
もちろん、わかることもあります。
宣伝記事や持ち上げ記事は他メディアからも数多く出るでしょうから、私は、本作がどんな叩き(否定的論調)に直面するか?をまず考察してみたいと思います。
・女優叩き
女優同士が反発している。女優が別の女優を嫉妬する。女優のせいで視聴率が伸びない。
そんな記事はいつの時代も出るものですが、こうした内容というのは読み手の願望ありきです。
「やっぱり女同士はドロドロしていて欲しいよな〜」
というやつですね。
特に年齢層が高い男性向け媒体では確実にやります。PVを稼げるなら何でも書く。
ただし、時代は変わりました。最近は反論手段もあります。
◆もう泣き寝入りはしない…タレント本人の反論で変わる芸能マスコミのあり方(→link)
次は放送内容について、ありそうな叩きがこれです。
・残酷描写やイケメン不足で女性が引いている
実はこれも女性叩きの変種ですね。
「やっぱり女性視聴者は残虐な場面にドン引きして欲しいよな〜」という願望です。
大河は毎年美男美女が揃っているから全くもって、取り合う必要はありません。
それでも強調するなら、ただの言いがかりでしょう。『鎌倉殿の13人』には実に魅力的な美男美女が勢揃いしています。
・小栗旬さんを叩く
本作が不出来と評価された場合、バッシングにあう筆頭俳優は小栗さんでしょう。主演の宿命ですから仕方ありません。
ただし彼は、主演に選ばれた時点で実力十分であり、言いがかりのような理不尽な理由を疑った方がよい。
例えば序盤でしたら、こう叩かれるでしょう。
脇役に食われている。
オーラが足りない。
地味。
違う役者の方がカリスマがある。
しかし、こうしたことを言われたとすれば、北条義時という役を掴んでる証拠なので、全く心配はいりません。
義時は二男として生まれ、燦々と輝く太陽のような兄を支えるべく生きてきた。
それなのに、運命の不思議によって巨大化してゆく。
はなから強烈な存在感を放っていたら、それはそれで解釈違いとなってしまいます。
いま発表されている範囲では、むしろ義時は普通の兄ちゃんに見える。気のいい青年に見える。
それが年末になる頃には、全ての清濁を併せ呑む魔の淵のような、そんな目を持つ怪物になっている!ことを期待しています。
想像するだけでゾクゾクしませんか?
・大泉洋さんを叩く
紅白歌合戦司会の低視聴率といった要素と絡めて叩かれるリスクがありましょう。
もしも彼が大物二世であればこうはならない。
なまじ親しみの持てるキャラだけにマウンティングを取りやすいからこそ叩かれやすくなる。
しかし実力のない俳優を、三谷さんが二度も大河に抜擢するでしょうか?
大泉洋さんは魅力的です。どう言われても取り合う必要はありません。
・小池栄子さんを叩く
元々はセクシータレントだったという過去があるだけに、そうした角度から、不愉快な偏見をぶつけられる可能性はあります。
しかし彼女の智勇を見抜けぬ相手は放置でよい。
小池栄子さんだから北条政子をこなせる。そう見越した上での配役でしょう。何の心配もないどころか、期待しかありません。
・前作と比較して貶める、背後の騒動をフックにして叩く
前作が好きすぎると、後釜を叩く。
逆に熱烈な前作アンチは次の作品を褒める。
ありがちなファン心理です。それは自分の分析かと言われると困惑するので、本作への期待感は後述するとしまして。
過去作品とは切り分けないといけませんよね。
何か騒動があると、それを絡めた叩きも増えます。その方面で本作は穏やかな作品になることを願わずにはいられません。
◆ 三谷幸喜さん「スネに傷持ってる方 オファー断って!」“呪われた大河”もう御免…異例の訴え(→link)
・展開の複雑さゆえに叩かれる
源平合戦から鎌倉時代にかけて描かれる本作は、戦国や幕末と比較して馴染みの薄い題材です。
「源平合戦」を「治承・寿永の乱」と置き換えたら、それだけで拒否反応も強くなるのでは?
登場人物も少なくなく、内容を理解できない視聴者も当然出てくるでしょう。
理解ができないと魅力は伝わりにくくなる。
燻製がわからなければ、秋田名物いぶりがっこも、ただの臭い沢庵漬けになってしまう。
でも、それを認めたくないがゆえに叩く!
ネットの発達はこうした風潮を助長しました。同じ傾向を持つ同士が連帯すると、それが事実として流布してしまいます。
本作は不利な要素が揃っていますし、本作の制作陣は噛み砕いて甘っちょろくするつもりはないのでしょう。
時代考証担当者のかなりしっかりした解説があります。
公式サイトでここまで気合いを入れた文章を掲載するということは、ついていけない者は仕方ないと割り切る、そんな覚悟を感じさせます。
・三谷さんに人徳がありすぎて、叩かれる
人徳のせいで叩かれるってどういうこと?
三谷さんはなまじ人がいいから、怖いと思われないでしょう。
彼はまぎれもなく秀才であり、堅実だからこそ、本作は起用してきた。三度目の大河で、ここぞというときに起用される。
大御所の雰囲気を出してもよいところですし、出したいという気持ちも感じなくはありません。
大物扱いされればそれに比例して実力が伸びるわけでもないけれども、叩きは減ります。
俺を叩いたらただでは済まんぞ!
そういう雰囲気を出してもよいけれども、なまじ人が良いだけにそうできなかったのか。
脚本家を過剰にキャラクターにしてしまう風潮になじんでしまったのか。
その辺の機微は私が理解できるわけもありませんが、彼はいまだに過小評価されているのではないかと感じてしまいます。
知名度はさておき、実力からして、脚本にツッコミようがない。そんなことをすれば墓穴を掘る。そんな存在が三谷さんです。
それなのに気安いキャラのため叩かれてしまう。
諸葛孔明の罠かもしれないのになぁ。
2010年代 歴史劇は露悪的になった
ここからは、本作のめざす到達点の予測となります。
2022年の大河を語るうえで、2010年代の歴史劇変革について避けることはできません。
『鎌倉殿の13人』はことのほかそうです。
理由は後述するとして、まず2010年代の歴史劇変革とは何か?
何と言っても『ゲーム・オブ・スローンズ』(以下『GoT』)の世界的なヒットです。
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2011年から放送が開始され、2019年に完結した『GoT』は、それ以前とそれ以後を分断した画期的な作品でした。
過激な暴力、渦巻く陰謀、複雑なプロット。
公式サイトやファンサイトの相関図や考察をたぐりながら、じっくりと楽しむ作品だったのです。
この作品はファンタジーに分類されますが、その特徴はむしろ歴史劇に近いところにあります。
アメリカには、ジレンマがある。
自国の歴史には興味があるけれども、騎士が馬にまたがって戦うような、そんな中世史劇をできない。イギリスとは異なる。
そんな歴史劇への渇望を埋め合わせたかのような作品が『GoT』でした。
『GoT』は荒唐無稽なようで、荒々しく、残酷なプロットには元となる史実があるとわかる。
いくつかの興味深い要素が重なりあいますが、薔薇戦争時代のイギリスが中心です。
しかしファンタジーだけに、何の忖度もなしに「中世の連中はひどいなぁ」と言えてしまう。なまじシェイクスピアのように実在の人物を扱っていると生じる面倒がありません。
結果、ありのままに野蛮かつ冷酷極まりなかった人物や事件を描くと、
【とてつもなく面白い!】
と証明してしまった……それが『GoT』です。
ファンたちは歴史を掘り起こし、さまざまな事件や人物をこう呼ぶようになります。
「この処刑法はそう、まるで『GoT』みたい!」
「私たちの過去にもいる! こんな『GoT』なバッドアス!」
一例として、ウクライナを代表する女性・聖オリガをあげておきましょう。
彼女は自身の夫を殺した憎き相手を「生き埋め」や「惨殺」、あるいは「炎風呂」といった激しい方法で復讐します。
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『GoT』を契機にして、ファンたちは歴史に残る惨劇や悪党を、興味津々に眺めるようになりました。
過去にいた偉人をロールモデルにするとか。元気をもらうとか。アイデンティティとして自慢するとか。
ちょっと古い。それが2010年代以降の歴史劇です。
露悪的で、陰謀まみれで、血飛沫が飛ぶ歴史を描くことこそ、最先端であり、世界に通じるドラマである。
そう証明された2010年代。
華流にせよ、韓流にせよ、東アジアも例外ではないはず。
では日本の大河は?
日本の時代劇はほぼ大河のみとなり、かつ形式やテーマ的に唯一『GoT』に肉薄できるのが大河ドラマです。
では、大河で『GoT』が実現できていたかどうか?
考えてみましょう。
なお、歴史劇として新味を求めるより、何らかの制作事情があった年(2015・2018・2019・2021)は外して考えます。
転換点はいつか?
2016年『真田丸』から見ていきましょう。
この作品はスタッフが『GoT』を意識していると語っていたインタビューがあったことを覚えています。
なんせ古い話ですので、詳細は失念しました。申し訳ありません。
ただし、影響を受けたと思える場面が複数あります。その代表例をあげておきます。
◆2016年『真田丸』祝言での謀殺
主人公である真田信繁(幸村)の目の前で、暗殺が行われる場面が幾たびも出てくる。
しかも命令者や実行者が、父である昌幸でした。
決定的だったのは「祝言」です。身分の低い梅であっても、せめてもの祝言はあげさせたい。
そう温情を見せた昌幸でしたが、真の狙いは室賀正武を呼び寄せ、謀殺することでした。
確かに冠婚葬祭は暗殺の定番ではあります。
しかし、それを主人公の父がする必要もなければ、暗殺ターゲットを愛嬌のある人物にしなくてもよいはず。
じゃあ、なぜ、そうするのか?
めでたい雰囲気の中での殺人は、心理的な打撃が大きいものです。
『GoT』で最も印象的な場面とされる「赤い婚礼」がその代表例。
結婚式で招待客をまとめて殺すという、作中で最もトラウマになる悪名高い場面でした。
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◆2017年『おんな城主 直虎』女性が加害者となる暴力
イケメン揃えたスイーツ大河か……そう思わせておいて、暗殺場面があまりに過激な作品で、視聴者が憂鬱な気分になることもしばしば。
最大級の場面は、ヒロインが小野政次を槍で処刑する場面でしょう。
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史実であんなことはありえるのか?
いえいえ、むろん創作ですし、そこには意図があります。
【女性による殺人】です。
『八重の桜』では、故郷防衛戦に挑むヒロインが人を殺しているという批判も出ました。
正当防衛でもそうなるとわかっているのに、それでも直虎は政次を殺した。
『GoT』の画期的な描写として、劇中未成年であった少女・アリアの手による殺人があります。
アメリカのテレビですら、2011年になるまで少女による殺人場面はなかった。
『GoT』は【男性がすればありきたりだが、女性がすることで印象が強くなる】効果を発揮する場面がいくつもあります。
その皮切りとなる場面がアリアによる殺人。
このようなジェンダーを意識し、視聴者に印象を残す場面の象徴が、あの処刑でした。
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◆2021年『麒麟がくる』生首箱詰め
織田信長が自らの祝言の祝いとして、松平広忠の生首を箱詰めにし、父・信秀に差し出します。
人を殺すだけでも十分ひどい。そして遺体損壊をするとなると、ますますひどい。
人間のすることではないという衝撃が強まります。
『GoT』では、「赤の婚礼」で虐殺された被害者の胴体に狼の首を突き刺し、馬に乗せて練り歩く場面があります。
遺体をおもちゃにしてしまうことは、見る側の心理に大きな影響が与えられます。
人間がいつ生まれたのか?
その判断基準として、遺体埋葬があげられます。
発掘した人骨の周辺から花粉が見つかる。埋葬時、弔いの感情から花を供えたことの証とされます。
人と獣を分けること――それは死への態度とされたんですね。
ただの物体としてではなく、尊厳を持って遺骸を扱うかどうかが分かれ目。
ゆえに人間とは、遺体をモノ扱いされると生理的嫌悪感がドッと押し寄せてくるのです。
こうした特性を踏まえ、心理的な揺さぶりをかけるため、遺体損壊は古来より利用されてきました。
誰かが死んでロスだの言っているようでは甘い
そして2022年にも確定している要素があります。
◆2022年『北条殿の13人』無垢な未成年惨殺
木曽義高の写真をみただけで、気分が悪くなりました。
酷い死を遂げる少年をここまで美しくする……どれだけ酷いことをするつもりなのでしょう?
人間の命は尊く、誰が亡くなっても悲しいものです。
とはいえ、衝撃度には違いがある。
フィクションにおいて鮮烈で嫌な印象がズシリと残るのは、まだ十代半ばほどの少年少女の死です。
死の意味を理解し、自分の人生の輪郭がわかり始めたところで、無惨にも命を奪われる。
会津戦争で集団自刃した隊が、白虎隊ではなく年長者の部隊であれば、ああも顕彰されなかったかもしれない。そんなこともつい考えてしまうのです。
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『GoT』はいちいちあげることもキリがないほど、十代の少年少女たちが酷い死に方をさせられました。
無垢であればあるほど、愛くるしいほど、胸が痛む。
本作が木曽義高と視聴者の心を重ね、無惨にぶった斬るつもりであることは、十分伝わってきます。
歴史上には悲惨な出来事はたくさんあります。それを取り入れるか、脚本と演出をどうするか。作り手の狙い次第です。
ここにあげた作品は史実にはない創作描写も含まれています。
歴史をどう描くか。視聴者の心に突き刺さるか。2010年代以降のグローバルスタンダードを取り入れるか。保守的なウケ狙いをするか。そこは重要です。
誰かが死んでロスだの言っているようでは甘い。
誰かの死を思い出すと、気分が重たくなって、翌朝まぶたが腫れている。
それこそが死の重みというものでしょう。
私はもう現時点で気分が悪い。関東地方では、自治体が、惨殺される郷土の英雄を用いて町おこしをしている……どういう状況で最期を迎えるか考えると、イケメンやかわいらしいデザインをされたイラストにすら血の気が引いてしまうのです。
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大泉洋さんは、お嬢さまにはこのドラマを見せたくないそうです。
それが本来の歴史劇です。
鮮血と残虐なくして、乱世を描いた歴史劇であるはずがない。
視聴者が震え涙ぐむことを追求する。憎い役を演じた役者が、道で出会った人から顔を背けられてしまう。
それこそが、2010年代以降の歴史劇です。
一体どこの誰が北条義時を好きになれる?
改めて公式サイトを見てみると、なんとひどいことをするのかと正気を疑います。
まず主人公が北条義時という時点で酷い。
しかも公式ビジュアルで、カラフルな色の布と微笑んでいるあたりが邪悪極まりなくてただただ、酷い。
『麒麟がくる』は、明智光秀を麒麟――すなわち儒教道徳の仁をもたらす人物として描くことで、不忠を打ち消すという超絶技巧を施したわけですが。
義時はそうでもなさそうだ。
ありのままに、あの華麗な布が示す者どもを踏みつけて、あの笑みを浮かべるのだとすれば、究極の悪ではないかという気がしてくる。
そしてこれこそ、日本版『GoT』の最終章に入ったからだと確信できる要素ではあります。
既に『GoT』は2010年代のトレンドですので、新たな模索が始まっています。
日本も次の段階に移りたい。
そのためには、義時を主役に据える意味があったと思えるのです。
鎌倉幕府のことをなまじ日本人は歴史的知識として知っていて、感覚がむしろ麻痺していると思う。
しかし改めて一歩引いて心を真っ白にしてみてみると、ここまで酷い政権成立というのはなかなかないことだと思えます。
鎌倉幕府とは、世界に向けて自信たっぷりに押し出せる逸材です。
「『鎌倉殿の13人』というドラマは、日本にリアル『GoT』、しかもラニスター家が勝利する史実があったと描くんだよ!」
海外でこうアピールをすれば、きっと興味津々になる人は少なからずいます!
そう、『GoT』におけるヒール枠に、ラニスター家という一族があります。
この一族は婚姻関係を利用してのしあがる。
サーセイという娘を王家に嫁がせ、王弟の一族までも滅ぼし、気が付けば乗っ取っている。
歴史的にこうした事例はあります。
東洋ならば「外戚」という言葉があります。王なり皇帝の妻となり、子を儲ける。そして次の為政者の母として権力を握る。
『三国志』でもおなじみの概念ですね。
『GoT』はファンタジーであり、キリスト教圏ではなかなかない、外戚という概念を取り入れています。
ただ外戚といっても、中国では対策がとられています。
国政を見出した呂后の事例を踏まえ、時代によっては太子の生母を殺す慣習(子貴母死)まで用い、阻止しています。
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朝鮮王朝でも外戚の台頭が「勢道政治」と結びついたとされ、しばしば批判の対象とされます。
しかし、母の一族がまんまと主君を乗っ取り果たした事例となれば、それこそ日本、この北条氏ならでは!
そしてそのことこそ、恐ろしいことであり、悪夢そのもの、多くの視聴者の背筋にゾッとする生理的嫌悪感をもたらすこととなる。
家父長制が確固として成立して以降、人類はいかに女が愚かで、女系に正当性がないか、苦しい理屈で証明しようと躍起になっていました。
男のみが持ち得る何か……Y染色体が発見されて以降はこれが定番ですが、そんな何かがあるがゆえに尊いと言い始める。
ま、その妥当性はこの際どうでもいい。
問題は、女系がまんまと王朝を乗っ取ること――これを実現したからこそ、『GoT』におけるラニスター家は、おぞましさの極地にあるのです。
リアルでそれを実現した北条氏とは、一体どれほど、世界史的に見ておぞましいのか?
そのおぞましき政子の弟・北条義時とは?
究極の悪となり得る要素がそろっています。
彼らが周囲のものに対して慈悲深いということは、この際忘れてください。
身近な相手への親切心と、政治的処断は別物。
冷酷な政治家も側近には親切であったという逸話はありふれたものです。
そしてその周囲へ見せる優しさこそが、まさしく最低最悪の恐怖へと視聴者を叩き落とすかもしれない。
人間は悪とは何かを考え、古くは迷信、近代以降は優生学を用いて、先天性の異常や何やらを見出そうとしてきました。
悪党とは我々善人はまるで違う、化け物だと。
しかし、どうにもそうではない。
悪党にも友愛がある。敵兵は戦友を救おうとするときにこそ最も勇敢になる。あいつらも結局は人間なのだ……21世紀現在、そこまで解明されています。
なにが人を悪とするのか?
北条義時とその周囲は、何によって悪辣なことに手を染めてるようになってゆくのか?
人間が悪に染まりゆく過程を観察する。
そういう喜びがあることを知らしめてこそ、『鎌倉殿の13人』は成功します。
新選組や幸村とは違う勝者
日本人が大好きな人物である真田幸村は、なぜ2016年まで大河の主格として取り上げられなかったのか?
これには日本人のメンタリティがあると説明されたものです。
大河の一作目は井伊直弼が主人公です。
複雑な幕末を生きた、非業の死を遂げる人物が主役。そうした挑戦的な題材から、高度経済成長期へ向かうにつれ、一国一城の主となる出世ロマンが好まれるようになってゆきます。
いつしか大河はビジネスマンの生き方にマッチした、明るく末広がりなものであることが定番とされるようになりました。
しかし、城を持つこともなく、敗死する真田幸村。
大河の需要にマッチしなかったのではないかと分析される背景には、そんな日本人の変化があったとされます。
三谷さんの大河は、興味深いことに毎回こうしたセオリーを外しています。
真田幸村の前は、集団単位で敗死する新選組が主役です。
しかし、北条義時はなまじ勝利しただけに、実は難しい。
そもそも、こいつの勝利なんてむしろ胸糞悪いから見たくなかった!と、思われても仕方ありません。
心情的な意味でいえば、むしろ敗者こそが美しいことは往々にしてある。
わかりやすいのが『三国志』の諸葛亮と司馬懿です。
諸葛亮は五丈原に散ったのに対し、司馬懿は晋の基礎を築くという勝利の礎を達成します。
しかしそんなものは『三国志』ファンからすればむしろ悪夢そのもの。
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北条義時もそんな腹立たしい、不愉快極まりない勝者です。
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源義経や木曾義仲といった輝かしい弟や親族を殺し、蹴散らして頂点へと上り詰めた源頼朝。
頼朝系が勝利の時点で憂鬱になりかねないのに、さらに北条義時が出てきて武士の世を築く――天意はなんと酷いことをするのか? どれだけの人々が、そんな風に天を仰いできたことやら……。
よりにもよって、北条義時が武士の世を確立させたという史実を、2022年は幾度となく突きつけられます。
日本人が古来から判官贔屓であるのは、史実からの逃避かもしれません。
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サムライジャパンだの自称するほど武士であることをアイデンティティとしている日本人。
しかしその武士の世はこんな陰謀に塗れた一族、しかも女系の乗っ取りによって完遂されていた。
不都合な史実。しかも北条の連中は、天皇にも文字通り弓を引いています。
北条って、一体……本当に、どういうことなんだ!
我々は何者であるか まだ知らない
日本人とは何者か。
それを考える上で、絶対に避けては通れないはずなのに、極めて不都合な北条氏。
日本人が何者かなんて自明のことのようで、実はそうでもない。
天皇の赤子?
王朝文化を尊ぶ雅が特徴?
いやいや武士として弓を執る者?
歴史の中をもがぎながら模索していて、実は今だってその最中では?
そんな混沌をさらに深めかねないのが、北条氏です。だから悪し様に罵倒もされてきた。
だからこそ「普通の青年が権力者になる」と紹介する本作が怖い。
悪とは何なのか?
それを考えるとき、人々は育ちであるとか、民族であるとか、先天性であるとか、そういった異質が為すと信じたがったものです。
昔は迷信や宗教を用いて悪を定義しようとしましたし、近代以降はニセ科学も使った。
それもついに限界がきて、だんだんとイヤな事実に直面しつつあります。
人間の心って、実はコロリと陰謀論やら悪の誘惑に参る。
誰でも悪になる。残忍なことを平気で出来てしまう。
そんな題材にあえて挑むことで、本作は、横っ面を引っ叩くような効果を期待しています。
この作品が成功するかどうか、どう判断すればいいかわからないと書きましたが、自分なりの基準でならば見えてきました。
『一読三嘆』ならぬ『一話三嘆』でどうでしょう?
一話をみるうちに最低でも三回、声をあげてしまうほどの場面があれば成功とします。
本来、それが一番大事だったことかもしれない。
作る側も見る側も、声を上げたくなるほどの驚きがあるということ。
それが映像を見る最大の楽しみでしょう。
ドラマを見てつぶやいていくつRTされるかとか。ハッシュタグやネットニュースの反応を気にしてしまうとか。
そんなことは一周回って忘れることこそが一番大事なのかもしれません。
誰かの意見でなく、自分自身の心に聞いてみること。
一回みるうちに三度声をあげたくなかったか?聞いてみること。
そうだったと返ってくれば、この作品は成功です。
そして私は成功すると信じています。
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【参考】
『国史大辞典』
安田元久『鎌倉・室町人名事典』(→amazon)















