マリー・ド・ブルゴーニュとマクシミリアン

マリー・ド・ブルゴーニュとマクシミリアン/wikipediaより引用

欧州

ハプスブルク家の躍進!美姫マリーと白馬の王子マクシミリアンの愛

美しい姫君と、美しい王子が出会い、お互いに惹かれ合って結婚する――。

そんなおとぎ話のような話が現実にあったと言われたら、ウソだと思われますか?

時は15世紀。

舞台はワインの産地として名高いブルゴーニュ。

その地にあったブルゴーニュ公国の「美しい姫君」マリー・ド・ブルゴーニュと、ハプスブルク家から婿入りしてきた「中世最後の騎士」マクシミリアン(後の皇帝マクシミリアン1世)の結婚は、当時、地方領主だったハプスブルク家の躍進のきっかけとなり、ひいてはヨーロッパ史を大きく動かします。

1519年1月12日はそんなマクシミリアンの命日――政略だけではなく、愛情によっても結ばれた、二人の歴史を振り返ってみましょう。

 


「我らの姫」「美しき姫君」と領民からも愛されて

15世紀、ブルゴーニュは、独立した公国でした。

フランドル(オランダ・ベルギー)をも含む広大な領土を持ち、ヨーロッパでも随一の洗練された文化を誇る大国として、栄えていたのです。

百年戦争の際にはイギリス側についてフランスと対立。

当時の国主フィリップ善良公は、ジャンヌ・ダルクを捕らえ、イギリスに引き渡しています。

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彼の孫にあたるのが、今回の物語の主人公マリー・ド・ブルゴーニュ(1457~1482年)です。

彼女は、1457年にブリュッセルで生まれました。

マリー・ド・ブルゴーニュ/wikipediaより引用

その美しさと優しさで、領民たちから「我らの姫」「美しき姫君」と呼ばれ、愛された彼女。

肖像画での淑やかそうな印象とは違い、乗馬やスケートなどスポーツを好む活発な面も持っていました。

イメージとしては、「深窓の姫君」というよりも、ディズニー・プリンセスに近いかもしれません。

公国唯一の後継者として、大切に何不自由なく育てられた彼女でしたが、1477年、事件が起こります。

父・シャルル突進公(テメレール)が、戦死したのです。

トップを失った国は混乱に陥ります。

そして、新たな国主となったマリーもその渦中へと、否応なしに巻き込まれていくのでした。

 


蜘蛛男・ルイ11世が強引に割り込んできた

強力なリーダーが突然いなくなると、国や組織の中で起きることはいつの時代も同じです。

まず国内では内乱が勃発。

さらに外では、公国を狙い、厄介な敵がここぞとばかりに動き始めました。

フランス国王ルイ11世(1423~83)です。

ルイ11世/wikipediaより引用

【遍在する蜘蛛】という「いかにも悪役(ヴィラン)」そうなアダ名を持つこの男は、息子である王太子シャルルを、マリーと結婚させることで公国を手に入れようと企んでおりました。

当時のシャルルは8歳。

対するマリーは20歳。

ルイさん……いくら何でも無理があるのでは……。

マリーも首を縦に振るわけがありませんが、それでもルイ11世はお構いなし。

自軍をブルゴーニュ領へと侵攻させ、さらには公国内の貴族たちを煽り、とあの手この手で仕掛けてきます。

結果、忠臣は処刑され、マリーは孤立状態へと追い込まれました。

マクシミリアン1世/wikipediaより引用

どうする?

このまま蜘蛛男、もといルイ11世の要求を呑むしかないのか。

いや、希望は完全につきたわけではありません。

マリーには一人だけ、味方になってくれそうな人がいました。

「私には、婚約者ハプスブルク家のマクシミリアンがいる!」

そう、父シャルルが生前に決めた婚約者がいたのです。

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