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【青天を衝け第3回感想あらすじ】
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どこか懐かしい展開 そう、これはRPGだ!
このドラマは、昔なつかしのRPGではないでしょうか。
あるいは、そういうものをモチーフとした転生もの漫画のようで、ノスタルジーに溢れています。
想定視聴者層の分析は後述するとして……まず、エキストラ。江戸の街をウロウロするエキストラは、やたらと笑顔で動き回っていて、RPGぽい。
そんな街での偶然の出会い。運命の出会いを道端で果たしても、RPGならば問題ない。
圧倒的な説明セリフ。
「江戸かー」
「ははー江戸だデェ」
「江戸かー」
こういうセリフも、RPGならばむしろあり。栄一はじめ、いちいち「あれが公方様の住む城だ」みたいなことを言いますが、これまたRPGだと思えばよいのです。
タップしているだけでナントカなる――そんなチョロさがたまらない!
そしてなんと言っても、栄一と慶喜【伝説の勇者】っぷりですよ。
秋帆は栄一を思えば生き延びることができる。
慶喜はもうみんなが期待している。
どんだけ非現実的なことが続くのか……とアタマを抱えそうになったらこう思えばいい。
「勇者の血統だと思えばアリだ!」
しかしレベルアップも雑と言いましょうか。
比べちゃいけないとはいえ前作『麒麟がくる』のように人物たちが熟考している感もないまま、いきなり「藍玉買い付けて商才発揮だぁ!」となります。途中を全部すっ飛ばしているのもなんだかRPGっぽい。
いや、RPGでもないか。学生時代に、成績優秀だった方が作っているドラマなんだろうと思います。
教科書をサッと覚えて、試験突破!
試行錯誤しないでも勉強ができちゃう――器用で、わきまえていて、コミュ障でもなく、陽キャな秀才が考えた「賢い人物像」ですね。
『麒麟がくる』に出てきた連中みたいな、コミュ障あるいは陰キャは世間で需要がないのかもしれません。
いくら漢籍を使っても、衣装に五行説を取り入れても、世間的にはほとんど反応もなかったようですし。
『麒麟がくる』のド派手衣装! 込められた意図は「五行相剋」で見えてくる?
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論語読みの論語知らず?
そうかと思えば『青天を衝け』では『論語』も出てくるし、諸葛孔明も出てくる。流石です。
「論語読みの論語知らず」なんて意地悪なことを言ってはいけませんね。
『パリピ孔明』も話題の時代に諸葛孔明を出してくるなんて。
「待てあわてるな」日本人は天才軍師・諸葛亮(孔明)をどう見てきたのか
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役者の年齢はどうでもよい
高島秋帆の年齢なんてどうでもよい。
幕臣再評価をするドラマなのですから、若いイケメンにしても問題ない。
『麒麟がくる』の織田信長だってあんなに若かった!
いや、それ以前に30そこそこで【大政奉還】となるクライマックスを迎えた慶喜を演じる方の年齢は……だから、そういうことはどうでもよいのです!
なぜ大政奉還が実施されても戊辰戦争が始まったのか~激突する西郷と慶喜の思惑
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VFX、メイク、結髪が……
江戸の街は、セットとVFXを駆使しているとわかり……いや、VFXは「使っている!」とモロバレで見えると、よろしくないのですが……。
オープニングの船だけで予算オーバー気味なんてことがないように願っています。
メイク、結髪、衣装、小道具……何か安っぽいような。Illustratorで作った感が見えるような……。
いや、そんなことないですよね。だって大河ドラマですしね。
◆NHK大河ドラマ『花燃ゆ』に日本語学者がツッコミ「幕末の書物にパソコンの明朝体フォント?」(→link)
勝負は兵家の常
さて、『青天を衝け』は“大河ファンも納得の成功作”評価が固まりつつあるようです。
◆ モデルプレス - 吉沢亮主演、大河ドラマ「青天を衝け」初回総合視聴率26.3%で計測史上過去最高を記録(→link)
◆ 8年ぶり大台「青天を衝け」大河ファンも納得の演出(→link)
◆好スタート『青天を衝け』は「視聴率の鬼門・明治時代」を乗り切れるか、その目算(→link)
いや、その明治人視点が「神!」大河じゃなかったんでしたっけ?
まあ、その話はやめておきましょう。
意識高い人ならきっとわかるんでしょう。
私は物を言うわけでもないし、SDGsなんて難しいことわかりません。
「今回の武者は予想が外れたな」と指摘される方もおりましょう。
しかし私の見方は変わっておらず、その後に察知した不穏な点も取り上げてみましょう。
ニュースサイトやSNSから、ユーザーが褒めているポイントを分析しますと……。
子役がかわいい。
イケメン。
明るい。
そういった雰囲気を褒める声が多く、確固たる根拠は感じられません。
そこでふと湧いてきた、恐ろしい疑念がこれです。
根っからの大河ファン(2009、2011、2015、2018、2019の悪夢)も耐えた猛者が、鑑賞や感想を書くことをやめてしまったのでは? そういう感想サイトもあるようです。
感想のみならず、ニュースも見てみますと……。
信憑性は薄い話にせよ、この手の目玉キャスト待望論が、早くも序盤から出てくるのはどうなのでしょう?
そしてこの手の憶測は不吉でもあります。
◆のん(能年玲奈)、『いだてん』出演はあり得る!レプロが抱く“不信感”の理由(→link)
そして次。
◆大河『青天を衝け』の「ナレーション多すぎ問題」に、賛否が大噴出している…!(→link)
ナレーションのせいで集中できないのか?
そうではないでしょう。もっと本質に迫らないと。
要は、つまらないんですよ。
しかし、記事ではそうと言い切れないから、無意識のうちに外堀から埋めようとしている。
人は、面白い作品であれば夢中になります。とてもそんな熱量は感じられない。
全体的にノイズが多いことも一因なのでしょう。メリハリのないシャウトは、視聴者の集中力を削ぎます。
根本を考えてみましょう。
過剰でくどく感じるのは、本作の脚本演出、作りそのものがこなれていないことがある。
何よりこのドラマは【視聴者が歴史に興味がない】という前提を持っています。脚本家もプロデューサーも「歴史に興味がない」という旨のことを発言してしまっている。
「私がこの程度なんだし、見る側もきっとそうだろう……」
そんな意識をどうしたって感じます。それでも成功した『あさが来た』の体験があるからこそ、自信過剰に陥り、空転しているのかもしれない。
どれだけ実績のある人でも、過去の栄光を忘れて、がむしゃらに取り組んだほうが、良い作品ができると思いませんか?
そして思い出してほしいのは、大ベテランの池端俊策さんが手掛けた『麒麟がくる』でも、脚本家をチーム体制にしており、協力がクレジットされていたことです。
大河のような長丁場を脚本家一人で乗り切るのは無理がある。いっそチーム体制だと明かした方が痛くもない腹を探られることもない。
日本ドラマ界の慣習だか何だかわかりませんが、白々しい体制はもうやめるべき――以前から私はそう申してきました。
今年の脚本家は単独制のようです。
実際のところはわかりませんが、ともかくクレジットではそうなっている。
オーバーワークに陥って脚本が遅れているのではないか?
何か行き詰まっていないか?
そんな私の杞憂を一蹴しそうな、“隙のない”という評価もあります。
◆“隙のない”大河ドラマ『青天を衝け』 全方位を取り込み「近代史はヒットしない」の定説を覆せるか?(→link)
上記の記事では『麒麟がくる』の合戦シーンについて、次の通りに語っていました。
大河ドラマといえばその醍醐味は“合戦”だ。
※中略
(麒麟がくるでも)戦国時代ならではの、槍(やり)や刀、弓矢で落とし穴や投石、火の付いた米俵を転がしたりと、原始的な戦いが繰り広げられ「これぞ大河って感じ」と視聴者を熱狂させていた。
だがコロナ禍の影響もあったのだろうか。同作の合戦シーンを魅せる時間は一気に減少。
山場である、藤吉郎や徳川家康、光秀らが撤退時の最後尾で決死の覚悟で戦うシーンはわずか数分であり、がっかりする視聴者のコメントが多数。
「やはり密を回避するために戦シーンが描けないのだろうか」
「9000の兵のはずなのに実感がない」
とトーンダウンをしていた。
迫力があり盛り上がる戦シーンも、世の情勢との兼ね合いでつくっていくことになる。コロナが長引く以上、これは大河ドラマが抱える課題となりそうだ。
これは合戦の定義によると思います。
『麒麟がくる』は、むしろ『孫子』はじめ兵法のセオリー通りで見ていて気持ちが良いほど。
どのへんが?というと、心理戦と物資調達あっての勝利だと描いていたことです。
コロナのせいで合戦が減ったとは言い切れないでしょう。
世界的に見て、歴史作品は、派手な合戦よりも心理戦なり調達戦が重要視されます。心理戦と言っても根性論で勝利するものではありません。
本場の予算が潤沢にある中国ですら『三国志』もので【赤壁の戦い】を描かないのですから、時代の推移は明らかでしょう。
そういうトレンドに作り手が追いつこうとしても、見る側がついていけないという状況に不穏なものも感じます。
手放しで褒めるメディアは、おそらく海外の潮流をまるで追えてないなぁと思うのです。
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