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【仁義なき戦いと鎌倉殿の13人】
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彼らの中には、高齢になってから字を学び始める者もいるほどですから、漢籍をスラスラ読むなんて夢のまた夢。
『鎌倉殿の13人』前半の坂東武者に「五徳」とは何か?と説明しても、口ごもるか、キョトンとしているか、そんな反応でおかしくはありません。
儒教の経典は、貴族や僧侶が教養として身につけるか、仏典を学ぶ延長で読むものでした。
では、武士たちはどの時代に“儒教”を身につけたのか?
お次は2020年大河ドラマ『麒麟がくる』を参考にして考えてみましょう。
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応仁の乱の前後
『麒麟がくる』のキャッチコピーは以下の文言でした。
それでも、この仁なき世を愛せるか。
主人公の明智光秀には、聖獣である麒麟のシルエットが重なっていて、重要な思想が隠されています。
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言うまでもなく「仁」です。
戦国時代後期に生まれた明智光秀はその概念を知っていた。
だからこそ、仁無き世界の戦国時代に絶望している。
この明智光秀と北条義時、二人が生きた時代の合間に、日本史の大転換となる出来事がありました。
【応仁の乱】です。
東洋史学者である内藤湖南は、この乱の以前と以後の日本人は全く異質であると語っています。
仁義の有無や道徳概念の差などがそこにはあるのでしょう。
明智光秀の時代までに、武士は教育を身につける環境が整えられたからこそ、『麒麟がくる』での光秀は幼くして儒教の経典を読みこなし、たびたび引用する秀才に育っていました。
注目したいのが、『麒麟がくる』と『鎌倉殿の13人』の両作品に出てくる、父を追いやる人物です。
まずは『麒麟がくる』の斎藤義龍。
義龍は父の斎藤道三と対峙し、敗死に追いやりました。
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そのことに内心は葛藤があるのか。「道三は実父ではない」という苦しい工作をしています。
実際に義龍は苦悩していた様子がうかがえます。
彼は中国・唐代で、やむをえず父を殺した「范可(はんか)」と名乗るのですが、そこには『私も同様に仕方なかったんだ』という思いが透けて見えます。
しかし、光秀はそんな義龍を許さず、斎藤家を辞し、再仕官を迫られても断るという設定でした。
一方で『鎌倉殿の13人』の北条義時。
彼は父の北条時政を殺しこそしなかったけれど、権力闘争の末、敗北へ追いやり、伊豆へ追放しました。
それだけではなく、父の助命を感謝する姉の北条政子に対し、「殺さなかったことを後悔している」とまで言うのです。
いかがでしょう。
斎藤義龍と北条義時、同じ乱世を生きていても、思考が全く違う。
現代人でも、まだ少しは心情が理解できそうな戦国時代と、理解すらできない鎌倉時代――そんな価値観の差があります。
江戸時代は庶民までが「仁義」を知る
『麒麟がくる』では、儒教道徳を重んじる明智光秀のことを、徳川家康が私淑している設定でした。
儒教を学ぶかどうか。
戦国時代までは本人の資質だけでなく、教育環境に大きく左右されました。
それをいわば国教にまで高め、全国に普及させたのが2023年『どうする家康』の主役である徳川家康です。
江戸時代の初期を代表する儒学者・林羅山は、徳川家康・秀忠・家光・家綱の四代に仕え、朱子学の普及につとめました。
そうした努力もあってか、各地の藩校で儒教が必須科目として学ばれるようになります。
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そんな林羅山が創設した「昌平坂学問所」は孔子廟があり、江戸時代の武士に「儒教の五徳とは何ですか?」と聞けば、前髪をつけた少年でもスラスラと答えられるまでに普及しました。
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武士だけではありません。
時が進むにつれ学問は庶民にまで広がり、江戸時代には民までが儒教概念を身につけていました。
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儒教道徳があるからこそ物語の世界が広がり、面白さも理解できる。
だからこそ次代や周囲にも伝わるという好循環が生まれ、いわば日本人らしさの形成にもつながってゆく。
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2021年大河ドラマ『青天を衝け』のキャッチコピーは以下の文言です。
仁なるものに敵はなし。
出典は『孟子』「梁恵王上」であり、豪農である渋沢栄一が『孟子』を読むようになったことが反映されています。
劇中の渋沢家には「心即理」と掲げた額が飾られていました。
儒教の陽明学が掲げる重要な概念ですが、幕府や各藩は朱子学を正統としており、陽明学は【寛政異学の禁】で禁じられています。
幕末ともなると、敢えて禁止されている陽明学を学ぶことで、新たなる時代を模索する志士たちが多数輩出されました。
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吉田松陰は、あまりに先進的な思想ゆえに逮捕投獄され、獄中自殺を遂げた明代の陽明学者・李卓吾に強い思いを寄せていたといいます。
幕末ともなれば、日本人にとって儒教は常識中の常識。
仁義がないなんてもはや人間ではない――そんな考え方が当然となっていた。
明治時代以降はどうか?
儒教は古い因習的なものだと否定される声があがる一方、リバイバルブームも起きる。いわば揺り戻しが繰り返されます。
渋沢栄一はそんな需要を察知し『論語と算盤』を出版しました。
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ひるがえって私たちはどうか?
決して「五常」を忘れていないと思いたい。
というか忘れてないからこそ、『鎌倉殿の13人』を見て暗い気持ちになり、嘆くのでしょう。
仁義を知らないなんて、この人たちは何なんだ!
そう思うのは、我々の毎日に浸透しているからと言えます。
裏社会に「仁義」はあるのか?
ここまではいわば表の歴史。
そうではない裏の歴史もあります。
藩校で武士が習う教科書に『三国志演義』がありました。
娯楽ではなく、関羽のような義にあふれる武士となるよう、ロールモデルとして学んだのです。
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今では差がついてしまいましたが、『三国志演義』と並んで日本で人気のあった中国古典に『水滸伝』があります。
この作品はアウトローの活躍を描くエンタメであり、現在の少年漫画やアニメにも通じる痛快な世界観が広がっています。
英雄好漢が梁山泊に集まって戦う――そう言えば聞こえは良いけれど、彼ら百八星は犯罪者。
表の世界で堂々と生きてはいけないものが大半を占めています。強盗殺人なんでもあり、という血生臭い展開が続く。
『三国志演義』も人気ですが、庶民はスカッとした『水滸伝』が大好き。
そんなファンが多いからこそ、『水滸伝』の名場面は刺青で大人気の図柄となりました。
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日本での刺青は、現在に至るまで犯罪者あるいはそれに準ずる人々特有のものと認識されています。
その根底にあるのも儒教道徳だったことはご存知でしょうか?
身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり。『孝経』
肉体、髪、皮膚は父母からのものだ。これを傷つけないことこそ、「孝」の基本である。
いわゆる「親からもらった身体を傷つけるなんてどうしようもねぇ」というやつですね。
反社会的であることを誇張するため、あえて「孝」という儒教道徳を破って刺青を入れる。そこには世の中の道理を破ってやるという挑発がありました。
こうした道徳や法の枠外にいる人々は、表には出にくいながら、しばしば日本の歴史を動かしきました。
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そんなアウトローになるほどの度胸はない。
しかし、悪党どもの蠢く様は見たい――。
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