徳川綱吉

徳川綱吉/wikipediaより引用

江戸時代

徳川綱吉は犬公方というより名君では?暴力排除で倫理を広めた人格者

徳川綱吉って実は名君ではなかろうか?

徐々に、そんな見方が広まってきているように感じます。

これまでは【犬を助けて、人の暮らしを不自由にしたバカ殿】扱い。

つまり「犬公方」としての狂気的な一面ばかりが強調されてきましたが、悪名高き【生類憐れみの令】を紐解くと「命の重さ」を広めたとも考えられ、物騒で荒々しい戦国気風と決別したとも考えられるのです。

また、綱吉の時代には赤穂浪士忠臣蔵)の事件が勃発しており、その際「浪士たちが切腹」という決断も彼の不人気を決定付けたのではないでしょうか。

徳川綱吉は本当に暗君だったのか?

それとも名君だったのか?

本稿では、宝永6年(1709年)1月10日に亡くなった綱吉の生涯を踏まえつつ、考察していきます。

 


母は八百屋の娘

徳川綱吉という人物はとかく毀誉褒貶にさらされがちです。

それは彼の産まれも影響しているのかもしれません。

母・桂昌院は京都の八百屋の娘でした。

後に綱吉はこの母との関係が密着していると批判されることになるのですが、そもそも当初から綱吉は、父の徳川家光にとって「将軍・徳川家綱の弟」という存在であり、兄の補佐に過ぎませんでした。

※以下は桂昌院の生涯まとめ記事となります

桂昌院
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日本では、ヨーロッパの王室とは違って、庶出であっても継承権から外されることはありません。

しかしその一方で「劣り腹」という言葉もありました。

身分の低い女性の腹から生まれた子という意味で、相手を蔑む際に用いられます。父が同じ兄弟でも、母の身分が低ければ劣った存在とみなされるのです。

綱吉という人物を考えるとき、彼の母の身分や、本来は後継者ではなかった――そんな出生のハンディキャップを考える必要があるでしょう。

「あの八百屋の娘から生まれた分際で」という偏見がなかったとは言い切れないのです。

 


「文治主義」への批判

儒教を重んじ【文治政治】を敢行した徳川綱吉。

武力重視の【武断政治】と対比される言葉で、武士にとっては否定すべき存在でした。

そもそも武士は、戦闘こそが本分です。

武器を持ち、戦うからこそ、特権を享受できる。既に戦国の世は遠くなったとはいえ、刀を帯び、時に暴力的な行為を行うことによって力を示していました。

そんな武士にとって、綱吉の文治主義が疎んじられるのも仕方のないことでしょう。

明治維新後、【廃刀令】に対して不快感と不満を抱く士族が出没したのと似た不満が、綱吉の時代にもあったのです。

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綱吉が武よりも文を重んじ、生命を尊重した――。

その代表的存在が「生類憐れみの令」でしょう。

何かと評判の悪いこの法令。数度に分けて出された法律の総称ですが、犬を極端に愛護するあまり人の命を軽んじたようなものではありません。

むしろ囚人の環境改善や、捨て子を禁止する等、きわめて人道的な部分も多くありました。

詳しくは以下の記事にてマトメておりますので、よろしければご覧ください。

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『忠臣蔵』という虚構

赤穂浪士事件をモチーフとした『47 RONIN』というアメリカ映画があります。

史実的にはかなり荒唐無稽な作品であり、事件をかなり誇張したものです。

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この作品において吉良上野介は若返り、浅野内匠頭は老人となっています。

しかも浅野内匠頭は温厚で、妖狐の妖術によって惑わされ、斬りつけるという筋書き。

なぜここまで改変されたか?

その理由は推察できます。

史実の赤穂浪士事件は、冷静に考えてみると浪士側にあまり同情できないのです。

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浅野内匠頭長矩は、そもそも素行に問題がありました。文武の能力や教養にも欠けた青年君主だったのです。

一方の吉良上野介義央に問題がなかったか?というと、おそらくそうではありません。

彼の子・上杉綱憲が藩主となった米沢藩では、吉良義央の贅沢三昧で財政が悪化しています。

米沢藩主の父かつ幕府の要職にある地位を利用し、蓄財に励んでいたことは確かです。

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そうはいっても、人間性で比較すると、おそらく吉良の方がマシ……。

浅野は短気でキレやすく、謎に包まれた刃傷事件も彼の側に問題があったと推察されます。

もちろん吉良の態度も悪かったかもしれません。それは否定しません。

しかし、だからといって暴力、しかも刃傷沙汰に持ち込んだからには、浅野のルール違反は明白でしょう。

『忠臣蔵』のことを忘れて事件を考えてみると、異常でいき過ぎた復讐。

客観的に見れば

【殺人未遂犯の家臣たちが、被害者の自宅を集団で襲撃して殺害した】

とも言えます。トンデモない世界です。

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