「ピアノの詩人」なんて呼ばれ、いかにも薄命なイメージもありますが、実際、40才手前で逝去。
偉大な音楽家だったせいか。
死後はコニャック漬けにされた心臓が残されていたり、2008年に新たな死因が発表されたり、好事家の間にとどまらず何かと話題になっています。
では一体どんな死因だったのか?
早速、振り返ってみましょう。
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ポーランド生まれのロマン派ピアニスト…
ショパンは19世紀に活躍したポーランドの音楽家です。
ロマン派音楽を代表する作曲家でピアニストとしても有名でした。
私も一応、ピアノを習ってましたけどロマン派が何だか全く分かりませんので、このあたりは音楽の先生にでも聞いてみて下さい。
彼の作曲した「ノクターン」などは、誰でも1度は耳にしたことがあると思います。
専門外のことを書くとボロが出そうなのでこのへんで切り上げ、病気の話にうつりましょう。

ショパンの肖像画/wikipediaより引用
色が極端に白く喉仏が目立ち頬もこけ
1810年、ショパンはポーランドに生まれます。
6歳で耳にした旋律の再現を試みたり、新たなメロディーの作成など音楽の才能を感じさせるエピソードがありますが、ピアノを習い始めると実力はめきめきと伸び、7歳にして公開リサイタルを行うようになりました。
また同年にはト短調と変ロ長調の2つのポロネーズを作曲し高く評価され、まさに神童ですね!
ただし、音楽の才能とは逆に身体は虚弱体質で呼吸器の感染症にかかりやすかったそうです。
19歳の肖像画を見た20世紀の伝記作家は「ショパンは結核にかかっていた。色が極端に白く、喉仏が目立ち頬が落ち窪んでいる。耳も結核に特徴的な消耗を呈している。」と評しています。
青年期に入ってもショパンの身体は弱く26歳時にはあまりの体調不良っぷりに『死亡説』が流れたほどでした。

色白で頬がこけ、病弱だった様子がよくわかるミエロシェフスキ作のショパン肖像画/wikipediaより引用
その後、フランスに移り住んだ彼は英雄ポロネーズなどの名曲を作ります。
しかし徐々に体調不良は悪化、ショパンは39歳でこの世を去りました。
ショパンの父と妹の死因が結核だったこともあり、彼の死因も『肺結核』と考えられていました。実際、当時の死亡診断書の病名も肺結核です。
ここまで読むと今回は『肺結核』の話かなと思いますよね?
肺結核は日本に多くネタになる人物に事欠きませんので違う病気の話をしましょう。
新説の死因「嚢胞性線維症」とは?
2008年、ショパンの死因は『嚢胞性線維症』説が発表されました。
何か聞きなれない病名が出てきましたね。
『嚢胞性線維症』は常染色体劣性遺伝をします。
病態としてはCl-チャンネルの異常により外分泌液の濃度が高くなる病気。簡単に言うと粘液がネバネバします。
そのため全身に様々な症状があらわれ、代表的なものとしてはネバネバの膵液が膵臓に詰まり膵臓がダメになります。結果、重度の消化吸収障害を起こします。
また粘度が高い痰が気管支に詰まることで気管支炎を繰り返し、慢性の咳が出ます。
その他にも肝硬変、慢性副鼻腔炎、男性不妊など様々に発症。
予後は不良で平均生存年齢は18歳、少し前までは7-8歳と短命になる病気であり、わが国では難病指定されています。
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