柳沢吉保/wikipediaより引用

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柳沢吉保57年の生涯をスッキリ解説!旧武田家臣の末裔はコミュ力で爆出世

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江戸幕府――特に中期の将軍には、それぞれ一人ずつ「相棒」と呼ぶべき重臣が存在します。

「側用人」や「御用取次」など。
その時々によって役職名こそ違いますが、将軍にとっての印象は同じようなものでしょう。

その最初の一人といえるのが【柳沢吉保】。
五代将軍・徳川綱吉の側用人だった人物です。

よしながふみ先生の「大奥」では、なかなか業の深い役どころでしたので、名前を覚えている方もいらっしゃるのでは?

さて、元ネタになった実際の吉保は、どんな生涯を送ったのか。

順を追ってみていきましょう。

 

武田家滅亡で徳川に召し抱えられる

柳沢吉保の「吉保」とは、後半生に綱吉から「吉」の字を賜り、名乗ったものです。
本稿では、わかりやすさを優先し、最初からこの名で統一させていただきます。

吉保の遠い先祖は、河内源氏源頼朝足利尊氏らで有名な家柄)の支流で、武田氏の一門だったといわれています。

戦国時代に武田氏が滅んだ後(武田信玄武田勝頼→滅亡)、徳川家康が旧武田家臣を召し抱えたため、以降は徳川家臣となりました。
徳川氏の中では、比較的新参の家という立場ですね。

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将軍家との密接な関係が始まるのは、父・柳沢安忠が幕府の直臣から綱吉の勘定頭になったところから。

吉保は側室の生まれだったため、家督は姉の婿である信花が養子入りして継いでいました。

しかし、17歳のときに吉保が家督を継いでいます。
既にこの頃には綱吉への謁見を済ませてあったので、何らかの「上意」があったのかもしれません。

また、信花は後に、とある武士との口論がきっかけで斬殺され、お家断絶になっているため、元々トラブルを起こしやすい人だった……なんてことも考えられますね。

 

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将軍の身の回りの世話をする役割

吉保はそれからずっと綱吉に仕え、延宝八年(1675年)、将軍へ就任したとき、幕府の直臣になります。

この頃は「小納戸役(こなんどやく)」という仕事をしています。

将軍が日常の寝起きと政務を行う「中奥」というエリアで、身の回りの世話をする役割。
側近くに仕えるため、能力や機知があれば出世しやすい立ち位置でした。

誰だって、日頃よく顔を合わせる部下とウマが合えば、「コイツを引き立ててやろうかな」と思いますよね。

吉保も、働きが綱吉に気に入られたのか。
仕え始めた翌年にあたる天和元年(1681年)には、早くも830石の領地を与えられています。

続いて、綱吉の学問上の弟子となり、更にはさほど間を置かずに自分の母を自宅に引き取っているので、このあたりでかなり良い暮らしができていたと思われます。

徳川綱吉/Wikipediaより引用

 

側用人に昇進して所領は約12,000石

そこから毎年のように加増や屋敷替えで出世。
幕臣になって10年経った貞享二年(1685年)には、従五位下・出羽守に叙任されました。

また、貞享二年(1686年)頃には、母の侍女だった飯塚染子を側室にしたらしく、翌年には息子の柳沢吉里が生まれています。

正室はこれより10年前、延宝四年(1676年)に迎えていました。

曽雌定子(そし さだこ)という、やはり武田氏旧臣の旗本の娘。
彼女は子供ができにくい体質だったようで、吉保の子どもたちはほぼ側室の出でした。

元禄元年(1688年)、いよいよ側用人に昇進し、一万石の加増。

「側用人」という役職がいつできたものなのか?
これについては諸説ありますが、吉保がその最初の例であることは疑いないところです。

加増分も含めると、この時点で所領は約12,000石。
立派な大名です。

 

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綱吉は吉保邸へ58回も御成している

以降もトントン拍子に加増と昇進+αが続きました。

元禄三年(1690年)二万石加増&従四位下叙任

元禄四年(1691年)常盤橋内に屋敷を拝領 以降、綱吉は吉保邸へ58回も御成している

元禄五年(1692年)三万石加増

元禄七年(1694年)一万石加増

元禄八年(1695年)侍従叙任&老中格へ昇進、領地替えで武蔵国川越城主へ

元禄十年(1697年)二万石加増 寛永寺の根本中堂造営惣奉行を任される

元禄十四年(1701年)松平姓と「吉」の字を与えられ、出羽守から美濃守に遷任

この間、元禄13年(1700年)頃、吉保は武田信玄の次男の子孫とされる武田信興を綱吉に引きあわせ、高家(幕府の儀式などを担当する家柄)として再興させています。
これが縁で、高家武田家は柳沢家から複数回養子を迎えました。




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武田旧臣の家系である吉保が、旧主の子孫を救った……という感じですね。イイハナシダナー(続きは次ページへ)。

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