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【マクベス】
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スコットランド王の統治期間は短くせいぜい5年
ステュアート家登場以前、スコットランド王の統治は、基本的に短いものでした。
5年を超えればまあまあ。
10年を超えれば健闘。
15年を超えれば敢闘賞ものであります。
正直、ローマ皇帝や中国の魏晋南北朝時代の皇帝よりもキツい、エクストリーム王位争奪戦なのです。
なんせダンカンだって6年間しか統治していませんし、そう考えるとマクベスが優秀な王だったことがご理解いただけるでしょう。
ただし。
シエイクスピアだって、何でもかんでも嘘をデッチあげたわけではありません。
ダンカンの遺児が父の死後イングランドへ亡命し、戻って来てマクベスを討ち果たし王位に就いたことは史実に基づいています。
また、バンクォーの子・フリーアンスの子孫がスコットランド王になるのも史実です。
『この人間関係でもイケるやん!』
そうシエイクスピアが考えても無理はないところです。
乱世の極みのようなスコットランド史は、凄惨で謀略だらけという話の種に満ちていました。
考えようによっては、マクベスは被害者では?
あることないことデッチ上げで広められたマクベスの悪行。
それもまた気の毒ですが、実は、史実における死に方そのもののほうが可哀相です。
マクベスは、シエイクスピアが描いた通り、ダンカンの遺児であるマルカム3世率いる軍勢によって討ち取られています。
しかしこのマルカム3世は、援軍としてイングランドの貴族を連れていました。
見ようによっては、マルカム3世の行動は、イングランドからの介入を手引したとも言えます。
自分の欲望のために、よりによってイングランド人の手を借りるマルカム3世。
日本史で言えば朝鮮王朝や中国王朝(あるいはロシアやモンゴル)の軍隊を招いてリベンジを果たすという感じですかね。
当事者の国民からしたら、とても許せた行為ではないでしょう。
スコットランドの歴史は、イングランドの介入によってしばしば災厄に見舞われてきました。
その背景には、イングランドの援軍を利用したいスコットランド氏族側のもくろみもありましたが、介入の結果、大半はロクなことになっていません。
★
シエイクスピアの作品は、作者自身も観客もイングランド人です。
観劇をノンキに眺めながら「我らがイングランド軍は頼りになるのぅ」ぐらいの感覚だったかもしれません。
そう考えると独立投票で票が均衡するのも無理のない話で。
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文:小檜山青
【参考文献】
リチャード・キレーン『スコットランドの歴史』(→amazon)