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エドワード8世/wikipediaより引用

イギリス その日、歴史が動いた

「王冠をかけた恋」を選びイギリス王を退位したエドワード8世

更新日:

エドワード8世退位す!

映画や小説、マンガで人気が出る鉄板モノといえばラブストーリーですよね。
フィクションであれば「偶然出会った二人が何やかんやありながらもその後幸せに暮らしました」といった感じになるでしょうけども、もちろん現実的にはそうとも限りません。それがどんなに有名でロマンチックであっても、です。
夢を壊すようでアレですが、今回はそんなお話です。

1936年(昭和十一年)の12月11日は、「王冠をかけた恋」で有名なエドワード8世が退位した日です。

もう知らない世代のほうが多いのかもしれませんので、ものすごく単純に言うと「愛する女性との結婚のために王位を捨てた」という実にカッコイイ話です。ホントおとぎ話ですね。

ユーゴスラビアでウォリスとともに休暇を過ごすエドワード8世(1936年)(Wikipediaより)

が、現実は「その後二人はずっと幸せに暮らしました」とはいきませんでした。

エドワード8世は、例によって各国王室のハイブリッドという感じの血を引き継いで、イギリス王家に生まれました。イギリスの中にある四つの国家(イングランド・スコットランド・アイルランド・ウェールズ)の守護聖人やら、曽祖父アルバート(ヴィクトリア女王の旦那さん)やらの名を繋げた長々しい洗礼名からもそれは伺えます。
元々国名が長いので、イギリス君主の名前が長くなるのは必然ですけども。

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乳母から虐待を受けていた幼少期!

王子様ですから、それはそれは大切に育てられた……かと思いきや、エドワード8世の場合はそうとも限らなかったようで。
後に彼の後を継いでイギリス王となるジョージ6世と共に、乳母から虐待を受けていたそうです。王族に暴力振るうとかその乳母度胸ありすぎやろ。
このせいなのかどうか定かではありませんが、成長して海軍兵学校に入っても馴染めず、いじめにあったりとあまり青春を楽しむような余裕はありませんでした。カワイソス(´・ω・`)

不幸中の幸いは、在学中に祖父が亡くなって父が王位に就き、立場が繰り上がって王太子になったことです。
今までは継承権の上位にいるだけでしたが、正式に道筋ができればもっと帝王学を学ばなくてはなりません。そのため、軍事よりも学問に関することを学ぶようになりました。
本人の性格を考えると、恐らくはこちらのほうが向いていたでしょうね。

彼は、ウェールズでの式典の際はウェールズ語で答弁するなど、イギリス王太子が”プリンス・オブ・ウェールズ”と称されることをとても意識していたようです。
詳細は長くなるので割愛しますが、ウェールズは最も早くイングランドと(比較的)友好関係になったため、イングランドは次期国王の称号にこの地名をつけることで、ある程度敬意を払っているという感じです。
その代わりというか何というべきか、ウェールズの旗だけがユニオンジャックに含まれていないんですけどね。一つだけ毛色が違いすぎるからというのもあるでしょうが。

また、ノブレス・オブリゲーション(仏語でノブレス・オブリージュ。高貴な者はより大きな責任を果たすべき、とするヨーロッパ王侯貴族の価値観)の感覚も強かったようで、第一次大戦時には自ら一兵士として最前線で戦おうとしました。
もちろんこれは大臣達によって阻まれてしまうのですが、そこまで言う王族はなかなかいませんよね。

このため軍人達の間で「肝の据わった王子様」として人気を集めていきます。

君主のためというより自分の家族を守ろうという気持ちで従軍している人のほうが圧倒的に多かったでしょうけども、王族は上司の上司みたいなものですから、さらにやる気が出たかもしれませんね。

日本にも来日

青年期までのアレコレを振り払うように、外交にも積極的に取り組みました。
日本にも来たことがあり、まだ皇太子だった頃の昭和天皇ご夫妻と散策している写真が残っています。古い写真なので表情ははっきりはっきりわかりませんが、足長くてマジ裏山。

訪日時に撮影された貞明皇后、裕仁親王(のちの昭和天皇)との一枚(Wikipediaより)

他にも全体的にかなり先進的な考えかたの持ち主で、失業者などの労働問題に関心を持ったり、当時王族では珍しく人前でタバコを吸って見せたり、学生の頃には自ら王制を否定する歌を弾き語りして見せたりと、奇抜なエピソードには事欠きません。
こうなると、「王冠をかけた恋」をした人だというのも何となくわかりますね。
唯一惜しいのは、オーストラリア訪問時に先住民アボリジニへ暴言を吐いてしまったことくらいでしょうか。

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人妻のアメリカ人ウォリスとの恋

そんなわけで王太子時代はかなり自由奔放にやっていたのですが、王位継承が間近になるとそうもいきません。というのも、「恋」のお相手についてイギリス王室・イングランド国教会的にマズイことがいくつかあったからです。
彼女の名前はウォリス・シンプソン。アメリカ人で、エドワード8世と交際を始めた頃はまだ人妻でした。この時点で日本人でも「うーん……」という感じですが、さらに彼女には離婚歴があったため、王室も教会も顔をしかめます。
エドワード8世は気にせず、彼女に二回目の離婚をさせてまで妃にしようとしますが、さすがに待ったがかかりました。イングランド国教会では、離婚が認められているものの将来のイギリス国王としては許されない行為でした。

結論が出ず、交際をやめることもしないうちに父王が亡くなってしまったため、彼はそのまま王位を継ぎます。
彼はウォリスを妃として迎えるという意思を変えませんでしたが、王室関係者はただの友人として扱うようになります。そりゃそうだ。
エドワード8世は対抗するようにおアツイラブレターを送ったり、海外旅行の際マスコミの前でいちゃついたりとこれ見よがしな行動をとりますが、騒ぎが大きくなるだけで実質的な効果はあまりありませんでした。ゴシップとしては面白かったかもしれませんけども。

王の地位を1年未満であっさり捨てる

おアツかったのは本当のことで、ウォリスも離婚手続きを済ませて王妃になる準備をし始めます。しかし、議会はこれに対し「これはただ単なる個人的な問題ではなく、王位や王制に対する大きな問題になる恐れがある」として、エドワード8世に退位を促しました。
それまでそういう選択肢が頭になかったのか、彼はあっさり?退位を決意します。そして正式にイギリス国王という位を捨て、愛する女性との生活を選んだのでした。
在位機関は325日間、つまり1年未満でした。

エドワード8世と3人の弟達のサインが記入された退位文書(Wikipediaより)

とまあ、物語であればここで幕引きになるのでしょうけども、彼らは現実に存在していた人間ですからそうもいきません。
王位は弟であるジョージ6世(現イギリス女王のお父さん)が継いだのでまあ上手く行きましたが、他の点ではそう簡単に上手くはいきませんでした。
ただのカップルとなったエドワードは、イギリスを去ってヨーロッパを渡り歩き、半年後にウォリスと正式に結婚します。本人は二年ほどでイギリスに帰るつもりだったそうですが、こんな退位の仕方だったので王室としては当然激おこですから、「いきなり帰ってきたらもうお小遣いあげません!!」(超訳)と言われて引き下がらざるをえませんでした。
お金もらえるだけまだいいですよね。優しいなあさすが紳士の国(棒読み)

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人並みの夫婦と同じく冷めていくものの最後は真実の愛に?

第二次大戦中は母国と敵対していたドイツにかなり肩入れしていたため、これまた王室をナーバスにさせていたようです。自由すぎるやろ。
ちなみにウォリスが正式にイギリス王室に迎えられたのは1965年、約三十年も経ってからのことでした。
経緯が経緯なので、二人は終生仲が良かったかのように思われていますが、それは演出上のことであって実際には世間並みの夫婦と同じく冷えた関係になっていったようです。
もっとも、エドワードの死去時にウォリスは人目をはばからず号泣していたそうですから、全く愛していないわけではなかったのでしょうけども。いつ打ち切られるかわからない年金のために何十年も一緒に暮らしていたわけではないと……思いたいですね。

長月 七紀・記




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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード8世




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